恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー 泉編』7
泉編7 8章 ミカエル
「そうか。そういうことなら、ダイナとシレールの邪魔はしないでおこう」
久しぶりに帰郷したリリーさんとヴァイオレットさんは、マダム・ヴェーラや麗香さんに挨拶した後、ぼくの桔梗屋敷に遊びに来てくれた。
シレールさんを巡る三角関係は、いずれ穏便に決着がつくだろうとぼくは話した。これがダイナさんの乗り越えるべき試練だという点も、リリーさんたちと共有できた。
「あの子ももう、子供とは言えなくなったもんね。それどころか、総帥の座を継がなきゃならないんだから。恋敵の一人や二人、抱え込む度量がないと」
とリリーさんはおおらかに言う。リリーさんならたぶん、ハレムを構えるくらいの度量があるとぼくは思うが、それを許さない人が側にいるから、ぼくは撤退せざるを得なかったのだ。
ふと、思うことはある。もしもぼくが人間のままでいて、リリーさんと暮らすようになっていたら、どんな日々だったろうか。
きっと、幸福の絶頂と絶望の地獄の間を行き来する、ジェットコースターのような毎日だったろう。
リリーさんが危険にさらされる度に寿命が縮み、生還してくれる度に天に感謝する。ぼくは自分に十分な力がないことを嘆き、悪魔に魂を売ってでも、リリーさんを守りたいと願ったはずだ。
だから、こうなることはむしろ必然だった。ぼくは、望んで堕天したのだ。
悪魔の側に堕ちたからこそ、いつまでもリリーさんを愛することができる。
「紅泉、あなたが総帥を引き受ければ、ダイナに重荷を負わせなくて済むのよ」
とヴァイオレットさんは微笑んで言うが、根っから自由人のリリーさんには、そんな制約だらけの生活は、とても耐えられないだろう。
それはヴァイオレットさんにもよくわかっていて、からかうつもりでそう言うのである。
「あたしより、シヴァが戻ってくれればねえ。ダイナの助けになるのに」
リリーさんは、あえて言う。彼の名前をヴァイオレットさんが聞きたくないのは、よくわかっていて。
シヴァは現在、ハニーの元で《ヴィーナス・タウン》の番犬と化しているが、それはこの二人の知らないことである。いつ彼らが再会するのかは、麗香さんの考え次第だ。
そもそも麗香さんにどんな構想があるのか、ぼくにはわからない。ぼくのような超越体の弟子を育て、旧人類の世話をさせておき、いずれは全人類を超越化の道へ案内させようとするのか。
それとも、気に入った者だけを残して、人類を刈り込もうとしているのか。そこから、新たな理想郷を築こうとしているのか。
今の人類が、進化の失敗作だと思っているのか、あるいは、これでいいと思っているのか。
麗香さんがどちらへ向かおうと、ぼくには止められないが、それがリリーさんを怒らせるような方向だったら……いや、そんなことにはならないと思いたい。リリーさんこそ、麗香さんの自慢の作品なのだから。
「リリーさま、お夕食のご希望を伺いたいのですが」
セイラに呼ばれて、リリーさんは気軽に立ち、厨房についていった。その間、庭を眺める和室に残ったヴァイオレットさんは、ぼくに白い顔を向けて言う。
「わたし、あなたには謝らないわよ」
そう口にするだけ、敵意は和らいでいる。ぼくが年に一度か二度の逢瀬で我慢していることを、それなりに評価してくれているからだ。
ぼくも、うっすら微笑んで言う。
「あなたに謝ってもらう必要は、ありません。ぼくがリリーさんを愛することは、誰にも止められませんから」
リリーさんを害する者がいれば、ぼくが間に合うように発見して、対処する。あえて攻撃させてから潰すか、未然に潰すかは状況次第。
リリーさんが市民社会の英雄でいられるように、時々は危険が降りかかった方がいい。だが、命を失うような危険は防ぐ。それが、麗香さんに与えられたぼくの使命。
今ではもう、ただの人間に戻りたいとは思わない。人間が進化の階梯を遡り、海の魚に戻りたいと思わないのと同じこと。
たった一つの肉体に依存して生きるなど、あまりにも運任せで恐ろしい。麗香さんに選ばれて、幸運だったのだ。
このまま数百年、数千年が過ぎれば、ぼくも超越体として生き続けることに疲れてしまい、永眠したいと願うかもしれないが、まだ当面はこのままでいい。
人類社会を裏面から操ることは、知的なパズルのようなものだ。いつか、人類そのものに関心を失うまでは……
泉編7 9章 ダイナ
どうしよう。あたし、シレール兄さまが怖い。
姿が見えないと寂しくて、夕方になって帰宅してくれるととても嬉しいのに、近付いてこられると全身の産毛が逆立つようで、飛び上がって逃げてしまいたくなる。
食事だけは何とか一緒にできるけれど、その後、ダンスをしようと誘われると、忙しいとか、疲れているとか言い訳して、自分の部屋に逃げ込んでしまう。
いい加減、変に思われるわ。
いえ、とっくに変なんだけど。
考えてみたら、あたし、男性とまともに付き合ったことがない。これまで、仕事を覚えるのに懸命で、そんな余裕はなかった。それに、特に惹かれる男性もいなかった。仕事で接触した誰かに口説かれても、平気で断っていた。
いつも、内心でシレール兄さまと比べていたからだ。兄さまの方が教養がある。視野が広い。冷静で頼もしい。料理も上手。
あたしの男性の基準というものが、兄さまなのだ。泉もファザコンだったらしいけど、あたしもそうだということね。
問題は、兄さまが父親じゃなくて、もしかしたら、恋愛対象になりうること。
だから、全身の皮膚が敏感になってしまって、兄さまがたとえお休みのキスをしようとしただけでも、近付かれることに耐えられない。
ちょっとでも触られたら、悲鳴をあげてしまいそう。その場面を想像しただけで、心臓の鼓動が乱れてしまう。
ミカエルに通話で相談したら、軽く笑われた。
「ぼくもそうですよ。リリーさんの姿を見るだけで、平常心がなくなります。でも、それがまた幸せなんだと思いますよ。そういう相手がいるってことは、奇跡的なことだと思いませんか?」
だけど。
兄さまには、泉がいるのよ。何年も続いている恋人が。
月に一度か二度、今日は泉が来ると、兄さまから知らされる。その日、あたしはセンタービルに泊まるようにして、湖畔の屋敷には近付かない。同僚たちとバーで飲んだり、話題の映画を見たり、プールで泳いだりして、なるだけ頭を空っぽにする。
二人が一緒にいる姿を想像すると、頭がぐらぐらして、おかしくなりそうだから。思わず、壁に頭を打ち付けてしまって、自分で呆れることがある。
ダイナ、あなた、どうかしてるわよ。
いっそ、ここを出て、夢の王子さまを探しに行ったらどうなの。どこか他の違法都市に、運命の相手がいるかもしれないでしょ。
でも、兄さまから離れる決心は、とてもできない。
そんな決心、したくない。
あたしが遠く離れている間に、兄さまがどこかの組織に狙撃されたり、吹き飛ばされたりしたら、どうするの。
まあ、あたしがいても、そんな事件を防げるとは限らないのだけれど。少なくとも、防衛艦隊を鍛え上げたり、警備部隊の様子を監視したりはできるのだから。遠く離れてしまうより、心は安らかだわ。
***
季節は春に向かい、花壇ではクロッカスが咲き、チューリップの芽が伸びてきた。梅が終わると寒さがゆるみ、光が強くなるよう、気候調整されていく。
仕事で忙しい毎日でも、春の到来は嬉しかった。湖岸の森には桃や桜が咲き始め、小道には菫の花が群れをなす。黄色い山吹が、あちこちの茂みを明るく彩る。
仕事が一段落した午後、兄さまにお花見に誘われた。断る口実がないので、兄さまから数メートル離れて、ゆっくり歩いていく。
屋敷の周辺の森には遊歩道が通っていて、季節の花が楽しめるようになっていた。濃いピンクと白の豪華な花をつける花桃。頭上高くで白や、淡いピンクの花を咲かせる桜の大木。
湖面が見られる場所には、どっしりした木のベンチもある。私有地の内側だから、他人が入り込むことはない。
たまに桜の花が散りかかる中、兄さまに促されてベンチに座った。兄さまは横に座り、あたしの方に上体を向けて言う。
「ダイナ、大事な話をするから、最後まで聞いてほしい」
もしや、泉のことでは。たとえば、泉が妊娠したとか。
自分で想像して、震え上がる気がした。そんなことになったら、兄さまが完全にそちらの方を向いてしまう。
だって、兄さまはきっと子供を望んでいる。無理に押しつけられたあたしのことさえ、あれほど真剣に育ててくれたんだもの。
そうしたら、当然、泉を一族に迎え入れるという話になる。あたしには、反対する権利がない。子供には、家庭が必要なのだし。
兄さまの手が、あたしの手に重ねられた。思わず手を引っ込めようとしたけれど、ぎゅっと力を込めて握られてしまい、逃げられない。
「ダイナ、おまえはまだ若い。だから、焦る必要は何もないと思っているだろう」
え、あたしが何を焦るって?
「だが、わたしはもう若くない。市民社会の基準で言えば、立派な老人だ。それに、明日、何かがあって、そこで人生が終わるかもしれない」
兄さまったら、何を言ってるの。遺伝子操作を繰り返してきた一族の中では、一番下の第四世代じゃないの。だから、第二世代の大伯父さまや、お祖母さまたちに期待されているんでしょ。第三世代の伯父さま、叔母さまたちだって、重荷の一部を預けられてほっとしているわ。
「だから、今日、話すことにした。わたしは、人生の伴侶が欲しいと思っている」
途端に、あたしの心臓が跳ね上がる。
逃げたい、聞きたくない。泉と結婚するなんて。
「一族の中にいて、それなりに安定した暮らしをしているが、それでは足りない。足りないものは、妻と子供だ。ずっと、それが欲しいと願っていた。サマラを失わなければ、もっと早くそれが実現できたのに」
手が汗ばんできた。兄さまは、サマラおばさまを失った痛手を癒やすためにも、泉を妻にすると言うのでは。そして、あたしに、それを祝福しろと言うのでは。
いや、それは聞きたくない。
でも、この手を振りほどく力も出ない。
あたしが逃げたって、兄さまの決心は変わらないだろう。だったら、せめて、泣きわめくことだけは避けたい。醜態をさらしたら、泉に笑われる。
「おまえはまだ、そんなことを考える年齢ではないだろうが、少なくとも、約束だけは取り付けておかないと、わたしは心配で夜も眠れない」
約束だけ……?
「わたしが気長に待っているうち、他の誰かが、おまえの人生に入り込むかもしれないだろう。そして、おまえをさらっていくかもしれない。そんなことになったら、今日まで耐えた意味がなくなってしまう」
え、誰が何ですって。兄さまが、何を耐えたっていうの。誰が、あたしをさらっていくって?
何か、違う話の流れになっていない?
でも、今、自分の判断力に自信がなくて、問い返せない。あたしは何か、自分に都合のいい幻聴を聞いているのでは。
兄さまが片手であたしの手を握ったまま、片手で薄い小箱を開いていた。大きなルビーの嵌まった、金の指輪が輝いている。ルビーの周囲には、小さなダイヤが花びらのように配置されている。
なんて綺麗なの。炎が燃え立つよう。よくある合成石ではなくて、貴重な天然石だわ、きっと。
指輪に見とれているうち、何か、言われたと思う。でも、言葉が耳を素通りして、事態がわからない。
ただ、どうやら兄さまが、あたしにその指輪を差し出しているらしい。あたしの薬指のサイズに合わせた、と言っているように聞こえる。
「あの、あたし……あたしがこれ、もらえるの?」
あやふやなまま尋ねたら、返事が聞こえた。
「この石が気に入らなければ、新しく作らせる。将来、わたしと結婚してくれる気があれば、婚約指輪として受け取ってほしい」
えーと。
えーと。
頭の中がぐるぐるして、考えがまとまらない。これって、もしかして、プロポーズ? あたし、兄さまに必要とされている? 何か都合よく、話を誤解しているわけではないわよね?
兄さまは、なおも話し続けた。あたしを育てている間、ある時点で、
(この子をいつか、他の男に渡すことには、耐えられない)
と感じたこと。それから意識して、あたしを突き放す努力をしたこと。そうしなければ、将来、異性として見てもらえる望みがなくなると思ったから。
おまけに、とどめの台詞。
「もし、間違って、おまえが子供のうちに手出しをしてしまったら、紅泉に蹴り倒されて、土の下に埋められていただろう。おまえが一人前になる日を待つのは、かなり忍耐の要ることだった」
あたしはまるっきり馬鹿になったみたいで、言葉が出ない。周囲はみんな、知っていたというのだ。シレール兄さまが、あたしを未来の花嫁にと望んでいたこと。
気が抜けて、溶け崩れてしまいそう。悲しい話じゃなかった。それどころか、夢みたい。
兄さまはずっと、あたしを愛してくれていた。長い年月、あたしの成長を見守りながら……
あれ、でも、ちょっと待って。
「泉は!? 泉のことは!?」
あたしが真正面から問うと、兄さまはあたしの手を離さずに言う。
「泉のことも大事に思っているが、おまえが許してくれないのなら、やむを得ない。泉とは別れよう」
あれ?
あれ?
だって泉は、兄さまを愛していると言ったのよ。泉はそんなことで、嘘や冗談なんか言わない。
兄さまだって、泉が可愛いからこそ、今日まで何年も……
あたしは急に立ち上がった。ようやく、頭がはっきりする。兄さまがあたしの手を握ったままなので、ベンチからは離れられないけれど。
兄さまの端正な顔を見下ろして、あたしははっきり言った。
「そんなの、だめ。泉には、兄さまが一番の頼りなのよ。これまで通り、守ってあげて」
ここは市民社会ではない。無法の世界だ。違法組織の中での地位なんて、いつ覆えされても不思議ではない。いざという時、泉が本当に頼れるのは兄さまだけだ。
辺境には、女が信頼できる男はごく少ない。
泉を捨てるなんて、絶対にだめ。兄さまにそんなことをさせたら、あたし、自分を許せない。
今日こそわかった。あたし、泉に会わなければ。そうしないと、前にも後ろにも動けない。もっと早く、そうするべきだった。あたしは愚かにも、あたし個人の心配ばかりしていたから、身動きとれなかったのだ。
何て馬鹿なんだろう。紅泉姉さまに迷いがないのは、いつも人のために動いているからだ。あたしは、そういう姉さまに憧れ、手本にしてきたのではなかったか。
「兄さま、返事は保留にするわ。あたし、泉に会って話をするから。すぐに連絡して、泉を呼び寄せてちょうだい」
兄さまは驚いたようだけれど、既に、あたしの腹は決まっていた。あたしが泉を説得できれば、あたしたち三人とも、幸せになれるのだ。
辺境は、何でもありの世界。
だったら、夫が一人で妻が二人でも、何が悪いというの。当事者が満足していれば、それで充分のはず。
それにしても、兄さま。話が長いわ。黙ってあたしの唇にキスしてくれれば、それで済んだことなのに。
泉編7 10章 シレール
花嫁は二人とも、この上なく美しかった。
二人とも白いドレスを着たが、ダイナの方は淡い緑のヴェール、泉の方は淡いラベンダー色のヴェールだったから、列席者にもわかりやすかっただろう。
式は、一族の中だけで簡素に行った。紅泉と探春の都合がつくのを待ったので、ダイナに婚約指輪を渡してから、半年ほどはかかったが。
その間も、ダイナとは同じ屋敷で寝起きしていたから、寂しくはなかった。ただ、ダイナと寝室を共にするのは儀式が済んでから、と決めていたので、クリスマスを待つ子供のように、そわそわと、待ちきれない思いで過ごしていた。
この年になって、それほど待ち遠しい何かがあるとは、幸福なことだ。夜、満ち足りた思いで目を閉じることができ、朝、目覚めるのが嬉しいとは。
泉の移籍に関しては、わたしも動いたが、どうやら最長老の意を受けたミカエルが、密かに工作してくれたらしい。さしたる問題もなく、あっさり身柄を引き受けることができて、安堵した。これで泉は、一族の一員ということになる。
もっとも一族の中では、疑問の声もあった。
「ダイナが正妻なら、泉という娘は愛人でもよいのではないか」
「先にダイナと結婚しておいて、泉は後から第二の妻として迎えてもいいのでは」
夫が一人で妻が二人という、変則的な結婚だから、一族の年配者たちの心配もわかる。しかし、ダイナの希望なのだ。自分と泉を同等に扱ってほしい、ということは。
泉はしばらく、半信半疑のままだった。ダイナが本当に、自分を歓迎してくれるのかどうか。また、古い歴史を持つ一族が、自分を身内と認めてくれるのかどうか。
しかし、一度覚悟をつけたダイナは、終始ほがらかで、泉を迎える準備を率先して行っていた。
「屋敷の基本設計は、あたしにやらせてね」
と言い、《ティルス》に構えることになる新居について、あれこれ手配を進めている。わたしの住む中央棟の左右に、対称な棟を二つ配置した構成にするらしい。わたしが日々、どちらの棟の妻を訪ねてもいいように。
「食事は、中央の棟で一緒にすればいいでしょ。そのうち子供が生まれたら、屋敷中駆け回って、賑やかになるわよ」
泉もやがて、ダイナの言動に裏表がないことを納得した。ダイナはそもそも、活力に満ち溢れ、向日葵のように陽性の娘なのだ。何か悩もうとしても、すぐそれを突き抜けてしまう。
「あなたが、それでいいというのなら……」
結婚式を前にして、泉が頼りなさげに言った時、ダイナは泉の両手を握りしめて、ぶんぶん上下に振ってみせた。
「いいに決まってるでしょ? あたしも嬉しいのよ。あたしに何かあっても、あなたが兄さまを守ってくれるもの!!」
そもそも、大人に囲まれて育ったために、同じ年頃の友達というものに飢えていた子だ。女学校でリーレンや泉と知り合った時、どれほど嬉しかったか、わたしにも想像がつく。
それなのに、辺境からの介入で、少女たちの友情は無残な結末なってしまった。ダイナは、泉の人生を台無しにしてしまったという後悔を、ずっと引きずっていたのだ。それをこれから取り返せるなら、我々にとって、理想的な再出発だといえる。
いや、わたしとしては、途中から密かに、こういう結末を思い描いていたのだが。まさか本当にうまくいくとは、驚きだ。
「まあ、当事者が満足なら、それでいいよ」
濃紺のドレスで結婚式に参列した紅泉は簡単に言い、わたしの腹に、軽く拳を突き入れてきた。
「うまくやんなよ、この幸せ者!! 二人とも大事にね!!」
彼女なりの祝福の気持ちだとわかっているが、それにしても、馬鹿力なのだから、もう少し加減してくれてもよさそうなものだ。
「まあ、昔の王侯貴族は、大勢の愛人を抱えていたのだから、妻の二人くらい、きみなら公平に愛せるだろう」
というのは、第二世代のヘンリーやマーカス大伯父たちだ。彼らはそれぞれ、ただ一人の妻を大事にしているが、それでも、時にはこっそり、他の女性に憧れることもあるらしいから。
「あなたが幸せなのを見て、わたしも嬉しいわ」
と微笑んだのは、サーモンピンクのドレスの探春だ。この娘こそ(幾つになっても、わたしからは、年下の可愛い従姉妹だ)、いつまでも報われない片思いをしているようなものだが、紅泉は紅泉なりに、探春を守り通そうとしている。恋愛対象ではないとしても、人生の伴侶として。だから、この二人はこれでいいのだろう。
紅泉がせっかく、ミカエルという相手に巡り会いながら、探春に遠慮して彼を遠ざけなければならなかったことを思うと、何とも痛ましく、残念な気がするが……
彼らのことは、彼らのことだ。わたしはこれから、二人の妻と暮らしていく。その暮らしを守るために、全力を傾ける。
いずれダイナは、一族の総帥の地位を引き継ぐだろう。わたしと泉が補佐をすることで、一族の繁栄が続いていくといい。
「もう、ことさら、遺伝子操作をしようとは思わないのよ」
と話してくれたのは、ボルドー色のドレスを着た最長老だ。真珠が似合う、麗しい黒髪の美女だが、辺境の戦い歴史の中で一族を守り抜いてきた、冷徹な実務家でもある。
「これまで、理想の強化体目指して、あれこれ実験を重ねてきたわ。知能、体格、気質。あなたたち第四世代で、ほぼ理想の姿に到達したと思っているの」
それに付け加えることは、もうない、というのだ。あとは個性の違いだけだと。
「だから、あなたとダイナは、自然に子供を作ればいいでしょう。もし何か不都合が生じるようなら、後から治療します。泉との間の子供は、受精した後にわたしに託してくれれば、バランスのいい強化を施せるでしょう」
彼女の関心は、もはや人間を超えた何かにあるのではないか、という気がする。だから、我々の子供たちのことは、おまけ程度の課題にすぎないのだ。
彼女がいま関心を持っているのは、ミカエルのような特殊な存在ではないか、という気がする。成人男性になることを拒絶して、少年のままでいることを選んだ少年。
彼は麗香大姉上の弟子という格付けで、一族の研究開発業務を仕切るようになっている。我々の知らないうちに、ミカエルの力がどれだけ増大していることか。
単に知能を強化されたというだけではなく、もっと何か……底知れない存在になりつつあるのではないか、という気がするのだが。
確証はないし、ミカエル本人も、余計なことは語らない。ただ、結婚式の会場で紅泉に会うと、にこにこして、
「リリーさん、そのドレス、よくお似合いですよ」
と愛情を込めた目で見上げるだけだ。紅泉も目を細めて、
「ミカエルこそ、王子さまのようよ」
と礼服の美少年を見下ろしている。彼らの未来は、彼らが決めればよい。わたしはただ、一族の業務を引き継ぎ、これから生まれるだろう子供たちのために、《ティルス》と姉妹都市を守っていくだけだ。
サマラ、見ていてくれるか。わたしは自分の家庭を持つ。長いこと望んで、待ち続けていた日々が始まる。この幸福が一日でも長く続くよう、どうか見守ってくれ。いつか、わたしが、そちらの世界に行く日まで。
泉編 了
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