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世界を変えるGEEKになろうとしたら自分の世界が変わった話

この記事は「デジタルハリウッドで変わった私の人生」に参加しています。

初めまして!
開いていただきありがとうございます!
北九州市立大学4年で、Eletus株式会社CEOの園田雅敏(22歳)です!
私は今現在、学習をとことん楽しくのめり込むものにするために、AIを使った学習支援のアプリケーションを作成しております。

なぜ大学生がこんなことになったのか、今回はそんな話をさせていただければと思います。
結論から言うと、デジタルハリウッド大学が運営母体のエンジニア・起業家養成スクール「G’s ACADEMY」に通ったことがきっかけです。
ではなぜ通うことになったのか、通ったあとどうなったのかも含めるために、今回は、1.通う前の私の生い立ち含めの話と、2.通学中、3.通学後の3本立ててお話しできればと思います。

G'sに通う前の話

まだ学生ということもあり、職歴も何もないので、幼少期まで遡ります(なぜここまで遡るかは後でわかります)笑

泣き虫弱虫好奇心

幼少期の写真です笑

2001年に、山口県下関市で生まれた私は、小さい頃、めちゃくちゃ泣き虫で弱虫でした。
なぜだったのかというと、もともとの性格もありますが、大きなきっかけがあります。

それは私が3歳だった時のことです。
妹が産まれることになり、母が入院することとなりました。そんな中で、私は、普段からよく会っていた母方の祖母ではなく、父方の祖父母の家に預けられることとなりました。
父と共に、ほぼ行ったことがない大分にある祖父母の家に向かったその日の夕方、昼寝をして目を覚ますと、父の姿が見当たりません。
完全に捨てられたと思い、号泣。

10年くらい経った後に父の真意を聞くことになりますが、当時の父としては、グズるといけないから寝ている間に、山口県下関市に戻ったみたいです。

そんなこともつゆとも知らない私は、その日からとことん泣き喚き、泣きながらアイスの「爽」を食べた記憶があります。
そんなことを経験してますから、それ以降幼少期は、いつまたいなくなるのではないかと恐くてたまらない日々を過ごすことになりました笑

こう書くとだいぶ内気な幼少期を過ごしたと思われると思いますが、意外とそんなことはなかったです。
例えば、幼稚園のお遊戯会で当時流行っていた小島よしおさんの「そんなの関係ねぇ」というネタを披露して笑わせたり、描いた絵が市役所に飾られたり、廃材を利用して様々な工作を作ったり、セロハンテープをぐるぐる巻きにしてフィギュアを作ったり、卒園式で園児代表として挨拶したりと何かとやっていました(ちなみに卒園式の挨拶のシーンは今でも覚えており、応援してくれる友達を壇上から見て「いい友達がいるな」と思いました)


マッチ棒で作った天守閣


泣き虫弱虫なのに、好奇心旺盛で色々と作りたがりという大分矛盾した性格の私ですが、小学校2年生で、とある転機が訪れます。


父の転勤の関係で、大分県大分市に引っ越すこととなったのです。
大分県大分市には、人口規模の割に大きな県立図書館がありまして、転校して早々、社会科見学で図書館に連れて行かれました。初めて行った土地の初めて行った場所で何かカラフルな分厚いものがありますから、めちゃくちゃテンションが上がりました。

そこから、完全に本の虫となり、絵がたくさんあった歴史や偉人のマンガをまず読み漁りました。この人の生き方を知り、人類の悠久の歴史を知るということは何事にも変え難い楽しみでした。壮大なことを考えるとなんだか自分まで強くなったように錯覚していたというのもあると思います。

テクノロジーとの出会い

本の虫となった私ですが、これまたひょんなことからテクノロジーと出会います。
小学校3年生の時、クラス会で何か披露することになった私は、人に笑ってもらうことが好きだったので、台本を作って、コントを披露することにしました。
しかし、今も昔も字が非常に汚い。もはや字ではない。
困った私は何かないかということで、父が持っていたパソコンのWordで台本を頑張って書きました。
「字が汚いというハンデ(完全に自分のせい)がありながら、みんなが読める台本を作ることができ、それでみんなを笑わせることができる、
テクノロジーすごい!!」
そこから、綺麗な文字を打つことができるワードにのめり込むこととなりました。

小6の写真です

突然のマイノリティ

そして、話は飛んで高校に進学します。
歴史が好きで小学校の頃から歴史や偉人の本を読みまくっていた私は、「松下幸之助」と「スティーブ・ジョブズ」の伝記を小学校と中学校で読み、起業家という生き方に憧れるようになります。
ただ起業を目的化はしたくなかったので、高校は市内にある進学系の総合学科に通い、今でいう探究学習に力を入れている高校での体験を通していろんな世界を知りたいと思ってました。

その高校は、男子と女子の比率が、学年で1:3で高校三年生の時にはクラスで男子4人、女子27人という圧倒的な女子社会で暮らすことになります。
突然のマイノリティです。
ただ普通に異性同性関係なく話せたので、そんなに苦労することはありませんでしたが、カルチャーショックは大きかったです。


部活は昔からコントをしていたこともあり、演劇部に入ります(小中では野球をしてました)。
演技は下手でしたが、舞台演出で観客の気持ちをどう掴むかといった試行錯誤をすることがめちゃくちゃ楽しかったです。
そして、ちょうど私が演劇部だった頃に、ラグビーワールドカップが大分で行われることに。

「ラグビーワールドカップと演劇を組み合わせたら面白そうじゃない??(私の行動原理の一つは「面白そう」なのです)」

そう思い立った私は、ラグビーワールドカップ大分事務局に電話をかけ、高校演劇部でこういうことをしたいから協賛事業のようなことをさせてもらえないかとお願いします。
結果的に、大分県庁ともお話しさせていただき、ラグビーワールドカップ協賛事業として、校内の文化部を巻き込み校外公演をさせていただくこととなりました。


ラグビーの魅力を伝えるための動画も頑張って撮影をし、私の方で動画編集を行いました。
そして、仲間の多大なる協力を得て500人の会場に450名弱の来場者数を呼び込むことができ、募金も集めることができました。
みんなで何か一つのことをするってめちゃくちゃ楽しいなと改めて実感することとなります。

また、ライフネット生命創業者の出口治明氏が大分県別府市のAPUの学長として赴任されたため、お会いさせていただきたいと思い、著作に載ってあったメールアドレスに連絡します。
そして、実際にお会いさせていただき、起業の話などを何度もさせていただいたり、出口さんが読まれている本をお借りしたりと、それから何度も交流させていただいてます。

出口さんとのツーショット

突然の日常喪失

楽しい高校生活を送った私は、北九州市立大学に入学します。
北九州市立大学に入学した主な理由は、

  1. テクノロジー×経営ということで、テクノロジーを社会に役立てる手立てが学べると思った

  2. 政令指定都市の中で高齢化率1位の北九州市はまさに日本の中で、より早く課題に直面しているため何か課題解決の手立てが学べるのではないかと思った

ためでした。

北九州市立大学のキャンパス



「さぁ、いよいよ楽しい大学生活だ!!」

入学式中止
4月7日 福岡県等を含む7都府県で緊急事態宣言発令
5月のゴールデンウィークまで大学が休講を決定
5月以降 全面リモート講義(結局大学1.2年生の間はほぼリモートに)

そうです、新型コロナウイルスにより送るはずだった大学生活の全てが崩れ去ります。

当初は、バイトも募集しておらず、どうしようかと思っていましたが、大学生協からのLINEで「新入生向けのパソコン講座のバイトを探している」との通知が来ます。
「バイトないし申し込もう」と思い、無事合格。
新入生にパソコンやテクノロジーを教えたり、パソコンの組み立てや修理をしたり、パソコンの購入相談に載ったりすることになります。

通学中の話

またまたひょんなことからG's ACADEMYに出会う

「コロナになったけれど、リモート会議システムのおかげで学びが止まることはなかったし、新入生にテクノロジー教えてると、新入生は目を輝かせて聞いているし、やっぱりテクノロジーってすごい!!」
そう思いつつ、もっとテクノロジーを体系的に学びたいと思った大学2年生の4月の私は色々と考えた結果、IPA主催の資格試験を受けることにしました。

ITパスポートは簡単そうだし(偉そうな表現ですみません)、調べた感じだと「応用情報技術者試験」がまぁまぁ難しそうだし、応用情報って名前なんかかっこいいなと思い、6ヶ月後の10月の日曜日にある応用情報技術者試験を受けることにしました。

なんやかんや勉強していると、夏にたまたま福岡市主催で「データエンジニアカタパルト」という名の大学生に対して、エンジニアリングを教えるプログラムがあることがGoogleの記事でわかりました(Googleのレコメンド機能すごいですよね)。

「面白そう!」と思い、頑張って申し込み用紙を出しましたが、普通に落とされました


ただ、不合格通知には続きがあり、
「実はこのプログラムの運営はG's ACADEMYがやっていて10月入学があるから話聞いてみない?(意訳)」
と書かれていたため、これまた「面白そう!」と思い、学校説明会に申し込みます。

起業を目的化したくない、あくまで手段だと考えていた私は、テクノロジーに関してもめちゃくちゃ好きとはいえあくまで手段だと思っていました。
そんな中でG's ACADEMYの「プログラミングは課題解決の手段だ」といった言葉に心を掴まれ、入学試験を受ける決意をします。


G's ACADEMYには、自分のアイデアをプレゼンするIDEA試験と、IQ試験があり、私はIDEA試験に申し込みました。
そしてIDEA試験の試験日は、忘れもしない2021年10月10日(日)。
勘のいい方ならお気づきかもしれませんが、この日は応用情報技術者試験の試験日でもありました。

朝9:30〜15:30まで応用情報技術者試験の試験を受け、そこから急いで帰宅して、17:00〜G's ACADEMYのIDEA試験を受けました。
そして結果は大変ありがたい事に、どちらも合格。

晴れてG's ACADEMY FUKUOKA(以下G's)に通うこととなります。

G'sでの自己紹介の様子

G's の私が通っていたDEVコースは、土曜日に実質13:00〜18:00まで授業があります。G's は福岡市にあるため、私が住んでいる北九州市から高速バスで1時間半ほどかかります。そのため、10:30〜のバスに乗り、帰りはいつも22時くらいでした。

こう書くとただの苦労自慢のように思われると思いますが、全然そんなことはなく、めちゃくちゃ楽しかったです!
世代を超えた仲間と共に自分の大好きなテクノロジーを触って自分で何かを作れるのですから面白くないはずがない。
G'sで学んだことは下記のnoteに記載しているため割愛しますが、コミュニティの素晴らしさとテクノロジーの素晴らしさ、WhyMe?の大切さを学びました。


はい、ここで突然出てきた、WhyMe?(ワイミー)
G'sという学校の肝はここにあると言っても過言ではないと私は思っています。
WhyMe?が何かというと、要はあなたが作りたいサービスやプロダクトは、なぜあなたがやるんですか?やる必要があるんですか?ということです。
実は、G'sというのは、入学後6ヶ月で自分のサービスやプロダクトを作りあげることで卒業ができます。

殆どがプログラミング未経験なのにも関わらず、たったの半年間でサービスや、プロダクトを作り上げなければならないのです。

しかし大半がしっかりと作り上げて卒業していきます。これがなぜかというと、このWhyMe?がしっかりとしているからだと思っています。
WhyMe?を通して、自分が作ろうとしているサービスやプロダクトに相当に自分の思いが込められている、
つまりある種、自分との極めて強い約束であるため、絶対に破るまい、
そして、自分が作りたい世界の実現のために、自分が頑張って救いたい人を救うんだといった強い意志が働くのだと思います。


だからこそ、些細な事では折れずに最後までやり切ることができるのです。WhyMe?がしっかりとしていると、ある種面構えが違うともいうことができるかもしれません。

では、このWhyMe?を、どう見つけるかというと自分の過去や興味関心から考えます。
だから、私があえて、多くの字数を割いて幼少期を含め過去をある程度高い解像度でわざわざ書いたのです。

この作業は、G'sに入ると大半の人がする事になります。

そして、私も実際に過去の振り返りをする事で、

  • 弱虫泣き虫だったけれど、本から知識を習得することで強くなった(錯覚含む)

  • 明治維新発祥の地である山口県下関市という土地柄から小さい頃から歴史に囲まれていたり、本の虫だったため、多くの人の生き方や考え方を学んだ

  • 同じ九州でも大分市と福岡市では情報格差や教育格差があることを知る 

  • 学習って本来楽しいものなのに、みんな学習が嫌いになっている

  • 足も速くなく力があるわけでもない人類がなぜアフリカから生物の頂点とも言える立場にたてたのか。それは未熟で生まれたからこそ、学習や教育する余地があったからだと考えられており、学習=人類の生物としての強みなので、そこをテクノロジーの力を使って伸ばしたい。


こういった理由から、学習領域のプロダクトを卒業制作で作る事に決めました。
そして、この卒業制作の発表の場であり、G'sの一大イベントGGAに向けて相当に頑張って取り組みました。


が、またもや選考(今度はプレゼン)で落ちました。
これは文字では表せないくらい、相当悔しかった。落ちたその日は、小倉城近くの紫川で黄昏ていたのを思い出します(今だから言える事です笑)。

卒業後

GGAには落ちましたが、WhyMe?がしっかりとしていたからこそ卒業してからもプロダクトを作り続けようと思いました。そして、この想いに共感してくれた40代の20年以上のエンジニアとしてのキャリアを持つ方(40代の方とは卒制でも同じチームとしてご協力いただきました)や30代の行政職員の方もチームに入っていただけています。

また、G'sのコミュニティの素晴らしさ(入る前は、コミュニティと聞くとなんとなく先入観で怪しげな印象を少し抱いてましたが、全然そんなことなかったです。どういうところが特に素晴らしいかというと、助けを求めれば絶対誰かが助けてくれるところ、人と人とが繋がりコラボレーションできるところです)を実感し、
今度は逆に少しでも役に立つことができればと思い、G'sのチューター(受講生のサポート役)にもなりました。


また、官民合同の福岡市にあるスタートアップ支援施設FGNのアクセラレーションプログラムで上位入賞も果たしたり、福岡市内のスタートアップイベントにちょくちょく参加したりと繋がりの輪も大きく広がりました。

FGNでの表彰式の様子

そして、2023年5月29日、晴れてEletus株式会社を設立しました。


起業しようと思ってましたが、まさか学生のうちに起業することになるとは思ってもみませんでした。
そして、Eletus株式会社では、学習をエンタメにするという目標のもと、AIを使った学習支援アプリのα版の提供を開始しました。
12歳〜55歳の25名のユーザーに試してもらい、
満足度は100%で、「非常にワクワクした」「隙間時間にできる」「資格試験勉強に本当に最適」「あっという間に時間が経っていた」という大変嬉しいお声をいただいております。


以下、急に宣伝を挟みます。
今後β版をリリースしますが、まだまだクローズドでやっているため、不特定多数の方に対してプロダクトの詳細を明かすことはできません。しかし、こんな状態でも私たちが開発しているAIを使った学習アプリにご興味がある方、ユーザーとして使ってみたい方はいつでもGoogleフォームX(旧Twitter)でご連絡ください!


少しでも楽しく学習したい、勉強したい方には本当におすすめの
プロダクトです!

また下記の方もいつでもお気軽にX(旧Twitter)でご連絡いただけると幸いです!

・学習のモチベーションが続かない方
・自分にあった学習方法が分からない方
・とりあえずなんか面白そうだから園田と話してみたい方
・エンジニア、デザイナーの方々
学習をエンタメにして人々の可能性を最大化させるための、プロダクトです。


ぜひお待ちしております!

コラム「G'sで学んだWhyMe?の本当の価値」

プロダクト作りなんかをしていると、自分のプロダクトのアイデアを対面で話す機会が相当あります。最近では、「そのアイデアめちゃくちゃ面白いね!!!」とおっしゃっていただけることが多くなりましたが、当初は、伝え方が悪いのもあって、「あなたが救いたい人なんかどうでも良い」「そんなん誰が使うの??」(これでも大分オブラートに包んだ表現です)といったことを言われたりすることもありました。
しかし、それでもめげなかったのは今思えば、WhyMe?がしっかりとしていたからです。
苦しみながら迷い考えたWhyMe?が、まさか自分を救うものになるとは思いもよりませんでした。
なぜ自分がやるのか?この芯をしっかりと通すことで、めげない心が手に入ります

終わりに

セカイを変えるGEEKになろう

タイトルに入れておきながら、最後まで触れてなかった言葉があります。
それは、「セカイを変えるGEEKになろう」というものです。
これはG'sが、掲げている私の一番好きな言葉です。
GEEKとは、いわゆる技術オタクに近いものです。つまり、テクノロジーという武器を使って世界を変えていこうという意味だと理解しています。
私はこの言葉にも惹かれてG'sに入学しました。
しかし、実際には、今まで見てきたように、それよりも先に私を取り巻く世界の方がいい方向に変わることになりました。
これは思わぬ嬉しい誤算でした。
私は、「セカイを変えるGEEKになろう」を掲げているデジタルハリウッド大学が運営母体のG's ACADEMYで、自分のセカイ(人生)を、より良い方向に変えることが出来たのです。

G'sで撮っていただいた写真

ご一読いただきありがとうございました。

この記事は「デジタルハリウッドで変わった私の人生」に参加しています。


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