ヌードは究極の女装
私は着飾ることが好きだ。
ただ、それは異性装愛好に近いものがある。
見た目と趣向とにギャップがないので、何も違和感なく、
ただ女性、だと見られているだけなのだとは思うが、
内面的には、オレは男でいることの方が多いくらいだから、
メイクする、手入れする、おしゃれする。
そんな女性であればごく日常的なことが、かなり女に振るモードを作り出す儀式に近い。
着替えは気変え
着ることへのこだわり、着るものを自分で決める「服育」は
性教育と並んで大事にしている。
決める ことが、その人の自信を育み、生きる力を引き出していく。
(これは、提供しているタロットセッションにも共通することである。)
子どもたちは幼いころから自分で着るものや着方を選んできた。
どうしても寒暖の具合で口出すことはあるが、
幼いころのズボンを前後ろにはきたいこだわりや、
独特の重ね着のセンスはそのままに一緒に楽しんだ。
TPOに合わせた装いは、その人の知性と美意識を表すので大事にしたい。
しかしそれ以上に、その人なりの自己表現を否定するのは私にはできない。
露出が多いとかスカート丈が短いとか、
性的被害に巻き込まれた際の女性側の落ち度といわれるケースがいまだにあるとしたら、
魅力的な女性をすっぽりとかくしてしまう風習と大差ない。
伸ばしたひげや長い髪の男性にとやかく言うとか
ばっちりメイクや長く伸ばした爪やたくさんのピアスに文句を言いたくなるとか、細かなことも。
何か人に言いたくなるのは、その人の抑制部分のネガティブな表出に過ぎない。
受け取らなくていい。
制服は嫌いだ。
受け入れるとしたら、コスプレとして楽しむほかない。
マスクについては、呼吸できんとか動物としての拒絶もあるが、
チャームポイントである口もとや笑顔を「隠す罪」の方がよっぽど気になっている。笑
経験上、私が女のようにふるまう方が、周りの人にとって
安心や喜びにつながることも知っている。
脱いだ女性の体で表現するということは、ある意味 究極の女装だ。
自分の中の女性というものを出し切ってみたかったのだと思う。
その美しさや魅力を遠慮なくこの世に残してみたかったのかもしれない。
女に「変身する」ことは、とても楽しくときめく反面、
エネルギーを要する。
時間をおいてどっと何もしたくなくなったりもする。
あ、、風呂入らずに寝ます。みたいな。笑
撮影をいったんやりとげ、内面の激動を感じて湧いてきた
次の表現活動のひとつは、男装。
そしてぶち抜けたファッションの世界だ。
幼少から変わらず好きなのは、動物と、着ることだ。
高校の時は、リメイクを含めて実験的なものを作っては着ていた。
女装の恍惚と、脱ぐ解放感と、男装のしっくり感、無限に広がる彩の世界。
やっと、自分の世界が出そろうような予感がする。
月から あそびひろげる 風から お前は美しい
と先週受け取っていた。
脱ぐも、着るも、深めていく。
ファッションでも 自分自身であれ! を伝えていく。
2022.2.24 記
写真(作品部分) TETSURO HIGASHI https://tetsurohigashi.com/
共同作品 上記HP内 TRAVELER OF TIME シリーズ
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