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帝国議会で一度だけの重国籍議論の中身

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では、国会会議録検索システム(新憲法下の国会の会議録)で「重国籍」の語を検索したところ、525件1392か所
ヒットしたこと、そのうち、一番古いものである
※「国籍法案(内閣提出)に関する報告書」
について取り上げました。(昭和25年の国籍法につながる法案)

 「二、議案の要旨」部分の6に、「二重国籍の発生を防止するため」という文言が(こっそり?)挿入されているのですが、どうみてもこれは、議案の目的

一、議案の目的
 現行国籍法の中には、憲法及び民法の趣旨にそわない規定があるので、これを改めるため、あらたに国籍法を制定しようとするものである。

に合致しているわけではないし、あとがき部分の

以上の諸点を除いては、この法律案は現行法の規定の趣旨を踏襲したものである。

という現行法(旧国籍法)の趣旨を踏襲したもの、とも言えない。旧法を踏襲したわけでも、新憲法の趣旨にも合致しない「二重国籍の発生を防止する」という思想を憲法改正のどさくさに紛れて、ねじ込んだものであったように見えます。

これに対して、「帝国議会で一度だけ」取り上げられた重国籍にまつわる議論と言うのはどういう内容だったのか? 日本国憲法を制定する際の議論なのですが、今回はそれを見てみます。

※第90回帝国議会 貴族院 帝国憲法改正案特別委員会 
第16号 昭和21年9月18日

https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=009002531X01619460918&spkNum=49&single

049 佐々木惣一
○佐々木惣一君 (前略)此の第二十二條の二項ですが、是は國籍を離脱すると云ふことに付きまして、昨日も牧野委員からの御話もありましたが、實は是は私が本會議でありましたか、一般の會議でありましたか、ちよつと御尋ねしてある筈ですが、我々は國民が國籍を離脱すると云ふことに付て自由を侵されないと思ひますから、國家は國家の意思で、國籍を離脱すると云ふやうな、さう云ふ國民の何に付ては、何等關與することは出來ないと云ふ風に解釋しなければなりませぬが、此の點に付きまして、私は立法上どうも工合が惡いと思ひます、此の場合にちよつと御尋ね申上げますが、此の點に付きましても、法律で以て公共の福祉と云ふやうな點に著眼して、何等か其の場合とか、條件とか云ふやうなものを決めることが出來るのでありませうか、出來ないのでありませうか、それだけをちよつと伺ひます
(現代語訳)
○佐々木惣一君 (前略)この第二十二条の二項ですが、これは国籍を離脱するということについて、昨日も牧野委員からのお話もありましたが、実はこれは私が本会議でしたか、一般の会議でしたか、ちょっとお尋ねしてあるはずですが、私たちは国民が国籍を離脱するということについて自由を侵されないと思いますから、国家は国家の意思で、国籍を離脱するような、そういう国民の何については、何ら関与することはできないという風に解釈しなければなりませんが、この点について、私は立法上どうも工合が悪いと思います、この場合にちょっとお尋ね申し上げますが、この点についても、法律で以て公共の福祉というような点に着目して、何らかその場合とか、条件とかいうようなものを決めることができるのでしょうか、できないのでしょうか、それだけをちょっと伺います]

ここでは、「国籍離脱の自由を認め、国が干渉できないというのは立法上具合が悪いのでは?」「何か、条件をつけて制限できる可能性は?」
と、佐々木惣一議員(立命館大学の総長だった方)は聞いており、

https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=009002531X01619460918&spkNum=50&single

050 金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 其の公益の枠の範圍内に於て法律で決めることは出來るものと考へます
(現代語訳)
○国務大臣(金森徳次郎君) その公益の枠の範囲内において法律で決めることはできるものと考えます

「公益の枠で法的な制限を課しうる」と金森大臣は答えている。

○佐々木惣一君 それならば何も申上げることはないのです、併し其の條件が現行の國籍法等にありまするやうに、御存じのやうに、勅令を以て定めるたる所の國に於て、例へば「アメリカ」の如きですが、其の國の法に依つて、其處に生れたと云ふことを理由として其の國籍を得るやうな、さう云ふ國柄に於ての日本人は、生れたら直ぐ即ち國籍を離脱するの意思を表示すれば、日本の國籍を離脱すると云ふ規定がある譯ですな、さう云ふやうな國際的の關係に於て二重國籍と云ふやうなものを、詰り日本人であつて且「アメリカ」人であると云ふやうな、さう云ふ二重國籍と云ふやうなものを避けますることの爲に、ああ云ふ規定が出來たと理解して居りまするが、特にさう云ふやうなことを眼中に入れておいでになりますのでせうか、どうですか、ちよつと御尋ねして見たい
(現代語訳)
○佐々木惣一君 それならば何も申し上げることはないのです、しかしその条件が現行の国籍法などにありますように、ご存じのように、勅令をもって定めるとある所の国において、例えば「アメリカ」のような場合ですが、その国の法によって、そこに生まれたということを理由としてその国籍を得るような、そういう国柄においての日本人は、生まれたらすぐさま国籍を離脱するの意思を表示すれば、日本の国籍を離脱するという規定があるわけですね、そういうようなことを国際的な関係において二重国籍というようなものを、つまり日本人でありながらも「アメリカ」人であるというような、そういう二重国籍というようなものを避けることのために、ああいう規定ができたと理解していますが、特にそういうようなことを眼中に入れておられますのでしょうか、どうですか、ちょっとお尋ねしてみたい]

ここは非常に興味深いです。
旧国籍法での国籍留保の規定は、勅令で定める6か国(アメリカなど)で生まれて、一定期限までに「国籍留保の手続き」をしない場合、出生時に遡って日本国籍を失うこととするというものなのですが、これを佐々木議員は、
そういう国柄(生地主義国)においての日本人は、生まれたらすぐさま国籍を離脱するの意思を表示すれば、日本の国籍を離脱するという規定)と、「国籍離脱の意思の表示」による国籍離脱と解釈しています。で、「二重国籍というようなものを避けることのため」の規定なのか?と聞いているのですが、これに対して

052 金森徳次郎
○國務大臣(金森徳次郎君) 此の國籍を離脱する自由を侵されないと云ふことは、本當を言へば、衆議院で修正されました「日本國民たる要件は、法律でこれを定める。」と云ふものと、或部分に於て少しく關係が密接過ぎる位に關係して居ると思つて居ります、唯原案に於きまして、第二十條に斯樣な規定を置きましたのは、詰り國家と云ふものは、固より自分の國を主として考へると云ふことは當然でありますけれども、併し考を廣くして、故なく人の國籍を移り行くことを妨げないやうにしようと云ふ、謂はば此の憲法の持つて居りまする一つの基本の考へ方が此處に一端を表はしたのでありまして、國の公益に正式に説明の出來る程の理由もなく、本人は國籍を離脱したいと云ふものを、何の爲に留めるか、それは其の自由に委して、國家は消極的の態度を執つて宜からう、斯う云ふ大きな原則から來て居るのであります
(現代語訳)
○国務大臣(金森徳次郎君) この国籍を離脱する自由を侵されないということは、本当を言えば、衆議院で修正されました「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」というものと、ある部分において少しく関係が密接すぎるほどに関係していると思っています、ただ原案において、第二十条にこのような規定を置きましたのは、つまり国家というものは、もちろん自分の国を主として考えるということは当然でありますけれども、しかし考えを広くして、わけなく人の国籍を移り行くことを妨げないようにしようという、言わばこの憲法の持っている一つの基本の考え方がここに一端を表したのでありまして、国の公益に正式に説明のできるほどの理由もなく、本人は国籍を離脱したいというものを、何のために留めるか、それはその自由に任せて、国家は消極的な態度をとってよかろう、そういう大きな原則から来ているのであります

(一つ前の答弁で)「公益の枠で国籍離脱に法的な制限を課しうる」としつつも、ここでは、公益として説明できるほどの理由がないので、離脱したいのだったらその自由に任せて国家は「消極的な態度」をとってよかろう、と。そしてそういう考えを「大きな原則」だと説明しています。

053 佐々木惣一
○佐々木惣一君 能く分りました、さう云ふやうに現行の制度に國籍の離脱を認めたと云ふのは、もつと廣い寛大と申しますか、寛大の氣持と伺ひます、そこで其の點で御伺ひ申上げるのですが、私共の考としても、日本人であることがいやだと云ふ人間を日本人にして置く必要はないと實際は考へますけれども、併しながらどうも日本と云ふ國家生活を爲して居る以上は、其の國家生活を爲して居る者が勝手に日本人であることをやめようと思へばやめられると云ふやうなことは、私は餘り贊成しない、是は意見の相違だから仕樣がないが、從つてさう云ふ氣持であるに拘らず、時に國籍の離脱と云ふことが其の人の意思に依つて爲し得ると云ふことを認むる必要がある場合は、恐らく外交的の、國際的の事情と云ふものに基いてさう云ふ必要があるのではないかと私が思つたものですから、そこで此の國籍の離脱を自由に爲すと云ふことを認められると云ふやうなことに關する御見込を聽いて見たのですけれども、それ以上は意見の相違ですから、要するに其の點に付きましてはそれだけのことを申上げて置きます、(以下略)
(現代語訳)
○佐々木惣一君 よく分かりました、そういうように現行の制度に国籍の離脱を認めたというのは、もっと広い寛大と申しますか、寛大の気持ちと伺います、そこでその点でお伺い申し上げるのですが、私たちの考えとしても、日本人であることが嫌だという人間を日本人にしておく必要はないと実際は考えますけれども、しかし一方でどうも日本という国家生活をしている以上は、その国家生活をしている者が勝手に日本人であることをやめようと思えばやめられるというようなことは、私はあまり賛成しない、これは意見の相違だから仕方がないが、従ってそういう気持ちであるに拘らず、時に国籍の離脱ということがその人の意思によってなし得るということを認める必要がある場合は、恐らく外交的な、国際的な事情というものに基づいてそういう必要があるのではないかと私が思ったものですから、そこでこの国籍の離脱を自由になすということを認められるというようなことに関するご見込みを聞いてみたのですけれども、それ以上は意見の相違ですから、要するにその点についてはそれだけのことを申し上げておきます(以下略)

佐々木議員は、寛大な気持ちで、国籍離脱したい人はさせてあげようということだなと解釈するが国籍離脱の自由に賛成できないけど、意見の相違だと言うことを述べています。

議論はこれで終わりです。
 ここで、ちょっと考えてみてください。寛大な気持ちで、国籍離脱させるさせないといっている議論の対象は「二重国籍者」なのですね。
 そもそも、外国籍の志望取得者は旧国籍法20条で日本国籍を喪失することになっているわけですから、「賛成しない」も何もないわけです。
 ここは、「重国籍者が日本国籍を離脱したいと言うのであれば、寛大な気持ちで認めようじゃないか」と大臣は言うが、佐々木議員はあまり賛成していない。そういう話になっています。
 憲法制定時の議論はこういうものだったのです。
 これがどうして、39年後、昭和60年施行の国籍法では「重国籍者に国籍選択義務を課す」と言うような話になってしまったのか・・。

 どうも妙な誘導・ごまかしがあったとしか思えません。

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