見出し画像

【永田敬介インタビュー前編】汚い部分もさらけ出すような芸人に憧れた

後編はこちら

――お笑いが好きになったきっかけは。

永田:小学生のときに「明日があるさ」というドラマを見ていたんですが、松本人志さんが出るところだけコントの間になるな、と感じたんです。
小学生の当時は、普通のことを面白い言い方で言うのが芸人さんだと思っていたんですが、松本さんは逆で、普通の言い方で面白いことを言っていて、そこでお笑いに興味を持ち始めましたね。

中学生のころにブラックマヨネーズさんがM-1で優勝したんです。ブラマヨさんも普通の言い方で面白いことを言う、「芸人でない芸人」タイプだと思うんですが、そういった方々が勝つシーンがかっこよくて、芸人さんになりたいなと思いました。
松本さんやブラマヨさんみたいに、自分をよく見せようとせず、引かれることを恐れないというか、汚い部分を見せることで温かい気持ちになるような、人が出るような芸人さんが好きでした。

ただ、中学校や高校にはお笑い部なんてありませんよね。でも、どうやら大学にはあるらしいというのを知って、大学に入ってお笑いをやろうと決めました。とりあえず大学までは「待ち」だな、と思って中学高校では誰とも話さず、部活にも入っていませんでした。


――晴れて早稲田大学に進学されました。

永田:待ちの期間だった中学高校では誰とも話していなかったので、大学に入ってからコミュニケーションには苦労しましたね。敬語もまともに使えず、先輩に「うん」って言っちゃうみたいな感じでした。

大学の付属高校なので一緒に進学した人もいて、その中に、高校のころ「一緒に帰ろう」って言ってくれた子もいたんです。
大学入学後、彼に「遊ぼう」って連絡したことがあったんですが、連絡した後にキャンパス内で彼を見かけたので、なんとなく話しかけずに彼のあとをついていきました。彼はその間何度か携帯を見ながらも、電車に乗ってしまいました。そして、30分後くらいに彼から「ごめん、もう電車乗っちゃった」っていう返事が来て、僕はそれ以降彼には連絡しなくなりましたね。
僕は彼を友だちだと思っていたんですが、今考えると、高校時代も宿題の情報を効率よく得られるような話題しか振られていませんでした。まあ、彼も大学という新しい環境で大変だったんでしょうね。


――寄席演芸研究会を選んだのはなぜですか。

永田:早稲田大学だけで売っている情報誌というのがあるんですが、サークル紹介のページのLUDOのところに「みんなで北京ダックとか食べに行きます!」って書いてあって「なんで北京ダック食べに行くの?みんなで北京ダック食べに行くのすごい嫌なんだけど」って思ったんですよ。北京ダックを食べに行くくらい仲が良いってことだったんでしょうけど、当時は文字通りにしか受け取れない頭だったので、「えっ、北京ダック?」ってなっちゃったんですよね。
寄席演芸研究会は文字もかたいし、オアシズさんとか山田邦子さんも輩出しているし、ミーハー心もあってそちらを選びました。

今はLUDO出身で活躍している芸人さんもたくさんいらっしゃるので、北京ダックは正しかったんだなって思います。


――入られた寄席研はどんなところでしたか。

永田:部活には暴力があるものだというイメージがあったのですが、そんなこともなく、みんな優しかったです。

新入生のときに「芸人では誰が好きなの?」という質問をされたんですが、「ダウンタウンが好き」なんて言ったら「ダウンタウンが好きなのは当たり前だろ!ダウンタウンの次に誰が好きか聞いてんだよ!」って殴られるかも知れないというのが怖くて。でもダウンタウンさんが好きなことは伝えておきたかったので、「大前提としてダウンタウンが好きなんですけど…」と言ったら、お笑いの意識高いやつだと思われて、それ以降「大前提として○○が好きなんですけど」っていうのをずーっといじられましたね。

あとは髪の毛が長かったので、「POISON GIRL BANDが好きなんじゃないの?」っていうのも言われました。確かに髪の長さで見ると、松本さんとは全然違ってましたけど。


――大学時代は大会にも出場されたんですよね。

「上着を脱いで彼女に着せてあげる」のマイムをしてくださる永田敬介さん

永田:大学のホールとかでネタをやるだけで緊張していたので、大会に出るのには消極的だったんです。
当時好きな子がいて、その子が「面白い人が好き」と言っていたのを聞いて、初めて大会に出ることにしました。面白いというのを結果として出せたら、付き合ってもらえるんじゃないかなと思ったんです。

準決勝の時点で、サークル内で残っているのは僕たちだけでした。ということは、少なくともサークル内では僕が1番面白い人なはずなので、僕と付き合うしかないんですよ。でも、ここまできたら優勝後に告白した方がかっこいいなと思って待っていたんです。それが明暗を分けましたね。

その子は決勝の2日前にサークルの別の男と付き合い始めてしまいました。その男は、夏の暑い時期なのにもかかわらず、自分の上着を脱いで彼女に着せてあげるみたいな、優しさを見せつけたいがための行動をするようなやつだったんですが、彼女にはそういうのが響いたんでしょうね。
「面白い人が好き」って言ってたからそうなれるように努力をしたのに、上着に負けたんです。「そういうことか、恋愛って」って気づきました。

もともと松本さんとかブラマヨの吉田さんみたいな、人間の汚い部分をさらけ出すような方々が好きだったこともあって、それ以降はサークル内のカップルの浮気を即バラすとか、ためらいなく悪の道に行ってしまいましたね。それ以来恋愛も「もう良いや」って思いました。


――そんな中でも優勝を手にされました。

永田:フラれた直後だったので尖った精神になっていたというのもありますが、その大会では正直圧倒的に僕らが面白かったと思います。でも、同じく決勝に進んでいた真空ジェシカもかなり面白くて、「ひょっとしたらこいつらが優勝かも」思うくらいでした。
大会後に決勝メンバーでのライブみたいなのがあったんですが、僕たちは優勝したんで結構ウケやすい環境だったんですよね。そんな中で川北がTwitterで「大会で圧勝したスパナペンチもTHE MANZAIでは1回戦で落ちたらしい。お笑いに絶対なんてものはない」というようなことを言ってて、友だちになれそうだと思いました。そういうことを吐き出さずにはいられない男か、こいつも、と。僕も、「調子が良いやつでもダメになる」というようなことが励ましになる精神というか、そういう方向に勇気を見出す気持ちがあるので、すごく記憶に残っています。

真空ジェシカが注目され始めてから、ここ数年はこういうことも言わないようにしてますけどね。売れてからそういうこと言うのって、なんかきついので。

★永田敬介(ながたけいすけ)
プロダクション人力舎所属、東京都出身、1990年1月20日生まれ
Twitter→ 

YouTube→


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?