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『GOOD MEMORYS』
私はケーキが好きだ。誕生日やクリスマスはもちろんのこと、頑張った日や疲れた日に、自分へのご褒美で食べることが多い。
今日も私はお気に入りの製菓店で、ショーケースの前に立って悩んでいた。
「お決まりになったら声をおかけください」
営業時間終了ギリギリになってやって来た私に嫌な顔一つせず、すっかり顔馴染みになった店長さんが笑顔でそう言った。
「すみません、いつもギリギリで……」
「お気になさらないでください。いつも来ていただいてありがとうございます」
なんていい人なんだろうか。私はすっかり感じ入ってしまって、いつもより二つ多めに買おうと決めた。給料日前だけど。
私は改めてショーケースを見た。美しくデコレーションされた芸術品たちは、いつも私を迎えてくれた。
「あの、実は、この店、来月で閉めることになったんです」
「えっ」
「ご覧の通り小さな店で、すっかり不景気に煽られてしまって」
「そんな……」
この店は、いつ来ても三分の二ほどの商品がショーケースの中で買い手が来るのを待っていた。確かに経営がうまくいっているとは思えなかったけど、できたばかりの頃は地元の雑誌に載ったこともあったみたいだし、味は確かなのに。
「一定のお客様は確かに来てくださいますが、それだけではなかなかやっていけないもので……すみません、いつも楽しみに来てくださっているのに」
「いえ、そんな、教えてくださってありがとうございます」
私の心の中を映すように、楽しませてくてるはずのケーキたちの輝きが、寂しく見えた。
結局いつもより三つ多くケーキを買って、家路に着く。
箱を揺らさないように慎重に歩きながら、私はすっかり途方に暮れていた。
お店を見つけたのは、二ヶ月前。仕事に疲れ果てて、甘いものに飢えていた日だった。遅くまで開いていたお店の甘いクリームの香りにつられて入店し、買って帰ればその味の虜になった。どれも私の舌にあった最高のケーキだった。
この店のケーキが食べられなくなってしまったら、私はどうやって日々の疲れを癒せばいいんだろう。やっと見つけた最高のケーキだったのに。
でもきっと、あの店がなくなっても、次の月には新しい癒しを探しに行くんだろうな。なんだかその事実が、すごく寂しかった。
家に着いてすぐ、箱を開けて中に入ったケーキが無事か確認する。よかった。今日も崩さずに持って帰れた。過去に一度うっかり箱を落としてしまったことがあった。その時の悲惨さといったら。私の心もケーキもぐちゃぐちゃで、その日は寝るまで大荒れだった。
さて、晩ご飯をさっさと済ませてお待ちかねのケーキタイムだ。
今日私が買ったのは、王道のショートケーキにザッハトルテ、ミルクレープ、ティラミス、モンブランだ。
五個も買ってしまったが、ケーキは別腹。無問題。うーん、どれから食べようかな。こんな風に悩むのも楽しみの一つだ。
よし、ミルクレープから食べよう。
「いただきます」
ケーキフィルムをペリペリ剥がして、さあいくぞミルクレープ。フォークをすっと落として一口目。
「おいし〜」
うんうん。シンプルイズベスト。口の中に広がる生地の甘みとクリームの優しさ。食感もいい。ここの店は甘すぎず、クリームも重たくないのですいすいといけてしまう。あっという間に半分食べてしまって、後半はちょっと行儀悪いけど上の層から剥がして食べる。一枚一枚味わって、ちょっとずつ食べていく。ミルクレープにとってみればいやらしい食べ方だろうけど、私はこれが好きなので我慢して欲しい。人前ではちゃんと綺麗な食べ方をするから。
「あ、もうない」
最後の一枚。ゆっくり噛んで余韻を楽しんだ。
温かい煎茶でちょっと一息。
甘いケーキと煎茶は相性がいい。特にお寿司屋さんの粉末茶が美味しくて、ケーキにとっても合うので取り寄せている。これもケーキを食べなくなったら取り寄せるのをやめようかな。
「ふう」
次はどうしよう。ティラミスがいいかな。
四角いカップにスプーンをそっと入れてすくう。層になっているティラミスを、いかに綺麗にスプーンの中に収められるかが肝心だ。よし、ファーストアプローチ成功。よし来いティラミス。
「ん〜最高」
エスプレッソのほろ苦い風味と、カスタードとマスカルポーネが合わさったザイバオーネクリームのハーモニーはいつ食べても最高だ。上にかかってるココアパウダーもいい味出してる。ビスコッティではなくスポンジケーキを使用しているこのティラミスもまたちょうど良い甘さで。さすがだ。食べる度に元気が出てくる。
実はチーズは好きじゃない。唯一苦手な食べ物だ。だけど、ザイバオーネクリームとチーズケーキは好きだ。今までチーズケーキも食わず嫌いしていたけど、あの店に出会って、冒険してみたらとても美味しかったのだ。チーズってだけで嫌煙していてごめんマスカルポーネとチーズケーキ。君たちは今ではすっかり定番だよ。
カップの四隅までしっかり残さず空にして、ティラミスを美味しくいただいた。
一息。
しまっていくぞザッハトルテ。言わずと知れたチョコレートケーキの王様。つやつやのグラサージュと飾りのチョコレートが美しい一品。濃厚なチョコレートが口の中を幸せにしてくれる。挟まれたアプリコットジャムが良いアクセントになっていて、濃厚さをくどくないように引き立ててくれている。
「やっぱこれだよね」
チョコレートって、どうしてこんなに幸せな気持ちになれるんだろう。食べるのはもちろん、その響きを聞くだけで嬉しくなる。気づけば食べながら笑顔になっているので不思議だ。ずんずん食べ進めて、最後の一口。
いくら食べても飽きないこの味を、忘れるのは残念だな。
また一息。お茶が温くなったので淹れなおす。背伸びをして、さあ、あと二個か。
それいけモンブラン。これまた王道。和栗を使ったこだわりの小さな大山。その山の頂には雪のかかった大ぶりの甘露煮が。美しい螺旋のクリームに、スポンジケーキと底にはタルト生地。クリームだけじゃなく生地も美味しいんだなこれが。
「う〜ん、栗〜」
秋って大好き。だって栗が美味しいから。食い意地が張ってるのは百も承知。でも美味しいものはやめられない。人生の一番の楽しみって、私にとってはケーキを食べることだから。
最後の一息。結構食べたけど、まだいける。
さあさあラストだばっちこいショートケーキ。最後はやっぱりこれだろう。
「美味しい」
なんだかんだこれが一番なんだよね。
真っ白なクリームにふわふわのスポンジ。そして甘酸っぱい苺。これが私の幸せの象徴。
他のお店も良いけど、やっぱりこのお店に敵うのもはない気がする。ますます惜しくなってくる。この軽い生クリームはいくらでも食べられる。もう五個目だけど、まだまだ全然胸焼けしてない。これって結構すごいことだよね。気持ち悪くなったりもしないんだもん。やっぱり相性がいいんだな。
フォークが止まらなくて、寂しくなった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて、美味しいケーキを作ってくれた人たちに感謝。今日も美味しかったです。
それから私は一ヶ月間、三日に一度、お店に足を運んだ。さすがに毎日は来られなかったけど、少しでもあの味を心に刻んでおきたかった。
そして、最後の日。
「いらっしゃいませ」
「すみません、またギリギリで」
「良いんです。今日で最後ですから」
「そうですね……」
「どうかそんな顔をしないでください。いつもあなたがいらしてくださったおかげで、今までめげずに頑張ることができたんです。いつも幸せそうに買ってくださるから、こちらまで幸せな気持ちになって、とても励まされていたんですよ」
「そんな、大袈裟ですよ……私はここのケーキが好きなだけで……」
「大袈裟じゃないですよ。あなたが最後のお客様でよかった」
店長さんの笑顔はどこか晴れやかで、いまだに寂しさは拭えなかったけど、私も笑顔で最後のケーキ選びができた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、美味しいケーキをありがとうございました」
お互いに礼をし合って、店長さんは私を見送ってくれた。
「良いお店だったな」
箱を慎重に掲げながら、もう見ることができなくなるお店のロゴを見る。私にとって、最高の思い出になるそのお店は。
『GOOD MEMORYS』
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