「推し」
「推し」というものは幸せの象徴であり、癒しそのものである。
しかし時々、そうじゃないことがある。
推しが私を苦しめる時がある。
何でもネガティブに考えてしまう私が、
私なりに考えた推しとの向き合い方。
少しでも生きづらさを減らせるように。
1.好きになりすぎないこと
人を好きになることはいい事である。
だけど、何もかも手につかなくなって生活が壊れてしまうほど好きになるのは良くない。
遠く、手の届かない推し。
私がどれだけ愛しても、推しはそんなこと知ったこっちゃない。
言い方を変えれば、こちら側が勝手に愛情を生み出しているだけなのだ。
それなのに、推しがファンの人のコメントに返信しているのを見てしまったら。
私は、たかがこんなことで嫉妬に荒れ狂うめんどくさい人なのだ。
好きすぎるが故に苦しい時がある。
何かを得られるわけでもないのに、日常のありとあらゆる時間を犠牲にしてまで、推しを愛したいのか。
答えはいいえ。
適度な距離を保つことが最善策である。
2.全てを知ろうとしないこと
これまでに述べた通り、私が推しのためにどんなに時間を犠牲にしようが推しには関係がない。
推しにまつわる全ての情報を把握したい、全部知りたい、そう思うことはたくさんある。
推しにとって1番のファンになりたい、そう夢見ることもある。
実際問題、画面の向こうの人物を完全把握することは不可能である。
何万人といるファンの中で1番になることも到底出来るわけないのだ。
ファンとして恥ずかしくない程度、最低限の知識さえあればそれだけで十分なのではないか。
推しのことを3、4割知っていれば上等だ、と。
そう思う事が必要なのかもしれない。
3.過去のことはしょうがない
私が推しに出会ったのは約半年前とかなり最近である。いわゆる新参者。
そんな私だが、SNSを片っ端から見ていれば過去の情報も自然と目に入る。
知っていれば絶対に行っていたライブ、
今はもう売ってないグッズ。
もう少し早く推しを好きになっていればなぁ、
もう少し早く情報を入手してたらなぁ、
そんなことを思ってしまう。
そんなことは思っても無駄なのに。
過ぎたことはどうにも出来ない。
過去を振り返り後悔してる時間など無駄以外の何でも無い。
どうしようも無いことを考えるくらいなら、
この先の未来のことをを考えるべきである。
次はいつライブに行けるかな、そんなふうに。
書いていて思った。
全ての根本にあるのは「過度な嫉妬」ではないか。
たった5文字、妙に納得した。
なぜ私がここまで嫉妬心を持つようになってしまったのか。
それはまた別の話である。
最後まで読んでくれて本当にありがとうございます。
こんな拙い文章だけど、読んでくれた貴方が大好きです。
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