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恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー ミオ編』2

ミオ編2 4章 エレーナ

 わたしは長期休暇を取り、海岸のコテージを借りて過ごしていた。しばらく、何も考えたくない。考えると、頭がおかしくなる。

 だから、久しぶりに絵を描いていた。それも、上品なパステル画や水彩画ではなくて、大きな画布に手の指を使って塗りたくる油絵を。

 気持ちが落ち着いたら、いつでも戻ってくればいい、と支局長には言われている。場合によっては、他星の支局に転属させてくれるという。だから、こんなことで辞めないでほしい、と。

 わたしが犯人に必要のない暴力を振るったことも、内々に処理してくれるという。

 わたしだって、せっかく子供の頃からの憧れの仕事に就いたのに、そう簡単に辞めるつもりなんかない。

 でも、日に何度も吐き気がこみあげてきて、トイレに駆け込むありさま。さもなければ、髪をかきむしり、食器や花瓶を床や壁に叩きつけたくなる。実際、最初の数日は、無数の食器を犠牲にした。

 捜査官が、精神安定剤なしでいられないようでは、話にならない。

 あの男は(名前を呼ぶのも汚らわしい)、モデルクラブのマネージャーと結託して、何十人もの娘たちを餌食にしてきたのだ。

 まず、モデルクラブの宿舎で暮らす娘たちの中から、これはと思う娘を選ぶ。マネージャーが彼女たちの食事や飲み物に薬を入れ、彼女が部屋で深く眠り込んだ時に忍び込む。そして、特殊な深層暗示をかけておく。

 これは、辺境から手に入れた技術らしい。そうしておくと、後日、その娘をキーワード一つで催眠状態に落とすことができる。そうなると、本人は何も抵抗できず、ほぼ夢遊状態で、人形のように弄ばれることになる。

 そして、翌日に記憶が残らないよう、念を入れて酒や薬物も使う。

 わたしは宿舎の自室で眠っているうちに、餌食に選ばれたらしい。知らないうちに深層暗示をかけられ、キーワードを植え付けられて、奴らに利用されたのだ。

 あの男は、そうして若い女を何人も用意しておき、遊び人仲間に声をかけて〝利用〟させていた。どんな真似をしても、翌日には忘れているから大丈夫と保証して。

 その結果、首都の有力者たちの間に、一種の会員制クラブのようなものができていた。それぞれ、かなりの代価を払って会員になり、夢遊状態の女たちをセックス人形にしていたのだ。

 特に好まれていたのは、輪姦と獣姦、本格的なSMプレイだとか。普通の女なら、絶対に承知しないことだ。そのために、わざわざ大型犬を飼った男たちもいるという。

 客たちの家から、大量の記録映像が発見された。その中には、わたしの姿もあった。支局長も課長も見るなと言ったけれど、わたしは知る権利を主張して、それを見た。それから、見なければよかったと思った。まさか、あんな真似をさせられていたなんて。

 この屈辱の記憶は、一生消えない。何をしていても、不意に甦っては、心を真っ暗に塗り潰す。

 よくも。よくも。よくも。

 その記録を見たのは、ごく一部の担当者だけで、必要な書類を作成した後、映像そのものは抹消されたというけれど、それでも、あんな惨めな姿を人に見られたなんて。

 狂いそうな気持ちを何とか安定させるため、わたしは厚手の画布に怒りの色を塗りたくっていた。

 赤、緑、黄色、黒、オレンジ、群青。

 毒々しい組み合わせの色を目一杯叩きつけると、ほんの少し、気分がましになる。何枚か溜まったら、庭で火にくべて焼き尽くす。

 被害者はわたしだけではない。それはわかっている。事実が明るみに出てよかった。これでもう、新たな被害者が生まれなくて済む。

 それでもなお、わたしは救われない。

 いつか時間が経てば、楽になれるの。それとも一生、この怒りと呪いは消えないの。せめて、精神安定剤がなくても済むようにならないと、現場へは戻れない。

 いいえ、もう二度と、冷静な捜査官には戻れないかも。

 首都で名士と言われていた男たちが、何十人も集まって、罪のない女たちを餌食にしていたのだ。他の何十億人もの男たちだって、機会がないから紳士でいるだけで、もし、機会を提供されたらどうなるか。

 消えない怒りが、体内で荒れ狂う。あいつら全員、片端から射殺してやりたい。

 それでもなお、この胸は晴れないだろう。この世から、全ての男が消えない限り。

ミオ編2 5章 紅泉こうせん

 その晩、ベイカー捜査官とワン捜査官のペアから、あたしたちのホテルに連絡が入った。ミオ・バーンズの事件が解決した報告をしてくれるのだろうと、軽い気持ちで通話画面の前に座ったが、向こう側の二人は深刻な顔である。

「実は、どうやら、個人的な犯行ではないらしいのです」

 とベイカー捜査官。

「おや」

「休暇中のお二人を巻き込むつもりはないのですが、一応、わかったことだけはお知らせしようと思いまして」

「そう、ありがとう。ちょっと待ってね」

 あたしは、同じ居間にいた従姉妹を手招きした。店から届いた着物を試しに着ていた探春たんしゅんは、赤紫の地に白い梅の花模様の着物を仮紐でまとったまま、画面の前に来る。華やかな姿に、捜査官たちはやや驚いたようだが、すぐに顔を引き締めた。

「最初は、酒か薬でバーンズ嬢の抵抗を封じたと思っていたのですが、それだけではありませんでした。以前から、深層暗示がかけてあったんです」

「へえ?」

 と、いうことは。

「キーワードを聞かされると、暗示が表面化して、正常な思考力を失う仕組みです。相手の男を、前からの恋人と思い込むんですね。彼女は繁華街を歩いているうち、犯人の男にそのキーワードを聞かされて、朦朧状態でホテルに連れ込まれたようです」

 あたしと探春は、ちらと視線を合わせた。

「それじゃ、黒幕は違法組織だな。他にもまだ、被害者がたくさんいるってわけだ」

 そういう精神操作の技術を持っているのは、中央では一部の専門家だけだが、辺境では当たり前の技術。

 また、違法組織は、ネットを通じて市民に接触し、誘惑したり、暗示をかけたりして手下に仕立てる。犯罪の実行犯を逮捕しても、黒幕は数千光年の彼方というのも、よくあることだ。

「ま、それはこれからですね。現在、捜査本部が設置されまして、人員が増えましたが、我々は引き続き、この件を担当します」

「バーンズ嬢に乱暴した男たちの尋問で、キーワードを売った仕掛け人の名前が出ましたので。いま、別のペアが逮捕に向かっています」

「何者なの」

「マレーネ・ファンフリート、三十二歳。バーンズ嬢と同じモデルクラブに所属しています。彼女を尋問すれば、おそらく共犯か黒幕の名前が出てくるでしょう。女一人でできることではありませんから」

 そうか、あの子、モデルだったのか。道理で可愛かった。大きな黒い瞳に、さくらんぼみたいな唇をして。帽子で顔を隠していなかったら、男たちがみんな振り返ったことだろう。

 いや、だからこそ〝商品〟にされたのだ。ああいう子を自由にできるのだったら、大金を払う男たちがいくらでもいるのだろう。

「客から要望があった時、ちょうど〝使える娘〟を差し出すのが、ファンフリートの役だったそうです。前回の利用から間もない娘とか、生理中の娘は避けて。条件の揃った娘がいない時には、可能になるまで客を待たせたとか」

 とベイカー捜査官。ワン捜査官が、付け加えて言う。

「生理中の娘を希望する客も、いたようですけど」

 あーあ、また探春が暗くなるよ。

 客たちもまた、決して焦ってはならないことを知っていたはずである。被害者のうち、誰か一人でも疑惑を持ち、病院か警察か司法局に訴えたら、それで潰えてしまう危うい商売。そんなことで人生を棒に振るなんて、一味に加わった男たちは、愚かとしか言いようがない。

「発覚してよかったね」

 と、あたしは言った。男たちにとって、昔は娼婦という〝最後の救い〟があったが、この現代、豊かになった市民社会には、もはや身を売ることを商売にする女は……ほとんど存在しない。

 稀には、莫大な金額を取って、男の相手をする女もいるというが。強制がない限り、それは個人の自由だから、あたしとしては関知しない。

 おおかたの男は、冷や汗をかいて、正面から女を口説く。さもなければ、こっそり船を出して辺境の違法都市に行き、バイオロイドの女を買う。

 どちらもいやだという面倒臭がりの馬鹿が、こういうことをしでかすのだろう。バイオロイドを買うというのも、十分に卑劣な行為だが。

 ワン捜査官が、続けて話す。

「他星系で最近、同様の事件があったのをご存じですか? 被害者保護のため、公式発表されてはいないので、わたしたちも、今日、関連を考え始めたところですが」

「いや、知らないな、説明してくれる?」

「《テンシャン》の惑星首都にあるモデルクラブが、やはり組織売春に巻き込まれていたんです」

 そこに所属するモデルたちの何割かが(被害者のほとんどは女性だが、数人は男性もいたという)、知らないうちに催眠暗示をかけられ、〝商品〟にされていたのだという。

「キーワードを聞かされると、一時的に、強い酩酊状態というか、多幸状態に陥るらしいです」

「ハイになるわけか」

「その時は、相手を恋人だと思っているから、楽しく過ごす。ま、相手が一人なら、ですが。たとえ数人がかりで何かされても、正常な判断力がなくなっているから、ほとんど抵抗できない。そして、翌朝には記憶が消えているように、酔わせた上で薬を飲ませておく。あるいは注射する」

「なるほどね」

 目覚めた時は、自分がなぜ、見知らぬ部屋にいるのかわからない。ただ、肉体的な快楽の余韻と、二日酔いの症状だけが残っている。それで当然、深酒の上のあやまち、と思い込む。本人が自分の過失と思えば、事件にはならない。

 それが発覚したのは、偶然、餌食にされた一人が、薬物疑惑を追って潜入中の捜査官だったからだという。

「まあ」

 と探春は眉を曇らせた。確かに気の毒な話だが、あたしが気にしたのは、横にいる探春の方である。あとでまた、何かして笑わせなくては。

「捜査官と知らず〝楽しんだ〟男たちも、共犯のモデルクラブのマネージャーも、技術協力していた医師も逮捕されましたが、みな主犯ではありませんでした。他の客たちも残らず逮捕されましたが、捜査はそこで行き止まりです」

 そうか。

「《テンシャン》での組織作りの中心になった男は、そういう商売を始めるように、どこかの誰かから命じられていたんです。彼らの稼ぎの大部分は、その黒幕に吸い上げられて、辺境のどこかへ消えています」

 むろん、客たちが正規の端末を通して、金を払ったわけではない。それぞれ、価値のある何かを差し出したのだ。

 たとえば、家宝の美術品。後にそっくりの複製品を置いておけば、家族には悟られない。また、自分の管理する部署の極秘情報。あるいは、政府機関の重要人物の弱み。継続的な情報提供でも、協力体制でもいい。辺境の連中が価値を認める何かなら。

 それぞれが違法組織を通じて換金され、裏の口座に入る。そうなったら、軍にも司法局にも手の出しようがない。辺境の決済機構《プラチナム》は、違法組織を束ねる〝連合〟が運営しているのだ。

「その黒幕は、おそらく、辺境のどこかにいる違法組織の幹部でしょう。こういうネット経由の汚染は、とても防ぎきれません」

 表の世界の通信ネットワークと、裏の世界のネットは、あちこちで不法につながっている。相互乗り入れは簡単なこと。

 むろん、軍も司法局も違法アクセスを取り締まろうとしているが、限度がある。なぜならば、市民社会の何億人という男たちが、辺境で作られる違法ポルノを、繰り返し欲しがるからだ。ダミー企業から普通の品物を買ったことにすれば、支払いは可能である。

 一度で懲りる者もいるが、何十年も愛好する者も多い。彼らをいちいち逮捕していたら、社会が麻痺してしまう。それに、千人のうち九百九十九人までは、お望みのポルノを手に入れるだけで済む。

 ただ、不運な一人は網にかかる。たまたま大企業の重要部署にいたり、有望な軍人や科学者だったり、あるいは親戚に重要人物がいたりすると、脅迫されたり、誘惑されたり、洗脳されたりして、手先にされてしまう。

 そして、組織の命じるままにスパイ活動をしたり、暗殺や誘拐に加担したり、他の手先を助けたりして、泥沼にはまる。やがては逮捕されるか、市民社会から脱出するか、という羽目になる。

「事件は迷宮入りか」

「でも、もしも、このバーンズ嬢の事件と共通の黒幕がいれば、こちらから突破口が開けるかもしれません。手口が似通っていますから」

 と意気込んだベイカー捜査官。

「もちろん、捜査は非公開で、被害者の保護はこっそりやります」

 と言うのは、クールなワン捜査官。当然だ。世間の噂になったりしたら、被害者たちが救われない。

「本当は、そういう細工のできる医師や技術者に、もっと厳重な抜き打ち審査をかけるといいんだけどね」

 と、あたし。市民の通話履歴や行動履歴も、もっと長期間保存した方がいい。

「ぼくもそう思いますが、規制強化というと、すぐに人権侵害の大合唱ですからね。そういう法案が議会を通過するには、まだ何十年もかかるでしょう。ぼくには娘がいるので、できれば、娘の世代が犠牲になる前に、法律改正してほしいですけどね」

 ベイカー捜査官は、血色のいい丸顔で真剣に言う。政治家にも違法組織の誘惑や洗脳が及んでいるから、先進的な議案は、しばしば葬られてしまう。盟友のミギワが、どれだけ悔しがっていることか。

「お嬢さんがいるの。それは楽しみだね」

 きっと支局のデスクには、妻と娘の写真が飾ってあるのだろう。

「いやあ、もう、こういう事件があると心配で。女の子は楽しみも大きいですが、心配もひとしおです。妻に似て、とっても可愛いもんですから」

 隣で理知的な美人のワン捜査官が、この親ばか、という顔をしている。いいではないか。妻と娘にべた惚れなんて、男の幸福ここに極まれり、だ。

「違法アクセスをしなければ、違法組織に付け込まれることもないんですけどね」

 とワン捜査官は軽蔑したように言う。

 確かに、市民社会の男たちが、上品な合法ポルノで満足すれば、違法アクセスは大幅に減る。しかし、過激な違法ポルノを買いたがる奴が、うんざりするほどいるのだ。強姦もの、獣姦もの、調教もの、幼い子供を使ったもの。

 あたしが違法都市での少女時代に、幾度も現場を目撃したように、本物の拷問や殺戮を撮影したものも多い。たくさんのバイオロイドたちが、そういう撮影で殺されていく。

 せめて、アニメや合成画像にしておいてくれればいいのに。それでは刺激が足りない、というわけ。

 欲望に訴えるビジネスは滅びない。違法組織の側では、中央の市民たちをあらゆる餌で誘惑する。

『違法都市へ来れば、不老不死の技術はお望み次第。注射と投薬だけで、老化は大幅に防げるのです』

『あなたのクローン体に、脳移植をしませんか。あらかじめ不老処置を施しておけば、向こう三百年は若さを保てます』

『誰にも知られず、幼い少女の魅惑的な写真集があなたのお手元に』

『この口座に入金していただければ、毎月、刺激的な新作映画をお届けします』

 あるいは、違法組織が正規の旅行会社や船会社と組んで、極秘の買春ツアーを仕立てることもある。たまに当局が手入れして逮捕者が出ると、世間では名士として通っている家族持ちの男たちがぞろぞろ客になっているので、笑えるというか、情けないというか。

 いや、スケベなのは一向に構わない。それが、男の存在理由だから。女を追い回して口説き倒し、妊娠させる。それが、彼らの生物学的使命である。

 残念ながら、あたしの所には、全然、そういう使命感に燃える奴が回って来ないが。

 ただ、自分のスケベを自分で恥じることができるのが、文明人というものではないか。

「《テンシャン》では黒星でしたが、こちらで黒幕に行き着けたらと思います。ではまた、捜査が進展しましたら、ご報告しますので」

 若い捜査官ペアは、丁重に言って通話を終えた。あたしたちを、本部所属のエリート捜査官と信じている。

 あたしは従姉妹を振り向いて、両手を伸ばした。

「さて、一緒にお風呂に入ろうか」

 すると、曇っていた顔が、いくらか明るくなる。

「そうね」

 あたしはすかさず、着物に仮紐という躰を横抱きに抱え上げた。小さな子供のように、ぐるぐる振り回す。

「いやっ、やめて、目が回る」

「いいでしょ、遊園地だと思って。ほーら、自由落下」

 探春を天井近くまで放り上げ、落ちてきたところをキャッチする。もちろん、怪我などさせない。一族の末っ子のダイナは、これが大好きだったものだ。しかし探春には、やや向いていないとわかっている。

「いや、やめてえ」

 と本気に近い悲鳴。本気七割、甘え三割だな。

「大丈夫、落とさないから」

「だめっ、着物が破れるわ、もうだめっ」

「よしよし。じゃあ、裸にしてから放り投げてやろう。それならいい?」

「もうっ、紅泉たら。あなたの食べ物に、唐辛子仕込むわよ」

 探春がようやく笑ってくれたので、騎士としては一安心。あとは、お風呂で全身を洗ってやればいい。耳の後ろから足の指先まで、時間をかけて。そういうスキンシップをすると、目に見えてご機嫌がよくなるのだ。

 もちろんあたしには、女同士でいちゃつく趣味はない。どうせなら、たくましい男性に抱き上げてほしい。まあ、それはもう九割がた、あきらめた夢だけど。

 だって、あたしの王子さまになってくれるはずだったミカエルは、大人になることを拒んで、少年の肉体に閉じこもってしまったのだもの。

***

 違法都市《ティルス》で育った十代の後半、あたしはライダースーツを着てヘルメットをかぶり、大型バイクで街を探険して回るようになっていた。かつて、年上の従兄弟のシヴァがそうしていたように。

 彼にできたことなら、あたしにもできないはずがない。子供の頃は、ほとんど対等に取っ組み合って(いや、向こうが手加減してくれたのはわかっている)遊んでいたのだから。

 そうして、森林公園の奥や、広い公共の緑地のあちこちで、放置された死体を幾度も見つけた。

 乳房を切り取られ、膣に木の枝を突き立てられた、若い女の死体。先の尖った枝は、内臓まで突き破っていた。

 首にきつく縄を巻かれたまま、湖に浮いていた子供の死体。顔は紫に変色してふくれ上がり、全身に打撲や骨折の跡が残っていた。

 木の枝から逆さ吊りにされたままの、少女の死体。鞭の跡が縦横に残り、腹を裂かれ、前歯をへし折られていた。

 そのまま放っておいても、都市の清掃部隊に回収され、他の有機ごみと一緒に、溶解処分か焼却処分にされる。誰も騒がないし、弔ってもやらない。あたしは屋敷の護衛兵に命じて、それらの死体を回収し、花を添えて布でくるみ、森の地面に埋めさせた。いちいち、探春を呼んで見せたりしない。あの子はまた食欲が失せ、眠れなくなってしまうだろう。

 やがて、それらは、SM映画の撮影や、人間の男たちの気晴らしに使われた、バイオロイドの死体だと知るようになった。人間の遺伝子を元に、工場で大量培養される、奴隷種族。安く手に入るものだから、簡単に使い捨てるのだ。

 被害者は女子供だけではなく、男のバイオロイド兵士たちもそうだが(彼らは五年の生存期限が来ると、新米兵士たちの射撃訓練の的にされたり、人体実験に回されたりする)、しかし彼らには、同胞の女たちに対して加害者になる側面がある。短い人生の気晴らしに、無抵抗な女たちを餌食にするのだ。

 同じ奴隷階級でも、男奴隷より女奴隷の方が逃げ場がない。

『なぜ? どうして、こんなことをするの?』

 少女時代のあたしは、その疑問を麗香れいか姉さまにぶつけた。一族の大人たちの中で、一番あたしを理解してくれた人。

 そもそも、一族の新たな世代は、姉さまが遺伝子設計をして誕生させるのだ。素材は一族の遺伝子プールからもらったものだが、そこに最新の強化を施すのは姉さまの仕事。いや、趣味かもしれない。

『人間というのは、そういうものなのよ。強い相手には媚びて、弱い者には暴力を振るうの。ずっと昔から、繰り返されてきたことよ。いつか、それがやめられる時が来るといいのだけれど』

『でも、姉さまは、そんなことしないでしょ。あたしもしないよ』

『ええ、それはね、わたしたちが女だから。男というのは、また別の種族なのよ』

 やがて、獲物が脅えて逃げ回るから面白いのだ、それを狩るのが人間の男の快感なのだ、とわかってきた。

 それはまた、あたし自身が、そういう男たちを狩り始めてから、自分の身で理解するようになったこと。

 森や野原で行われる〝兎狩り〟を見かけると、あたしはそこへ分け入って妨害し、部下を引き連れた男たちを、石飛礫や超切断糸でなぎ倒して回るようになった。そして、傷だらけの兎たちを救助する。

 ――あんたたちは、自分より弱いものを狩るのが楽しみなんでしょ。それじゃ、このあたしがあんたたちを狩っても、文句はないわよね。

 殺す者は、いずれ誰かに殺される。それが、この世界の仕組み。

 あたしもたぶん、いつかはそうなるだろうが、その時までは、精々、『悪党の前に舞い降りる死神』でいてやろうではないか。

 あたしのそういう行動に、ヴェーラお祖母さまは渋い顔だったが、最長老である麗香姉さまが、

「あの子には、必要な修行です」

 と認めてくれた。一族の元になった科学者集団の地球脱出を導いた最長老の言葉では、現役世代の総帥であるお祖母さまも逆らえない。

 お祖母さまより年上なのに、姉さまという敬称で呼ぶのは、彼女が自分では子供を生んでいないから。一族の繁栄と、不老の研究に人生を捧げた女性なのだ。おかげで本人も、とうに三百歳を越えていながら、まだ若く美しい。

 しかし辺境というのは、基本的に〝男の世界〟である。保守的な市民社会から脱出してきた男たちが、柔順なバイオロイドの美女たちを侍らせ、権力闘争と不老処置を繰り返し、男の天国を追求するところ。強い者が意志を通し、弱い者には何も残らない。

『でもね、いつまでも、それでいいはずがありません』

 と麗香姉さまは言う。

『わたしはね、紅泉、あなたに期待しているの。女であるあなたには、男たちと違う戦い方ができるはずです』

 彼女はあたしを〝理想の戦士〟としてこの世に送り出した。それならば、あたしは、自分の心の命じるままに戦っていいはずだ。

 使い捨てられるバイオロイドたちを救うことは、十代のあたしには、ちょうどいい修行となった。

 彼らは、人間の命令には逆らえない、逃げて行く場所もない、と思い込まされているだけ。あたしは虐殺から救ったバイオロイドたちを、一族の持つ空きビルや小惑星工場に住まわせた。そして、勉強させ、自立して生きていく知恵をつけさせた。

 もっとも、あたしは戦う方が忙しかったので、実際の細かい世話や教育は、きまじめな従兄弟のシレールに押しつけてしまったが。

 やがて、

『この街には、若い女の姿をした死神がいる』

 という噂が流れた。〝兎狩り〟をする者は絶え、SM映画の撮影隊も他都市へ逃げた。街で遊ぶ男たちは、びくびく周囲を見渡すようになったものである。流しの娼婦など買っていたら、いつ何時、死神に目をつけられるかと。

 そんなざまでは、繁華街の売り上げも落ちる。おかげであたしは、一族の大人たちから、ほとぼりを冷ましてこいと言われ、故郷である《ティルス》を追い出された。うちの一族が、流浪の果てに建設した小惑星都市を。

 しかし、既にたっぷり自信をつけていたあたしには、別段、痛くも痒くもなかった。麗香姉さまにも、

『世間を見てくるのは、いいことだわ』

 と言われ、予備艦隊を分けてもらったので、

(よっしゃ。武者修行の旅だ)

 と意気揚々、辺境の宇宙に乗り出したのである。

 ただし、《ティルス》にいる限り、あたしは一族の財力に守られていたので、その時まで、生活するのに金が必要だということが、わかっていなかった。食料や日用品はともかく、核ミサイルや反物質機雷や強襲艇は安くない。

『一回戦闘をしたら、武器弾薬を補給しなくてはいけないのよ。何週間もかけて一族の工場に戻るのでない限り、他組織の工場から買うことになるわ』

 付いてきてくれた探春に言われて、初めて、金を稼ぐことを真剣に考えだしたのだ。

 ――あたしって、戦う以外に、何か才能ある? 押しかけ用心棒でもしようか? それとも海賊?

 幸い、長く悩むことはなかった。別の違法都市でたまたま、任務中の捜査官を助けたのだ。おかげで、司法局のお抱えハンターとしてデビューすることができた。

 そして、どうやらこれが天職らしい。ハンターというのは、法に縛られる正規の捜査官にはできない戦いを引き受ける〝陰の番犬〟である。

 辺境には、大小合わせて百万と言われる違法組織が繁栄しているが、違法組織同士で争う分には構わないというのが、二百億以上の市民を擁する惑星連邦の基本姿勢。

『悪党同士が殺し合って数を減らすなら、好都合』

 なのだ。ただし、市民社会に手出ししてきた組織については、あたしのようなハンターをぶつけて叩かせる。

 危険な稼業なので、元々、そうたくさんのハンターはいなかった。あたしたちが実績を上げるにつれ、他のハンターたちは次々に引退していったので、現在では、ハンターといえば、ほとんどあたしたちのこと。

 コード名〝リリス〟といえば、子供でも知っている有名人だ。その英雄を陰で支えるのは、故郷の一族であり、三つの違法都市を所有する伝統ある〝違法組織〟なのだが。

 繊細な探春にとっては、『力が掟』の違法都市で暮らすより、命が尊重される市民社会で過ごす方がいいのだ。そして、騎士であるあたしの横にいる方が。

***

 探春は茶色い髪をゆるい三つ編みにすると、スリップドレスのような寝間着一枚で、あたしの横に潜り込んできた。甘い薔薇の香りがするのは、さっき使った入浴剤である。だから、あたしも同じ香りがする。

 あたしも枕を具合よく整えて、明かりを落とした。薄い上掛けの下で、左腕にするりと細い腕が巻きついてくる。控えめな胸のふくらみが、腕に押しつけられた。タンクトップの肩には、なめらかな頬がすり寄せられている。

 寝室が二つある続き部屋に泊まっているのだが(有機体アンドロイドである秘書のナギは、控室の簡易ベッドにいる)、今夜はあたしの横がいいと言うもので。

 今日の事件のことで、まだ憂鬱なのだろう。あのミオという娘、可哀想に。辺境でなら、すぐさま犯人たちを射殺してやるところだけれど、ここは中央だから、法律に任せるしかない。

「あの子、探春みたいに、男嫌いにならないといいけどな」

 と言ったら、澄ました返事。

「それが、正常な状態よ。男なんて、女を餌食にすることしか考えていないんだから」

 そういうもんじゃない、と思うけどなあ。

「男の方が、女よりロマンチストじゃない?」

 と弁護した。女は現実的だが、男は夢想的。だから、大発明や大発見ができる。しかし、探春は手厳しい。

「英雄になって、女たちにちやほやされたいだけよ。それを、男のロマンと呼んでいるだけ」

 やれやれ。

「明日は、遊園地にでも行こうか。骨董屋ばかりで、頭の中がカビてきそうだから」

 と笑うと、探春も微笑む様子。

「連れ回して、ごめんなさい。でも、おかげで、お祖母さまの誕生祝いに、ちょうどいいお皿が見つかったし……」

「あたしがさんざん割った皿のことを、少しでも許してくれるといいけどね」

「あれは、いいのよ。金継きんつぎをして使っているのだから」

「だったら、ねちねち怒らないで欲しかったよ」

「仕方ないわ。本当に、地球時代の貴重品なんですもの」

 と、くすくす笑い。

「ねえ、もう一日だけ、美術館に付き合ってくれない? 明日は『地球時代の女流画家展』の最終日だから。どうしても、本物を見ておきたいの」

 超A級、またはA級の名品は地球から持ち出し不可だが(他星にあるダ・ヴィンチや北斎やルノアールは、全て精密な複製品)、B級以下の収蔵品なら、厳重な警備の元で他惑星に貸し出される。しかし、その中にも、いい作品がたくさんあるという。

 あたしにすれば、どうせ肉眼では区別がつかないのだから、本物だろうが複製品だろうが、同じことだと思うのだが。

「わかった。じゃ、遊園地はまたにしよう」

 いい年をして何だが、あたしは遊園地が大好きなのだ。

 辺境の違法都市には、年齢不詳の成人男女が護衛兵を連れて歩いているだけで、遊園地もなければ動物園もない。幼稚園もなければ、学校もない。あるのはただ、武器や快楽を売る店ばかり。油断した者は、命も財産も奪われる。

 そういう無法の荒野で育ったあたしは、中央の市民社会の呑気さが大好きなのである。子供の頃、中央製の明るい映画を見て、どれほど学校や遊園地や、植民記念祭のパレードに憧れたか。自分が野蛮な辺境に生まれたことを、どれほど悔しく思ったことか。

 しかし、だからといって、自分の生まれを不幸だとは思っていない。それどころか、この肉体は天の恵みだ。

 また、辺境の違法組織が全て、悪の組織というわけでもない。遺伝子操作や生体改造の研究を通して、不老不死や究極の生命を目指したいという動機で生まれた組織が多いのだ。それが、他組織に張り合うために、徐々に凶悪化していくという傾向はあるにしても。

 惑星連邦がそういう研究に強い規制をかけているため、野心的な科学者たちが、毎年、辺境に流れ出していく、というのが現実。若返りの技術を求めて、違法都市を訪ねる老人も少なくない。

 長期的には、惑星連邦が規制をゆるめることで、辺境と融和していくしかないだろう。

 また、違法組織の側も、市民に憎まれるような極悪非道は控えることだ。市民の誘拐だの、バイオロイドの虐待だの、目障りな政治家の暗殺だのをしなければ、あたしに狙われることもないのだから。

 あたしの腕に回している腕から、力が抜けていた。探春はもう、すやすや眠っている。もうちょっとしたら、腕を抜いてもいいだろう。このままでは寝返りが打てないので、あたしが辛いのだ。すがりつかれて眠るのは、たまのことだから、構わないのだが。

 男を受け付けない探春にとって、あたしは姉妹であり、親友であり、おそらくは恋人にも等しい存在。両親という名の養育者たちが、仲間を連れて二度と戻らない旅に出る時でさえ、探春はためらわず、あたしの元に留まった。

 あたしもまた、自分がまだ探検し尽くしていない人間世界を離れる気はしなかったから、《ティルス》に留まり、両親の出立を見送った。彼らは遠く離れた別の銀河を目指したから、もう二度と、人類の本体と接触することはないだろう。

 残ったあたしはずっと、それこそ半日と離れずに、探春と暮らしてきている。たまには多少、離れた方が、健康ではないかと思うくらい。

 まあ、明日は目一杯笑わせて、楽しませよう。次の任務が来れば、休暇はそこで終わりになるのだから。

   ミオ編3に続く

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