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あなたといたいから。

 今日、カレシを部屋に呼んだのには理由がある。
 手料理を振る舞って、片付けて、ゆっくりとテレビを見る時間を見計らって、私は口火を切った。

「仕事、辞めようと思うんだ」
「なんで?」

 来る途中に買ってきたという雑誌を見るために眼鏡をかけて、啓介が聞いてきた。当然だ。
 
「やりたいことがあるの」

 正社員4年目。会う時間を確保するための定時上がりの事務員は、啓介と話し合って決めた仕事だ。結婚資金を貯めるために、生涯続けていくために、自分で決めた仕事でもある。未来のためにこつこつと続けてきた仕事。普通に、みんなと同じように、働いて、生きてきた証。

「何?」

 突然の申し出に、啓介が不機嫌になるのは想定内だ。計画的で道を外れることが大嫌いな啓介だから、もとより計画の頓挫は許さない。そうならないために二人で話し合ったし、こと仕事に関しては私の自主性を重んじてくれた。こうならないために、と。当時の私も、そう願っていた。
 ベッドとテーブルの隙間で、私はカレシに向き合う。

「ハンドメイドアクセサリーの販売」

 部屋の角には、パーツをしまうために買った新品のラックがある。テーブルの脇には道具の入った百均のオシャレな箱。作りかけのアクセサリーがのったトレー。気づけば、趣味で始めたアクセサリー作りが、生活の大半を占めていた。

「ああ、よく作ってたね」

 作ってるだけじゃなくて、売ってもいるんだけど。そう口にしないのは、売り上げが微々たるもので説得力にかけるからだ。売れ残っている商品も多い。

「趣味じゃ駄目なの? 仕事辞める必要ある?」

 啓介は雑誌を閉じた。でも横目に見るだけで向き合ってはくれない。

「ない」
「じゃあ、辞めなくて良いんじゃないの?」

 ぐうの音もでない正論に、私は姿勢を正した。
 普通、歴とした社会人が、大した実績もないのに夢のために仕事を辞めるなんて、考えられない。それは分かっている。と同時に、私は二つも三つも物事を抱えられない性分であることを分かっていた。そして今の私は、抱え込みすぎている。

「結婚、期待してる? しないよ」

 啓介の淡々とした口調に、息が詰まる。期待しているか聞かれたことより、しないという言葉に泣きそうになった。涙が浮かんで、隠すように下をむく。想定していた最悪の言葉は、どれだけ準備をしていても堪えるものだ。冷静な判断なんて出来ない。返事を、事前に決めていて良かったと思う。

「期待はしてない。貯金はそれなりにあるし、一人暮らしも当分は継続できます」
「じゃあ、何?」

 仕事を辞めることに、カレシの許可は必要ないのかもしれない。けど、一緒に決めた仕事だ。一方的に辞めては、ただ約束を破るだけになってしまう。それはどうしても避けたかった。

「そんなカノジョでもいいですか」
「は?」
「無収入になるかもしれないので」

 顔をあげると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした啓介と、目が合った。思っていた反応と違う。私はてっきり、蔑まれると思っていた。まさか啓介の中で驚きが勝るなんて。
 ため息が聞こえた。

「そんなこと、どうでもいいよ。てか、そんなことで別れるなんて言わない」

 啓介の言葉に、喜びが込み上げる。温もりが体の芯から広がった。次に言おうと考えていた言葉が、声にならない。

「頑張んなよ。応援してるから。あと」

 啓介は雑誌を開いて、チャンネルを変える。そして眼鏡を押し上げる。ああ、これは、恥ずかしがっている時の啓介だ。

「美幸との結婚、考えてないわけじゃないから」

 啓介はこちらを見ることなく、雑誌に目を落とした。
 私、別れたいと思ってるわけじゃないの。ただ、本気でやってみたいと思えることが出来たんだ。だから、私の我が儘を許してもらえないかなと、思って。
 言うはずだった言葉が、笑顔に変わる。


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