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【永田敬介インタビュー後編】好きなことをやるだけでも人生は足りないはず
前編はこちら
――人力舎に入られてからはいかがでしたか。
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永田:最初のころはチヤホヤされたこともありました。
1年目くらいで事務所ライブに出たときに、「めちゃくちゃ可愛いお客さんが来ている。誰の出待ちなんだ?」って楽屋がざわついていたんです。
ライブ終わりに会場を出たら、その子が僕のところにきて手紙を渡してきました。中に入っていた手紙には、さすがに勘違いのしようがないくらい好意を伝えてきてくれている内容が書いてあって、ディズニーランドのチケットも2枚入っていました。「お返事待ってます」ってメールアドレスも書いてあったんですが、僕が1人で2回行きましたね。
事務所に入った次の年にTHE MANZAIの認定漫才師になって、1回目の本戦サーキットで東京で2位になりました。システム的に、2位を獲ったらだいたい決勝に行けるんですよ。でも、2回目の本戦を大阪で受けることになってしまったんです。学生で、大会で優勝してプロになった東京者のコンビなんて、絶対大阪の人嫌いじゃんと思いつつ、「言っても2位獲ってるし大丈夫だろう。2位で決勝いけなかった人っているのかな」と思って調べてみたら、1組だけいたんですよ。それがマヂカルラブリーさんでした。
マヂラブさんも東京で2位を獲って、2回目大阪で地獄のようにすべって決勝にいけなかったみたいなんです。でも、確かにマヂラブさんはめちゃくちゃ面白いけど、この一瞬くらいはマヂラブさんよりも面白いネタができるかも知れないと一縷の望みを持っていたんですが、大阪本戦の直前に他事務所との対抗戦のライブがあって、マヂラブさんと戦った結果、完全なる同点で、「じゃあもうダメじゃん」ってなりました。実際、大阪でもすべって決勝に行けず、心が完全に折れてしまいましたね。
――解散後は1度事務所を退所されたんですよね。
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永田:事務所を辞めても芸人は続けていたのですが、退所してからの数年は精神的にきつくて、寿命もだいぶ縮んだと思います。多分60歳くらいで死ぬんじゃないですかね。
チヤホヤされることも完全になくなりました。お客さんの中には、「死ぬまで永田さんのことを追いかけ続けます」って言ってくれた方もいたんですが、来なくなったんですよ。もう死んだとしか考えられないですよね。だからTwitterで「お悔やみ申し上げます」って言いましたよ。そんなこと言う必要もないのに。それくらいおかしくなってましたね。
そのときくらいからエロいことに傾倒するようになっていきました。お笑いには裏切られたけど、エロいことは裏切らない、培われているな、と思いました。お笑いとエロのどっちに投資するか考えて、払っても返ってこないかも知れないお笑いではなく、払ったらすぐに返ってくるエロに特化していきましたね。
――またお笑いを頑張ろうと思われた理由はなんですか。
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永田:人力舎の芸人が僕とコンビを組みたいと言ってくれて、古巣に戻る形になりました。それもすぐに解散しちゃったんですけど、1回組んだことで、精神が芸人に戻った感じがしました。ただ、2回解散しちゃっているんで、コンビは向いていないのかなと思って、ピンでやるようになりました。
しばらくは「こういうのがウケるのかな」みたいな感じでコントをやっていたんですが、あんまりウケなくて、ストレスが溜まっていきました。
ウケないのが続いたら、ストレスの極みで局部から透明の汁が出るようになったんです。寝れば治るだろうと思って寝て、起きたら、『ゴットファーザー』という映画で愛馬が殺されて、ベッドがその愛馬の血だらけにされてて絶叫するシーンがあるんですけど、それが俺の局部の汁で起きちゃってて、あれは絶望しましたね。
それでも黙々とネタをやって、でもウケなくて、みたいな日々が続いていました。ある日、次の日のライブのためにネタをそこそこに作ってTwitterを見ていたら、サスペンダーズか真空ジェシカか忘れましたけど、近しいやつが結果を出したというのを知ったんです。
それで、こんなネタでウケるわけないじゃんとハッとして、もう普通に漫談しようかなと思いました。「局部から汁が出てる」みたいな、言わないと気持ち悪いままになっちゃうようなことを言うという原始的なことをなりふり構わずやろう、と。
――それで漫談をやられるようになったんでしょうか。
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永田:もちろん今も、ネタはどうしていこうか試行錯誤してはいます。他の芸人は月に3本とかネタを作っていますが、僕は月に1本実体験を基にした15分のネタを作るという感じなので、効率が悪いかなとも感じています。
でも、活躍している同期とかを見て、自分も原点に帰るために昔好きだったダウンタウンさんの映像とかを見ていると、「やっぱりこれが面白いな。これに影響を受けたままの自分でいよう」と思いました。正直自分にとってよくわからないものというのも世の中にはたくさんあるんですが、それはわからないままでも良いか、好きなことをやるだけでも人生は足りないはずだと思ったんです。
――これからやってみたいことはありますか。
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永田:最近またコントを作ってみたんですが、前よりしっくりきて、周りからの評価も良かったんで、コントでも活路を見出せる気がしています。
あとはやっぱり憧れのダウンタウンさんとお仕事をしたいです。好感度が大切な「ヒルナンデス時代」ですから、好感度やスキルを保ちながらTVに出続けるのはすごく難しいことだと思うんですが、何回か共演して名前や芸風を覚えていただけるくらいまでは一緒にお仕事がしたいです。
今の時代では難しいかも知れませんが、『内村プロデュース』とか『神さまぁ~ず』みたいな平場で戦うようなこともしてみたいです。有吉さんとかバナナマンさんみたいな今天下を取っているような方々が平場で戦っていたのを見ると、とても刺激を感じます。
お金も稼ぎたいです。恋愛をしない以上、経済力が求心力になると思うので、人をつなぎとめるためのお金も欲しいです。あと、晩年は海外のディズニーワールド内だけで生きていきたいので、お金は稼ぎたいですね。
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★永田敬介(ながたけいすけ)
プロダクション人力舎所属、東京都出身、1990年1月20日生まれ
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