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虹色

心地よい風が、半袖の腕をくすぐるように流れて行きました。

やっと少し季節が定まって来て

夏を迎える準備が整って来たようです。

そんな折、家族が入院をしました。

少し前から、それは決まっていたのですが
準備をしながらも、時間はアッという間に過ぎて行きました。

幸い命に関わる、大きな病気ではなかったのですが
やはり入院をして、手術をするとなると
体にかかる負担や、メンタルが気になります。

気になり始めると、悪い癖が出て来て
悪い方、悪い方へと妄想が始まり
心配を通り越して
手術をする訳ではない自分の方が
不安になってしまいました。

そんな頼りない私を気遣ったのか
仕事のわずかな合間に長女が
私ひとりの実家に、泊まりに来てくれました。

時間にも
命にも
悲しい事に「限り」が有って
それは誰でも隔てなく、訪れるものですね。

我が家には、神棚も仏壇もありません。

ですが小さな写真と、お線香と、お水を置いていて
毎朝、手を合わせています。

「家族みんなが、それぞれの場所で、無事に暮らせますように」
ただそれだけを願って、合掌しています。

たぶん、そう願う事で
手を合わせている私の心の方が、安心させて貰っている気がします。

もう娘たちにも実際に
何かをしてあげられる事は、とても少なくなりました。
逆に今となっては親の方が、心配をさせているかも知れません。

なので「願う」という事は
大切な私の、1日の始まりであり
「襟を正すこと」なのかも知れません。

日々過ごしていると、自分が生かされている事を
つい忘れてしまいがちです。

「今日も同じように生きている事」が当たり前になると
何ひとつ感謝する心は、生まれ無いような気もします。

私自身は信心深い訳ではないのですが
小さい頃から神様に、手を合わせる祖母を見て来たせいか
神様の存在が、とても自然に感じます。

特に両親を亡くしてからは
もっと身近に感じる様になりました。

私が生まれた意味も、本当はまだ解らないまま
私が出来ることも、曖昧なまま。

それでも最近は、不思議な事に
とても守られている感覚さえ覚えます。

時折「もっとしっかりね!」と言われている気もします。
どちらにしても、まだまだ未熟な自分を
そうやって叱咤激励してくれるかのようです。

年齢を経て解ること
年齢を経ても、理解出来ないこと
そしてつい忘れがちな大切なこと

多分これからも、いろいろ満たない部分を抱えながら、生きていくのかな…と思います。

いつまで経っても「完成形」に辿り着かないし
もう時間が無いのだから、なるべく後悔はしたく無いのに
今日も誰かや、何かに支えられて
少しずつ歩を進める自分がいます。

頬をツンと突かれたような、今回の家族の入院でしたが
それぞれに意味を見つけて、体を治すと共に
きちんとその意味を、心にも落とし込みたいと思います。



🌈今日、お天気の急変の合間に虹を見ました
 生まれて初めて、3つ同時に見えました🌈


追記
ギャラリーからお借りしたのは
大好きな「hoho」さんの作品です🎐どうもありがとうございました。






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