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地上を歩いた神(37)

(2006年9月3日 初版公開)

他にどうすることもできなかったピラトは、イエスを兵士たちに委ねることにした。ユダヤ人たちはようやく彼らの目的を達成することができたのである。

イエスは十字架を担がされ、ゴルゴタと呼ばれる場所へ追い立てられるようにして行った。ゴルゴタ、その意味するところは「どくろの地」である。なぜその場所がそう呼ばれたのかは分からない。しかし、処刑の場所にふさわしいような薄気味の悪い、不吉な名前であることだけは確かである。そのような場所へ、イエスは傷だらけの体に重い梁を負わされて行ったのだ。そして、彼は刑場に着いた。そこでイエスは二人の罪人と共に十字架につけられた。彼らに挟まれるような形でイエスは十字架につけられたのだった。弟子たちがそばで彼を見守っているのならまだしも、最後の時に、彼の一番近くにいたのは、死刑に値する筋金入りに罪人たちだった。

もし彼がたった一人で十字架につけられたとしたならば、無実の罪で罰せられている悲劇の主人公…というのは少々大げさかもしれないが、人々に何かを訴えることができたであろうし、何らかの形で人々の印象に残ることもできたかもしれない。しかし、そうすることも叶わず、三人の犯罪人の一人として、処刑されることになった。

さて、ピラトはイエスの十字架に打ち付ける罪状書きに、こう記した。「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス。」

ところがこれを見たユダヤ人の祭司長たちがピラトに文句を言った。「ユダヤ人の王と書かないで下さい。彼は王ではなく、王を自称しただけですから。」

「私が書いたことは、私が書いたことだ。今になって、取り消すことはできない。」

さすがにピラトも今回ばかりはユダヤ人たちに譲ろうとはしなかった。もしかしたら、罪のないイエスという男の処刑を認めてしまったことを後悔し、せめて最後くらいはイエスの言った言葉の通りに彼を呼ぼうと考えたのかもしれない。果たして彼が本当にイエスをユダヤの王であると信じていたからか、それとも単にユダヤ人たちの態度が気に入らず、意地を通そうとしたのか、どちらなのか本当のところは分からない。しかし皮肉なことに、異邦人であるローマ総督のこの言葉だけが、その時十字架につけられているイエスの真の姿を言い表しているものであった。

さて、ゴルゴタは都からさほど離れていないところにあったので、人々が大勢集まっていたという。中には好奇心だけの野次馬もいただろう。また律法学者や宗教家たちがイエスを恨んだように、イエスを敵視していた人々は正義がなされる瞬間を目撃しようとしたのかもしれない。しかし、考えてみればイエスは人気者だったのである。そこに集まった人々がことごとくイエスを憎んでいたわけでもないだろう。彼らの多くはもっと自然な理由で集まったのかもしれない。つまり、イエスが本当に神の子であり、救い主であるならば、何か奇跡が起きると、そう期待していたのかもしれない。

しかし、彼らが見たのは血と汗と泥にまみれ、あざと傷だらけの体に十字架を担いで、ひたすら歩く、いや歩かされている一人の男でしかなかった。そのようなイエスの姿に、王としての栄光も、神の子としての権威も、救い主としての魅力も何も見られなかったことだろう。その様子を見て、彼らは失望しただろう。失望が怒りに変わった者は、十字架につけられたイエスを罵ったに違いない。また、悲しみに変わった者は、イエスに背を向けその場を立ち去ったにかもしれない。

なぜイエスはこのような憂き目に遭わなければならなかったのだろうか。それは、イエス自身の罪はなくても、イエスには罪があったからだ。そしてその罪の故に、彼は辱めを受け、十字架での死を迎えなければならなかったのだ。ではイエスの罪とは何であろうか?それは、イエス以外の人々の罪なのである。それはユダヤ人たちの罪であり、異邦人たちの罪であり、そして何世代も後の世を生きている私たちの罪なのである。私たちが苦しめられ十字架の上で死ぬことがないように、イエスが身代わりとなったのである。

これが、イエスが救い主たる所以なのであろう。

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