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人とつながりを創るってなんだろうって考えてみた

4月から6月にかけては、これまでの人生の中でも比較的人に会いに行った期間だった。
いわゆる異業種交流会のような朝活だとか、いろんな人のお話を複数人について聞くことができるイベントだとか。

4月だけでも、驚くほど仲良くなった友人との出会いも複数。
たった一度のお話なのに、その意気投合ぶりはすさまじく、その後合う回数は同月内で複数回に上る。

これに気をよくしたのか、その後もしばらく出会いの場への出席は続いたが、7月に入った今、若干の疲れを感じている。
実は6月ころからすでに一つの疑問が頭に浮かんでいたのだ。


◆きっかけは、大切な友人の一言

とある交流会で名刺交換をしているときのこと。
とても親しくしていただいている友人に沿って歩きながら話をしていると、その友人がふと漏らした。
「今日はこのくらいかな」
どういう意味だろうと軽く問うと、
「一度に何人もの人と話をしても覚えられないから、一度に〇人まで、と決めている」
とのこと。

実は名刺交換をしていて、同時にFacebookでつながる方も多いのだが、1週間も経つとあがってくる投稿の中に「誰だこれ?」というものが混じっていることに気づく。
よくよく思い出してみると、この間のあのイベントでお会いした方だった。

するとこんな疑問が浮かんでくる。
私は、なぜこの人とつながったんだろう?


◆利益目的のつながり形成は、疲れる

そもそも、私が交流会に行き始めたのには理由がある。
それは、会社の利益につながる人脈を増やしたかったからだ。

会社の利益を上げるには、まず知ってもらうことが重要。知ってもらうためには出会うことだ。
出会って私が広めていけばいいんだ!

すると。
交流会では、自分の話をどんどんしていくわけだが、会う人会う人に、何度も何度も同じように話をしていくことになる。
すると、だんだん話が機械的になってくる。暗記文を読み上げるかのようだ。スピードラー○ングか。

飽きた。
つまらない。
相手の反応も薄い。当たり前だ。私の話は面白くない。自分だって面白くない。


◆聞くのは得意

話すことに疲れた私は、まずは聞く側に回ることにした。
面白いことに、質問は湧くように出てきた。
質問していると、相手は考えて考えて、いろんな想いを語ってくれる。楽しくて仕方がない。
するとさらに私は質問したくなる。

ここではたと気づいた。
私は、人の「理由」にとても興味関心が深いのだと。

質問を続けているうち。
人から、「質問が鋭いよね」「普段聞かれない、本質を突かれるようだ」「とても新鮮」などの感想をもらうようになった。
ほほーう。そうなんだ!
自分の好奇心が、もしかしたら少し役立っているかもしれないと思うと、なんだか余計に楽しくなってきた。


◆共感部分には興味が深まる

聞くこ機会が増えてくると、相手の想いの部分や悩みの部分で共感するところが増え、相手への興味が深まっていった。
共感が増えると、感情の共有も増える。

ある意味私にとっての「やる気スイッチ」のようだ。


◆人の得意はそれぞれ違うらしい

短期間に、という言葉を2~3か月に対して使うのが今の私の感覚であるが、この短期間に毎月10を超える人々を見てきた。
目の前で他の人と話をする人、その後何かを生み出していく人。
一時期の私は、「私もそうあらねばならない」とどこかで決めていた。
例えば、
出会ったからにはその後何かを一緒にしないとつながった意味がない。
出会ってつながったからにはFacebookでのやりとりはなるべく密にしなければいけない。
出会って興味を持ってもらえた人には営業はかけないでいた方がいい。
などなど。

結局、すべてについて、あたかもそこに何かの法律があるかのようにふるまっていたのだ。

そんなこと誰が決めたの?

・・・私だ。

そう。すべて私。

そして、それは、とても生きづらい。つまらない。疲れる。

だったら、やめてしまえばいい。

私なりの、楽しい人付き合いを創ればいい。



そうしたらまた新しいものが見えてきた。
みんなの「得意」だ。

これまでは、「羨望」というフィルターにかかって全く見えていなかった部分だ。
羨望のフィルターは、相手に対する怒りや恨みの感情を生み出す。

あの人はなんであんなに目立てるんだ。話もうまいし、ずるい。
あの人はイベント沢山開催していてうらやましい。私だってやりたいのに、ずるい。

なんていうことを考えていたころがあったわけだが、今は違ってきた。
自分の好き・得意、に素直に向かっている人はあんなにも輝いていて、多くの人が輝ける場所を創造できる。
私はなんだろう。もっと私の得意をみつけてみよう。

そう思えるようになると、途端に、人それぞれができること、その人が好きなこと、やりたいこと、それらが愛しく感じられるようになってきた。


◆羨望フィルターの外し方

思えばこの人生、長いこと抱えてきたものだ。それがいつの間にか外れてきていた。

きっかけは、いよいよ羨むことに疲れを感じてきたことだった。
いつもいつも、人の話を聞くたびに羨み、妬み、恨み、しまいには怒り、文句を言い、そして自己嫌悪や言い訳まで。

自分が発していると、面白いもので周りの人の話題にも同じ要素が含まれる。
それを聞くのがまた疲れる。そして、それにどう反応していいか困ってまた疲れる。
もういいよー。

そこから、思考の癖を変えることにした。
人の話を聞いたときに、「なんでこいつはこんなことできるんだ。ずるい。私だってこれくらいできるはずだ」のような言葉が頭で会話されるわけだが、そこに問いを投げてみた。
「『ずるい』って本当か?本当に同じことしたいのか?本当に同じことできるのか?」
そうすると、不思議なもので「あれ?別に同じことしたくないな・・・」となるのである。
じゃあ、さっきのは一体全体なんだったんだ?

この「本当か?」の問いをしばらく繰り返しているうちにその本質がだんだんとわかってきた。
私は私なりに何かを実行して結果を得たいのだと。
別にその人のそれと同じことをやりたいわけじゃなくて、私は私なりにやりたいことを実行したい。実行して結果を得たい。
ただそれだけだった。


◆意味が変わると行動が変わる

それまでは他人に対する羨望から行動していたので、例えば人脈を増やすことも「あいつみたいに成功してやる」「私だってこんなに人を惹きつけられる」のように、何かを証明するためのような意味(目的)を持っていた。

しかし、意味(目的)が羨望からの証明ではなく「私なりにやりたいことを実行したい」になると、
無理に知り合いを増やさなくていい。
興味関心を持てる人とつながれたら嬉しいな。
とか、そもそも
私なりにやりたいことってなんだろうな。
何ができたら嬉しいかな。
のように、変に外向きだった突き刺さるようなベクトルは、いつの間にかとても柔らかい内向きに変わっていた。


◆行動が変わった結果、今は

最近の方向性は「アウトプット」。
特に、文章としてのアウトプット。
これまで、文章を書くこと自体はそんなに嫌いではなかったが、書いているうちにだんだん嫌気がさしてくることが多かった。
それは、書いているうちに「これ、自分が言いたいことじゃない」「もっと本音が書きたいのに書けない」と納得がいかなくなってくるからだった。

主な原因は1つ。
「深く知らないから」。
この1点に尽きる。

書きたいことに関する情報不足。
事実であれ、自分の感情であれ、自分の想いであれ、人の考えであれ、すべてにおいて「深み」が足りていないことが私にとっての重要ポイントだった。

司馬遼太郎さんは、現代の言葉と比べると少しだけ昔っぽい、けれど流れある表現をする。人情味があふれるというか、朴訥とした印象の言葉づかいで、たくみな比喩や隠喩を用いて時折小さな笑いへ導いてくれる。

それに比べて、(比べるのがまずもってアレなのだが)自分の文章の非力なことよ。
とほほ。

そんな時に2冊の本が私の非力さの理由を教えてくれたのだ。

「あなたの話はなぜの「通じない」のか?」山田ズーニー
「読みたいことを、書けばいい」田中泰延

ズーニーさんは、自分の感情・想い・こだわり、へのこだわりと表現方法を教えてくれた。
田中さんは、情報をとことん調べ、1次情報へ触れることの重要性とその実行結果を教えてくれた。

上っ面をなめていても始まらない。
周りとの違いがわからない。
「らしさ」がわからない。
共感が生まれない。
興味が生まれない。

これでは何も面白くない。

自分らしさってなんだろう。
自分の「好き」「知りたい」「やりたい」と、それぞれに対する「なんでだろう?」

ここが、周囲の人の、私に対する興味関心のきっかけになり、なおかつ私が周囲の人に対して興味関心をもつきっかけになるのである。


◆めぐりめぐって、人とつながる、とは

今の私にとって「人とつながる」とは、

「自分を知ること」「自分を成長させる原点・きっかけ」

と思う。

出会うことで、初めて知り、初めて考え、初めて感じるものがある。
それって、新しい自分を得た、ともいえるのではないか。

そこで感じたこと、知ったこと、考えたことを、これから先もっと成長させていきたいか?
そうではないのか?

これを知るだけでも、自分について知っている範囲がまた増えたことになる。
すごい発見だ。

というのが“今”の私の見解だ。

おそらく数年も経てば全く違ったことを言うのであろう。

というか、違うことを言っていてほしい。

1年後の自分が何を思うのか。

ちょっとワクワク期待しながら今回は筆を置く。

ほっこりして力を抜き、そっと余白を増やしていくお手伝いがしたいと思っています。一緒にお手伝いしてもらえたら嬉しいです。 サポートいただいたお金は、神社にご寄進したり、いただいた分お祈りを捧げたり、大好きな飲み物(ココア・紅茶)代として自分の癒しに使わせていただきたいと思います。