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恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー 泉編』5

泉編5 6章 泉

人間は平等ではない。わかりきったことだ。

愚かな者、賢い者、勇敢な者、卑劣な者。指導者になる者もいれば、命令に従うことしかできない者もいる。特殊な才能を持つ者もいれば、何の取り柄もない者もいる。

いや、取り柄を求めること自体、価値判断の押し付けになってしまうが。

いずれにせよ、同じ価値であるはずがない。人に価値をつけるのも、個々の人間なのだから。

でも、市民社会は欺瞞の上に成り立っている。みんな平等だ、同じ権利を持つのだ、などと。

だから、民主主義などという制度は、すぐに腐りはてる。二流の人間は一流をねたみ、恐れ、ありとあらゆる手を使って、ひきずり落とそうとするからだ。

そして、世界の大半を占める三流の人間には、二流と一流の区別がつかない。飾り立てた二流を有り難がって、自分には理解できない一流を遠ざける。結果、真に有用な者たちの意見が通らない。

世界の不幸は、愚か者や卑怯者が高い地位を占めることから引き起こされるのだ。

それでも、わたしは我慢していた。自分は、この市民社会で生きるしかないと思っていたから。良識があるふり、人に優しいふり。教師には信頼され、同級生や下級生からは憧れられる役回り。

自分でかぶった殻が固くなりすぎて、自分で息苦しくなっていた。わたしはいつまで、このお芝居を続ければいいの。

いいえ、きっと死ぬまで、この重い殻を脱ぎ捨てることはできないのだろう。本音を口にしたら、市民社会では爪弾きにされてしまう。

そこへ、ダイナがやってきた。天から舞い降りたかのように、きらきらと好奇心に輝いて。

圧倒的な知力、体力、そして明るさ、愛らしさ。曇りも汚れもなく、太陽のようにあたりを照らす。自分のしたいように行動して、それがそのまま、理想の少女の姿になっている。

資質が違う。わたしがどれほど努力したところで、足元にも近寄れない。

なぜ、そんなに朗らかに生きられるの。辺境生まれの強化体のくせに。いえ、それだからこそ? 市民社会で、普通の少女たちに混ざりたかった?

あまりにも妬ましく、目障りだった。だから、賭けたのだ。捨て身でぶつかれば、あるいはと。

でも、無駄だった。

努力で埋められる格差ではない。ダイナは辺境の特権階級の娘。何百年もの歴史を持つ遺伝子操作の成果から生まれている。最高級の頭脳と肉体を持って。

けれど、誘拐や殺人未遂の罪で犯罪者となったわたしを、拾ってくれた者があった。市民社会ではもはや未来のない身なのだから、その手を取るしかない。弱肉強食の辺境は、いっそ、わたしに向いているのではないか。

そうして、グリフィンやリザードに仕向けられた通り、わたしはシレールに近付いた。不老の肉体を持つ特権階級の一員であり、ダイナを育てたという男に。

自分では、ささやかな報復のつもりだった。ダイナ本人には勝てないから、せめて、彼女の大事なものを奪ってやろうと。

いいえ、本当に奪うことなどできはしないけれど、わずかなりとも、この男に爪痕を残せたら。そのことが、いつかダイナを苦しめることになれば。

でも、わたしはシレールに癒された。初めて、女として振る舞うことが嬉しいと感じられた。

美しいドレスを着て、揺れるイヤリングを下げ、彼とダンスすること。

蝋燭の光の下で向き合って、ワインで乾杯し、美味しい食事を楽しむこと。

ほろ酔いのまま、強い腕に抱き上げられて、ベッドに運ばれること。

優しくされるのが嬉しい。甘えられる時間が好き。もはや組織内で出世することよりも、彼との時間を作ることの方が大事になっている。

こんなざまで、もしダイナに会ったら、どうすればいいのだろう。

いえ、悩むまでもないことか。ダイナが怒って、わたしを追い払おうとすれば、シレールも当然、それに応じるだろうから。彼にとってわたしは、たまたま情けをかけた捨て猫のようなもの。ダイナの心情を害するよりは、わたしを捨てる方を選ぶに決まっている。

そう思いながら、またしても彼と会うために、湖畔の屋敷へ向かっていた。あと何日の猶予かわからないが、ダイナが乗り込んでくるまでは、わたしがシレールを独占できる。

彼は最初から、わたしに甘かった。雨の中で、哀れな捨て猫を拾ったかのように。

わたしもまた、その甘さにすがってきた。まるで、父に甘える娘のように。

それが、わたしの弱点。実の父に見放された痛みを、他の誰かに癒してもらおうとする。そうわかっていて、止められない。砂漠で迷った旅人のように、やっとたどり着いた泉水から離れられないのだ。やがてここにも、苛酷な砂嵐がやってくるのだろうに。

***

車を屋敷の地下に入れ、階段を上がって、お気に入りのバルコニーに出た。湖面は冬の灰色に閉ざされ、岸辺に打ち寄せられた枯れ葉も茶色く縮んでいる。

紫のワンピースの上に、厚手のベージュのコートを羽織っていて丁度いい。足元は、同じベージュのハイヒール。

市民社会にいた頃、こんな靴を履いたことはなかった。女らしいドレスを着ることもなかった。金のイヤリングや、真珠のネックレスを愛用することも。甘い香水を身にまとうことも。

辺境に出て、初めて〝女装〟できるようになったのだ。

学生時代は、ひたすら強さを目指していた。髪は短く、着るものは質素にし、女学校での貴重な〝男役〟に納まっていた。

でも、そんな突っ張り、本物の男の前に出たら、何の意味があるというのか。

噂に聞く〝リリス〟なら、強さと女らしさを共に持てるのかもしれない。でも、わたしには無理だった。もう、疲れることはしたくない。女として暮らしたい。違法組織の幹部として振る舞うだけで、十分な重荷なのだから。

今夜は暖炉に火を入れて、その前でシレールと寝そべって過ごしたい。カクテルを片手に、好きな映画や小説の話をすればいい。

そのうちに彼が、わたしを抱き上げて寝室に運んでくれる。彼の腕の中でなら、身をくねらせ、甘い声を上げる自分を許すことができる。

灰色の顔をしたアンドロイド侍女が現れて、何か用はないかと尋ねてきた。管理システムの末端である機械人形だから、気を遣う必要はない。

わたしは紅茶をもらうことにして、暖かい室内に入ろうとした。じきに日が暮れる。小惑星都市には、人工的に導かれた陽光しかないけれど。夜になれば、繁華街の明かりが遠くにきらめくのが見える。

その時、屋内から誰か出てきた。この屋敷で、シレール以外の人間を見るなんて。

くるくるの赤毛をショートカットにして、大きな緑の目をした若い女。白いタイトなワンピースに、丈の短い革のジャケット。すんなりした足には、茶のショートブーツを履いている。

わたしは息を止め、立ち尽くした。ダイナも止まり、数メートルの間をおいて、わたしと睨み合う。背丈はわたしの方が少し高く、ハイヒールの分もあるから、こちらが見下ろす形だけれど。

懐かしい、と感じるのは変だろうか。

わたしはダイナのことを、本当には覚えていないのだ。ただ、後から見せられた記録の数々や、こっそりつけていた日記を元に、当時の状況を自分なりに組み立て、知ったような気になっているだけのこと。

その記録のダイナと、目の前にいるダイナは、たいして変わらない。女学校の制服姿とは、洗練度が違うだけ。いえ、顔つきが、やはり大人びている。それは、探るようなまなざしのせいだろうか。

「やっぱり、泉なのね。そうだったのね」

あっさり断定された。多少の整形はしていても、身長や骨格はそのままだから、全体の雰囲気はそう変わっていないのだろう。自分では、別人のように女らしく、美しくなったつもりでいたけれど。

つい、皮肉な笑みが浮かんでしまう。こうなったら、意地を張り通すしかない。

「わたしを殺しに来たの?」

ダイナがその気なら、わたしは勝てない。ここはダイナの一族の屋敷だから、管理システムもアンドロイドたちもダイナの味方だ。

ダイナはぶるっと首を振った。真正直なところは、変わっていないのだろう。

「まさか。そんなこと」

それなら、わたしはまだ生きられる。ダイナは、つまらない嘘をついたりしないだろう。そんな必要などない身分なのだ。正直は、特権階級だけに許される贅沢。

「あたし、泉が辺境に出てきたのは、わかる気がする。一生、山奥の施設に押し込められたままなんて、我慢できなくて当然だもの。たとえ町に降りられても、仕事は制限されるだろうし、周囲にも敬遠されるだろうし」

わたしの顔には、うっすら、苦笑が浮かんだと思う。そこまでは、許してもらえるわけか。

「だけど、あなたが、どうして、兄さまと」

憤りを押さえられない声で、ダイナは言う。白いドレスの横で、ぎゅっと拳を握りしめて。

もしかしたら、わたしは既に、勝利しているのかもしれなかった。ダイナが愛する男を、わたしは横取りしたのだ。ほんの一時のこととはいえ。

「シレールとつながっていたら、いずれ、あなたにも会えるでしょう」

最初は確かに、そう思っていた。リザードがあちこちに配置しているスパイの一人に、わたしもなっただけ。そこに、たまたまわたしの私怨が重なっても、問題はない。

けれど、そのうち、ダイナのことは遠景に消えてしまった。わたしは自分が優しくされたい男性に、出会ってしまったのだ。自分が真に求めていたものが、市民社会ではなく、辺境の違法都市で得られたことだけが、運命の皮肉。

「じゃあ、兄さまのことは、ただ利用しただけ?」

そんなに器用な性格ではない。嫌いな男に甘えるなんて。

「いいえ。今は、彼を愛してる」

誰に信じてもらわなくても、構わない。シレールと一緒にいたいという気持ちには、何の嘘偽りもない。

市民社会にいた頃の自分の方が、嘘つきだった。誰よりも、自分に嘘をついていたのだ。強いふり。信念のあるふり。

だから、生きていることが苦しかった。

努力は重ねていたけれど、心底から強くなりたかったのではなく、ただ、父に振り向いてほしかっただけ。優等生のふりをしていたのは、自分の居場所を守るため。

護衛任務を引き受けたダイナや、何十年も戦い続けている〝リリス〟のように、正義を実現しようという意欲はなかった。

弱いわたしを認め、愛してくれる人がいれば、それでよかったのだ。それに気がつくのが遅かったから、こういうことになっている。

ダイナは、わたしに刺されでもしたような顔をした。何か言うかと思ったのに、後退り、くるりと背を向けて立ち去っていく。やがて、地下から出た車が、湖畔を走り去っていくのがわかった。

わたしは、ダイナを傷つけたのだろうか?

そう思っても、何も嬉しいとは感じない。ダイナが逆上してわたしに掴みかかったり、殴りかかったりしたら、その方が嬉しかったのだろうか?

ダイナと入れ替わるように、シレールの車が来た。彼はダイナが来て、去ったことを知っているらしい。居間にいるわたしの所に来て、

「ダイナと、何か話せたのか」

と尋ねる。あえて、そのための時間を作ってくれたのだろう。

「少しだけ」

どうせ屋敷の警備システムに、録画がある。シレールが様子を知りたければ、それを見ればいい。

「わたし、まだここにいていい? それとも、出ていった方がいい?」

怖いことを尋ねてしまった。出ていけと言われたら、わたしはどうするつもりだろう。この湖に、身を投げればいいのだろうか。どうせ、死ぬことなんかできず、泳いで上陸してしまうだろうに。

「おいで」

シレールは両手を広げ、わたしを抱き寄せてくれた。わたしの髪を撫でながら、静かに言う。

「きみを、遊び相手にしたわけではない。ダイナも大事だが、きみのことも、守るべき相手と思っている。ここはもう、きみの家でもあるんだよ」

安堵で力が抜け、ずるずる崩れ落ちそうになる。そのわたしを、シレールはしっかり支えてくれた。

それなら、ダイナがどう思おうと、わたしは生きていける。涙が溢れて、止まらない。以前のわたしなら、人に泣き顔を見せるくらいなら、死んだ方がましだったのに。

「よしよし、いい子だ。わたしがいるだろう。大丈夫だよ」

シレールが頭を撫でてくれ、自分のハンカチで頬をぬぐってくれた。

これは奇跡だ。いつか、彼を失う時が来るかもしれないけれど、この奇跡に出会わないまま、一生を終える可能性もあったのだから。

「わたしに、少し時間をくれるね?」

シレールが、何かを決意している態度で言った。

「きみもダイナも、両方失わなくて済むように、何とかしてみるつもりだから」

シレールが待てというのなら、わたしは待つ。信じて待つしか、わたしにはできないのだから。

   泉編6へ続く

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