見出し画像

金曜日の昼下がり(2019/10/20)

仕事の緊張に疲れた私は次の仕事に行く前に、コーヒーを飲むことにした。
チェーンのコーヒーショップに入り、窓際のカウンターの席に座る。温かなコーヒーは黒く苦い。おしゃれなタンブラーが持ちたくて飲んでいたコーヒーが、ただ眠気を覚ますための液体になったのはいつからだろう。

つい半年前は学生だった。授業がないときは、平日なのに何をしていても、或いは何もしていなくても、どっちでも良かった。
寝起きする時間・洋服・メイク・髪の毛の色。
身の回りのことは自分の好きなようにして構わない。誰も叱りも注意もしない。それほどに自由が満ちていた。
でも、今は髪の毛を黒く染め、カラコンは卒業して、スーツを纏っている。

社用ケータイがポケットに忍んでいるからだろうか。コーヒーを飲んでいるだなのに、どうしようもない不安に包まれる。誰かに「サボってんな」「仕事をしろ」「コーヒーを飲むなんて生意気」とかなんとか言って怒られそうで。
だがそんなことを言う人なんてこの場にはいない。実際のところはやらなければならない仕事は済んでいるし、この休憩はお昼休みのようなもの。そもそも、誰も私のことを監視していないから誰彼に怒られることはないのだ。

声に出さずに大丈夫だと唱えた。自分を肯定して、励まして飲む。たかがコーヒーを。たったの30分で。

結局のところ、心が落ち着くことはなかった。

嫌気がさすほどに空は青く、風は穏やかに吹いている。ベビーカーを押している女の人、手を繋いで歩く老夫婦、腕時計を見ながら早歩きをしてきるスーツの男。
各々が何かの目的のために歩いている。そんな彼らを横目に私は急ぎ足で電車に乗った。

まだ社用車もない。ただ1時間半電車に揺られる移動。不安になることも怯える要素もない。それなのに、ソワソワし心のどこかが緊張して疲れる。何をしていても心が落ち着かない。

あのときどうするのが正解だったのか分からない。考えても答えの出ない問を永遠に考えていると、気管が狭くなり、心が痛み、心臓の音だけが喉を鳴らす。一瞬にして、自分が欠陥だらけで情けない人間だと感じる。
理由のない痛みに原因不明の緊張感は極めて私を不安定にする。

私はその気持ちの対処の仕方をまだ知らない。
一番知りたいことは誰も教えてはくれない。

昼下がりの快速電車は混んでもないし空いてもいない。 (ここは虚空で無秩序だ。) 意味が無くとりとめもない言葉を諦めと共に心で呟き、もう寝てしまうと目を閉じた。

私は夢を見ているときよりも、眠りから覚める前にある、意識は完全に私の身体にあるけれど脳と目はまだ眠っているとき。つまりは夢と現実の間の時間がたまらなく好きだ。幸せな夢を見ているときは特に。
どんな夢だったか思い出そうと思っても輪郭までは思い出せず、柔らかで、甘い温かさだけが残るあの感覚は夢よりも儚い。
明日は目覚ましもかけずに眠ろう。深く深く、誰も私の隙間に入ることなく眠ろう。

ふと、バニラのような甘さと華やさが混じるどこかオリエンタルで懐かしい香りがした。

一瞬で私はあの人のことを思い出した。よく笑い、美しい目をした、賢くて努力家で、曇りの日でもサングラスをかけた、自由な人のことを。

あなたのことは全てお見通しよ、とでも言うように私に接した。ワインよりもビールを好み、チョコレートよりもピスタチオをパスタよりもピザを選ぶ女性だった。

ランチには決まってサラダとスープを食べた。少しでも寒い日は真っ白のダウンを着ていた。一緒にビールを飲んだあとに、ジェラート屋に行った。川辺のベンチに移動して8月の終わりだというのに少し肌寒い風を感じながら「イタリアのジェラードはここよりももっと美味しいんだ。」そう、言って舌だけでジェラートを食べていた。

一緒に曇り空の下を歩いた。クラブで踊ったり、夜中のドライブも一度だけした。知らない夜道も歩いた。ミラノのスーパーで買ったプロシュートは目の前でお店の人が切ってくれていた。その光景に驚く私を笑って見ていた。ワインではなく、私が持っていったビールと一緒にプロシュートを食べた。眠る前にはハーヴティーを淹れてくれた。

別れは二度あったが二度とも私は泣いた。
どちらも彼女の前ではなく、一人になったとき、止め処なく涙は溢れた。

目を開くと、隣に座っているのは知らないアッシュブラウンの髪色をした人だった。知らない人だ。
日本にいるのに、言語の隔てもなく会話ができる人たちで溢れているのに、私はこの電車にいる人を誰も知らない。

やはりここは、イタリアでもなければあのジェラートを食べた川辺でもない。 そんな当たり前のことを再確認させられる。

既に21歳だったにも関わらず、ビールは今日はこれで最後ね。と諭したかと思えば、昔はよく吸ってた。などと言って煙草をくれることも、イタリア訛りの“ジェラード”を聞くことも、もう二度とないかもしれない。

それでも、イタリアのどこかで私のことを知っている人がいるという事実は、誇らしく輝いた思い出として私に自信を与え、深く息を吸い込むように安らぎを感じることができるのだ。

これから先もあの、甘くオリエンタルな懐かしい香りを感じるたびに背筋を伸ばして歩くことができるだろう。

そう、思いながら金曜の昼下がりの電車を降りた。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?