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やっちゃば一代記 実録(46)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 マコモの輸入
オリンピックできれいに舗装された国道二四六号線、通称青山通りを渋谷に向かって、赤坂見附を過ぎたちょっと先が豊川稲荷である。大木は豊川稲荷の近くという上海に本店を置く中国商社のドアを叩いた。
十数年ぶりとはいえ、大木の北京語は錆びついてはいなかった。
話は早かった。上海から【マコモ】を買い付ける商談はすぐにまとまった。この【マコモ】が大木の初めて手掛けた輸入野菜となるが、当時一介の市場業者が野菜輸入に手を染めるのはリスクが大きすぎた。しかも相手が社会主義国家の中国である。
案の定、【マコモ】の第一便はとんでもないものだった。
【マコモ】は下部は白みで上部が青みになって売られているのが普通だが、箱からでてきた【マコモ】は白いものばかり。青みのの部分はすっかり切り落とされていたのだ。「大木は悩みものを買い付けた!」と周辺から揶揄された大木は「青みのところを切り落とすな!」と、商社に切り込んだ。
ところが、「オオキサン、ドウセタベルノハシロイブブンデショ、コノホウガタベヤスイデス。」と切り返してくる。
「ここは日本だ!日本では見た目が良くないとダメなんだ!」大木は中国語と日本語を交え、こめかみに青筋を立てて言い張った。
しかし、第二便も白いだけの【マコモ】だった。開いた口が塞がらなかったが、入ってきてしまったものは仕方がない。何とか納め先に引き取ってもらおうと、出血販売したのだった。
  ※悩みもの・・市場用語で「もがき」と「悩み」があり、不作で野菜が      
       不足したとき仕入れに力を入れることを「もがき」
       反対に豊作で売れないときや、人気のないものを「悩み」
       というのである。

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