運命のリリック

 統合失調症は少し昔、精神分裂病という名前でした。それできっとあんまりだ、ってなって新しい命名を新聞の下の方に公募で出していた記憶があります。


 私はとても拗れてしまい自分で病院を調べてひとりで受診した16歳の過去があります。丁度その時に一人暮らしをしていた四畳半の和室アパートから歩いて行ける距離に総合病院がありました。
病院の看板には精神科と縦書きの文字があった。それを何度もなぞる様に見つめては引き返していました。

 その当時みてくれた先生は、過換気症候群と書いていた様に思います。話しやすかったし肩の残らない若い医師でした。

残念な点がひとつあり、私は精神科で薬をもらい始めてからオーバードーズというものに足を踏み入れてしまいました。そして、貰うとまたしてしまうから、と薬を断りました。それで診察だけ通っていました。その時は10分から長くても20分先生と会話をするだけでした。外国の映画に出てくるゴロンとなれる揺籠の様な椅子、真正面ではなく斜めの位置に座っている先生、何でもないリビングの様な部屋、窓もあって外の世界と途切れていない、あれを求めていた私はカウンセリングという言葉を知らなかったのでした。

 なにが人を殺すのか?ってなった場合、よるべのない不安感だと思います。
何度も死の方向へ行きたくて暴れていた10代と20代を振り返ると40代の私がこう言います。あなたは、きっとまだなんだ、と。死は望むと望まざる、どちらも選ばない。こればっかりはわからない。以前芸能人の方が亡くなってニュース速報も流れた時にコメンテーターの芸人さんが言いました。なにかそちら側の門みたいなものが開いてしまったんだ。その様な内容でした。大変慎重に言葉を選んでおられました。
 死のうと試みてそれが突然叶ってしまう人もいるし、ぼろぼろになって引き上げてくる人もいます。ゲートがたまたま開いてふっと消えてしまうことがあります。こういうのは本人にしかその状況はわからない。何かがそこで、わからないけれど、それでこうなる人ばかりではない。ほんの少しの死への感情が弾みで事故になる事もあると思います。

私はおばさんになってこれを書いているので地上へ帰された人です。
神でも悪魔でも天使でもなかった。ひとだった。だからため息つきながらでも足をつけて歩いていく。

 自分を生きる資格ないとひと扱いしてこなかった私が、ひとなんだからもっと自分に優しくしていいと広げていちから何かになろうとおりがみをします。

丁寧に丁寧にまずは優しく直してあげる。

 病院に行くと東京にいた時はパニック障害と書いてもらいました。
 実家の近隣の街に住んでいた頃はなんだったろう。その先生は私の兄を知っていました。そしてもっと何かしてあげたかったと言ってくれました。

 病名がついたからと言って治る薬に出会えるわけではない。薬はなんとなく効いてる気がする。するけど2ヶ月も真面目に飲んだ頃、100パーセントやけを起こす。それを繰り返しているうちに危険だからと薬は減っていき、最後はおまじないに2週間分持っていく?と渡されて飛行機に乗りました。

 人生2回目の飛行機で旅行に興味のなかった私は沖縄で働き始めました。一度も観光で訪れたことはなかったです。
 主治医は毎年行ってる島だけど今年は予定していないんだと申し訳なさそうに言いました。邪魔してしまったかも知れないなと言っていました。先生が思うよりも私は行動力があったのに時間がかかり過ぎたのかも知れないです。私が望んで病院に来ていたんですとしっかりと伝えてきました。


 女の33歳は何かが起こると物知りなおっちゃんに次の次の次の島で言われるのはそれから4年後。

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