「好き」を「好み」と表現できない人のこと

リウです。

最近まで、一日に映画を5本見るという生活を送っていました。なので、画面を10時間近く見続ける生活だったわけです。肩こりを人生で初めて経験しています。人に肩揉みをお願いするのも分かるようになりました。年齢でしょうか?まだ若いんだけどなぁ。

そもそも、なぜ映画を見始めたのか?が気になりますよね。
それは、芸術分野に詳しくなかった事にあります。

マジックの中でも、創作活動をする事があります。
何かを表現したい。相手に伝えたい。など、現象が起きる事での不思議さの外側を追究する事があるわけです。
そうなると、表現の方法、手段などの言語化、それらの力が必要になります。私にはその力が強くなかったんですね。広い世界を知ったからこそ、その無力感を感じていますね。

元々、音楽はやってました。そのため曲を分解して聞く意味においての耳の良さはあるつもりです。
けれど、視覚情報としての芸術は見てこなかった。それを少しでも集めたい!という思いから、そのような行為を始めました。

映画めっちゃ見た!(ちなみに100本近くです。ちょっと凄いでしょ。)という自慢をしたかったわけじゃなくて。本編はここから。

私はその経験を経て、思った事がありました。それは、好き!こうしたい!と思った事が純度100%でアウトプットできないという事です。
うん。創作においては最悪の思考ですね。知ってます。

そもそもなんだそら?ですよね。わかりますよ。私も今から頑張って言語化しますし、自分でもよくわかってません。モヤモヤしたままこれを書いてます。がんばって書き起こしますね。

皆さんには、好きなものってありますか。
推し、アニメ、ゲーム、映画、アウトドアなどなど、人の数だけ好きなものは溢れていますね。
私も、マジックが好きです。後アイドルも好きです。意外?結構言われます。
じゃあ、ゲームが好き!な人がいたとしましょう。
いっぱいありますよね。そこで、あなたが気になったゲームがあったとします。プロモーションの映像を見て、「ほう」となるあなた。お金にも余裕があって、問題なし。後はここでボタンを押すだけの状態。
好きなら普通に押しますよね。欲しいし。

ここで、私はボタンを自分の力で押せないんです。
一人で道を選ぶ事に抵抗感があるんです。
だから、必ず誰かに買う事を伝えます。「俺◯◯っていうゲーム買おうと思ってるんだよね」って。
「え、いいじゃん!今度一緒にやろ!」
と返されたらボタン押せますし、「いーじゃん」と棒読みで返されたとしても押せます。
だから、「好き」を「好み」と表現、行動に移す事ができないんです。
作品を作ったとしても、人に見せれない。
作ってる途中で投げ出してしまう。
そういう事がよくありました。
そこに恐怖感があって。誰もダメなんて言わないのは分かっていますが、でもダメって言われている気がして。
そういう思いが芽生えてしまうので、欲しい!とかしたい!とかは、まず周りに必要な事をベースに考え、この時にはこういう事が必要だよね。という自己流の理論で自分を納得させてから動きます。

根拠のない、感情に身を委ねる事ができないという事です。それのせいで、私は100個ぐらいのチャンスを取り逃がしている気がします。
憧れの人に会う、見たかったショーやライブに行く、好きな人に好きって伝える
人として何も恥ずかしくない行動が、自分を苦しめているという状況なんだなと思います。
ちょっとだけわかっていただけたでしょうか?

だから、私の周りにいる人には思ってる3倍ぐらいは感謝してます。本当にすまない。

映画鑑賞期間を通じて、人が頑張っている姿、変わっていく姿を沢山見ました。役ではあるけれど。
その度に、好きってなんなんだろうか。自分の夢を追えて、この人は羨ましい。と思い、自分の首を絞めているような感覚に陥りました。
どの作品も面白かったですよ!勿論です。沢山泣いて、わらいましたから。

共感してくれる人は多くないと思います。
ブログにこんな事書いていいの!?ネガキャンじゃない!?って思う方もいると思います。確かにそうかも。と思います。
ただ、人に頼る事はある。それでもマジックを通じて皆様に伝えたい事があるし、楽しんでもらいたい。という思いがとても強くあります。
それを叶える為の第一歩。好きではなく、自分を伝える努力を少しずつ。そこから、やれる事を増やしていければ良いなと思います。
人の行動を手に入れる為のリハビリって事ですね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
へぇ、こんな人もいるんだなぁ。自分は違うけどな。ぐらいに思っていただけたら幸いです。





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