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やっちゃば一代記 思い出(9)

大木健二の洋菜ものがたり
 絶滅の危機
アーティチョーク
 私が市場に勤め始めた昭和八年にはもう顔を出していました。
古くから国内生産されていた野菜です。異様な姿形にくわえて出回る時期が二ヵ月くらいに限られていたため、人目に触れる機会も少なかったのです。
また、バカの一つ覚えみたいに、茹でたあとドレッシングかマヨネーズでしか食べられてこなかったので、いまだに普及していません。
 市場で初めて業務用に販売されたアーティチョークは、ある業者が帝国ホテルに納めた五十個でした。一人一個の割合で五十人のパーティーに使われました。その頃はフィンガーボールの水を飲んでしまう人が珍しくなかった時代。アーティチョークを使っていたのは、ほかに横浜グランドホテル、
上野精養軒、東洋軒ぐらいでした。また、ヨーロッパで修業したコック以外は調理法を知らなかったはずです。
 当時国内で生産していたのは神奈川県三浦の武藤收さんだけでした。武藤さんが止めてしまったら数十年の伝統を持つ国産のアーティチョークは潰えてしまうのではないかと不安でした。イタリアではアーティチョークの消費量は上から三番目。日本ならタマネギやダイコンに相当する大衆野菜です。
イタリアに行く度に、何とか日本で百番以内に入るまで盛り上げたいとの思いは膨らむばかりでした。
 実はこの野菜、煮ても、焼いても、蒸しても、揚げてもおいしいことが、あまり知られていません。かつて、あまりに人気が無いので、アーティチョークの花を売った事さえありました。花のほうが高く売れたくらいですが、やっぱり花の咲いたのは実が硬くておいしくありません。
 そこで1996年、アーティチョークをもっと馴染める野菜にしようと新品種をイタリアから導入、国内栽培をしてもらい、ようやくお披露目できるまでになったのです。〔トスカーナパープル〕という種類です。煮込むとおいしく、茎まで食べられます。いまでこそ野菜生産額でトップになったトマトにしても出始めはアカナスとかキチガイナスとかいわれ、観賞用しかなかったのです。アーティチョークだって大衆野菜になれないことはないと信じていたのです。

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