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縄モテ

 こんばんは、乙訓野添です。警報級の大雪になるとか。電車が止まるとのことなので、今夜は職場に泊まり込みです。

 緊縛というのは、SMでもっともイメージしやすいプレイで、かつ技術と言えます。最近は、性行為としてでなく、芸術性を追求する分化する分野も出来てきているのですが、XをSM垢に改変して暫くしてから、「縄モテ」という言葉を知りました。
 これは、「緊縛ができるとモテる」という意味なのですが、当初、それを聞いた時、自分は「?」と感じました。というのも、上にも書いた通り、緊縛はSMプレイしたい人が必要な技術であって、縛れるからといってモテるもんじゃないと思っていたからです。実際にお付き合いした人を縛るのは、その人とお付き合いする事になってからの話しで、「モテ」に緊縛の要素や必須性は、全くないからです。

 しかし、時代はSMがかなりオープンに語られる様になり、昔みたいな世の中のごく一部の変態だけの性分化ではなくなりました。それに伴って、SやMの気質がない人もSMの事を知識としては知る時代です。つまり、SMの敷居はかなり低くなっています。
 言い換えれば、昔はSMの世界はある意味閉鎖社会で、恋愛市場の聖域的な感じだったと思います。そこに、脱非モテが入り込む余地というか、入り込んで勝負しようという気持ちは、なかったと言えるでしょう。しかし、今はそこは聖域でなくなった。ちょっと知ってる、ちょっと興味がある、そうした女性も大勢いる様になったのです。そして、それを目指して、脱非モテを目指す男子が、新しい狩場として「縄モテ」を目指し出した、という事でしょう。
 これは聞いた話しなのですが、SM専用のマッチングサイトで、せっかくマッチしたのに、ほとんどがヤリモクで、中にはSMを馬鹿にしてくる奴もいた、というのです。まぁ、マッチした女性もどういう基準でマッチしたのか、と思わないでもないのですが、SM専用のサイトで、こういう現象が起こるというのは、そうした男性がもはやSMを聖域と見なしていない、という証左でしょう。

 この「縄モテ」に対して、高明な縄師の方などは、「緊縛が出来るからモテるもんじゃない」と警鐘を鳴らしています。しかし、彼らにとっては、そんなもん、知ったこっちゃないでしょう。というのも、彼らにとって、緊縛を学ぶ事は、身だしなみを整えたり、料理教室などのカルチャースクールに通ったり、つまり自分磨きや自分アゲの手段でしかないからです。そしてのそ目的は、彼女を作る、もしくはヤレる相手を見つける、だからです。
 彼らにとって、失敗はノーダメですし、恥への恐怖もありません。要するに、一発やれれば成功だからです。これが脱非モテの性質です。(これはいい意味でもある)

 気になるのは、SM界隈からニワカ呼ばわりされる彼らが、運良くお相手を見つけて、習った緊縛を披露する時、事故をつけないか、という事です。彼らにしても、縄会などで縛り方は実地で習う事もあるでしょうが、SMしたくて緊縛するのと、モテの手段としてするのとでは、モチベや責任感が違うのじゃないか、と思うのです。別にモテの手段として縄をやるのは構わないので、この点は注意して欲しいです。
 もっとも、緊縛事故を起こしてるのは、そこそこフォロワーが多い緊縛インフルエンサーだったりしますから、案外、元非モテの連中は、相手を慎重かつ大事に扱うかもしれません。自分もそうでしたし。

 今回のnoteはここまで。戦争と恋愛にルールなしとは言いますが、SM界も熾烈な競争社会になりそうです。スキやコメント頂けると励みになります。最後まで読んでいただき、有り難うございました。


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