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はじめまして。そらです。第3歩へ。

第3歩のスタート、寮の名前は、"堅忍寮"



凄い名前!今思えば。

※前の話の続きなので、良ければ第2歩も読んでくださいね。

大学が決めるのも遅かったし、寮に入ると決められたのも遅かった。そのため人気の寮はいっぱい。

無理して通う事もできる距離でしたが、足の悪い私にとって時間に合わせてまた、出勤ラッシュに重なる時間に松葉杖で数時間などまず、無理。

そんな私が、絶対大学生に行きたい。

骨肉腫の手術は成功して歩けるようになってきたといっても、完全に1人で生活するというのは難しい。

そのため 希望していた1人暮らしを諦め、大学の寮に入るしかないということに。

その頃の私

自分がしたくてもできない事が多くて、それがなぜ自分が我慢しなければならないのか分からなかった。

私は、放射線治療の結果、髪質も変わり、頭痛なども増えていた。また、薬の副作用もあり生活はできているが、日により体調も異なっていた。精神的にも、わがままだったと思います。なので、同室の先輩には色々ご迷惑をおかけしました。

同室の寮の先輩

堅忍寮で、体育部の先輩と2人部屋。

B’zが大好きで、コンサート前には洋服を決めるのに1週間ぐらいかかる先輩。なんでも投げやりになっていた私にはそんな熱中するものはなかった。だから、その気持ちがよく分からなかったけど、一緒に服を考えるのは楽しかったです。先輩は、片付けがめっちゃ嫌いでよく布団の上で何かをして、布団を汚して、自分で怒ったり反省したりしていました。


夢にみた一人暮らしと地震

そして、一年後夢にまで見た1人暮らしができるまで復活して寮をでて、新たな私の生活がスタート!

その直後、地震にあった。

マンションも半壊。亡くなった人もたくさん居る。そんな状況で勉強なんてできない。避難中に、衛生状態の悪化から急性肝炎になり地元に緊急で帰り、再度入院!

でも、ふだんから病院に通っていたので、体調の変化もすぐ分かって頂き回復も早く他の避難した方よりも手厚いサポートを受けていたと思います。

そんなことは今だからわなるのですが。その当時は、また、すべてがなくなり、正直かなり荒れていました😩

その後、大学に復帰。でも、なんだかやる気はなくて何となく過ごしていました。

その後、友達もでき少し復帰でも、いつまでも体のことが心配があり、大学4年での就職活動はできないとわかりました。

第3歩目の挫折

諦めです。人生で大切な働くという事も、諦めなければならない。
何のために大学に行き、病院のまずい食事をなんとかしたいと真剣に考えたて、私なりに努力したのに。

なんで私ばっかり。そう思って大学を卒業しても実家にも帰らず、数ヶ月1人暮らしのアパートに引きこもっていた2ヶ月を過ごしました。
(お金は、家庭教師と英会話スクールのアルバイトでためたお金で賄いました。)

まわりに友人は一緒に卒業!その後、就職。就職してすぐは、忙しくて中々合うこともできない。やっぱり一人ぼっち。中々第4歩に方向転換できない、数ヶ月!

たまたま出したパートの栄養士の仕事募集が決まり、第4歩へ!

でも、新卒なのにパート!😩
またまたみんなと違う望まないスタートなのです。

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