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「一般市民への老衰死に関するインターネット調査」今永光彦、外山哲也(2021)『日本在宅医療連合学会誌』第2巻・第2号

インターネット調査を実施しその結果を用いて、一般市民は「老衰死」についてどのようなイメージを抱くかを論じている。

<引用>
・「老衰と死亡診断されるのに妥当だと感じる年齢の目安について」は、90歳以上が最多で、次いで85歳以上、95歳以上であった。
・先行研究を提示し…上記と同様の質問において、「年齢的な目安はない」が最も多く、次いで80歳以上、85歳以上、90歳以上であった。
・死に対する否定的態度である「死からの回避」のスコアが高いと、有意に老衰を志望診断時の死因として妥当と感じていなかった。

 <つぶやき>
先日、ケアマネの更新研修を受け、認知症の方、精神障がいの方に親族がいなかった場合、医療的な処置を誰がどのように担えるのか?という議論があった。長い時間議論が続き、ひとつの解決策として、ACP*)の活用が有効だという意見で一致した。
医療が進歩し、いろんな形での「生存」が可能となってきた。
個人的には本論文の調査結果で、90歳以上の死が老衰として妥当であるという意見が最多であったという結果が驚きであった。
私の父は84歳で亡くなり、死亡診断書としては「間質性肺炎の増悪」であるが、私としては「老衰」と受け止めている。
それはきっと父が、
「痛いのは嫌い」「管でつながれるのは嫌い」「よぼよぼで生き続けても恰好悪い」と、常々言っていたからだと思う。
だからこそ、「もう一回手術をするとよくなるかもしれません」「IVHをすることで生命が維持できるかもしれません」「まだ80代前半ですから、手術適当だと考えます」という主治医の見解とは異なる選択をした(できた)のだと思う。
手術で症状が軽快しても、在宅酸素は持ち歩くことになるだろう。それは本人が望むことだろうか?またお腹を切ることになるだけで、嫌ではないのだろうか?…この問いを、私たち家族は、数日間ずっと考え続け、そして看取った。

高齢でも健康で生き続けられればベストであるが、死は常に並走しているものである。それは私が仕事を通じて教えてもらったことである。年齢うんぬんではないけれど、年齢を重ねていくからこそ、常にどう生きたいか、どう死にたいかを、口に出すことも大切なんだと思っている。

*「ACPとは?」日本医師会ホームページより引用
ACP(Advance Care Planning)とは、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのことです。

 

 

 

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