やっちゃば一代記 実録(29)大木健二伝
やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
キティ台風
「ミスターオオキ!コーンを八千本用意してクダサイ!」
ピーマンの産地開拓で信用を得た大木に米軍から大量の注文が入った。
納期は九月半ば。大木は近場の産地を探したが、これだけ大量のトウモロコシを用意できる産地はなかなか見つからない。ようやく岩手県に適地を探し出し、種や肥料を揃え、自ら出向いて栽培指導にも当たった。大仕事だけに収穫時期が楽しみだった。
昭和二十四年八月三十一日、ラジオが「キティ台風は午前十時頃八丈島を通過後、進路を北寄りに変えました。」と告げていた。「北上しないでそのまま大陸に抜けてくれないものか・・・?。」大木は祈った。が、昼過ぎから風がにわかに強まり、夕刻には暴風になった。キティ台風は神奈川県の小田原付近に上陸した後、新潟県の柏崎付近を通って日本海に抜けた。
不安は的中し、トウモロコシ畑は全滅した。すべてが風でなぎ倒され、泥水に浸かっていた。家畜の餌にもならず、廃棄するしかなかった。大木は当時のお金で数十万円の損害を被った。
※当時の一万円が現在の価格にすると約十五万円から二十万円であるから推して知るべしであろう