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雑記⑬「責任背負えんのか」


1.真面目という生き方

 自分に対して、なんとなく「不真面目ではないな」と思っている。
ただ、「生真面目というわけでもないな」と思っている。
でも、「真面目でいようとしてはいるな」と思っている。

 ”自分がここにいていい理由”が永遠に見つからない。
これはある種の自己肯定感のようなものなのだが、これを手に入れるのが本当に難しい。
人に取り入る上手さ、人当たりの良さ、愛嬌、圧倒的コミュ力、人懐っこさ、サバサバ感。
世渡り上手な人に備わる能力がこれっぽっちもない自分に、流石に落ち込む。
インターンシップでもアルバイトでも大学でもそんなことの連続で、就職した後のことが思いやられる。

 不真面目に生きてた中高のあいつらの方が、きっと世渡りは上手だ。
先生にだって、気に入られていたと思う。
俺なんかよりも先に、名前を覚えられていたと思う。
ここはそういう世界。有無なんか言わさない。

 人助けをしてチヤホヤされるのはいつだって僕らじゃない。
僕らがチヤホヤされないことに文句はない。
ただ、ここはそういう世界。有無なんか言わさない。

 普段まともにしていたら、僕らが宿題を忘れても「たまにはそういう日もあるよな」と許してもらえることが多かった。
課題を一度も出したことがない奴らは、この先5回の課題を出さなくてもいつものことだから別に対して怒られない。
逆に僕らがこの先5回分の課題を出さなかった場合、「最近たるんでるんじゃないか」なんて叱責される姿が目に浮かぶ。

 真面目に生きることを選んだのなら、それを貫き通す以外の道はない。

 僕は今、レジのバイトをしている。
僕のレジ打ちは別に然程さほど早くないけど、礼儀正しくペコペコして、接客も丁寧に心がけて、私語も気をつけて、ミスをしないようにすることでかろうじて首の皮一枚繋げた”自分がここにいていい理由”に縋って、毎回アルバイトへ向かっていた。
俺の価値は、面倒なことをしないことにふんわ〜りと宿ってくれているだけ。
その価値を守るには、必要としてもらうには、不必要と思われないためには、それをどうにか維持する以外に道はない。
ボロが出たら終わりなんだ。

 最近新しくバイトに入ってきた同世代の女性がいる。
その人のレジ対応を聞いていると、僕の比じゃないくらいお客さんに話しかけられている。
絶対に世間話を仕掛けてくるお客さんというのも僕が認知している範囲では3人ほどいるのだが、彼女の場合はその限りではないのだ。
「今めっちゃ雑談してんな」と思って耳を傾け、それが僕も話しかけられる人だった時に「よかった….」と思っている自分がいます。
だから、自分が話しかけられたことのないお客さんだった時、僕と彼女から滲み出ている人間性の部分に圧倒的なさを感じています。

 バイトをまとめてくださるパートの方や社員さん、先に挙げた女性の接客を聞いている時、その言葉遣いにハラハラする時があります。
僕がお客さんに対して「レシートいります?」「ポイントカードありますか?」なんて口を利いたら確実にクレーム案件だろうなと思っています。
「レシートはご入用ですか?」「ポイントカードはお持ちでしょうか?」以外の選択肢は僕にはないです。
 この言葉遣いで許される人と僕は何が違うんでしょうか。
 この言葉遣いが愛嬌や親しみやすさにつながる人と僕は何が違うんでしょうか。

 真面目で括るには無理がある話になってきてしまいましたが、真面目で生きることを選んだのであればそれを続けることでしか存在を許してもらえた気がしません。
 それができなくなった時に首を切られ、使い捨てられます。

 でもここは、そういう世界。


 だから、この前バイトで大ミスした時は終わったなと思いました。

2.信頼

 だから、大ミスした日は「あーあオワった。仕事できないポンコツなのがバレた。」って思いました。
なんであんなこと起きた?と詰められて、ちゃんと答えられる自分が嫌でした。
そこまで分かっておいて防げなかったのが情けないです。
一瞬でも頭を「誤魔化せるかも」なんて考えがよぎってしまったのも嫌です。

 あの日のバイト帰りは、人からの信用はどうやって落ちるんだろうなとかいろいろ考えてしまいました。
自分も他人に対してそうであるように、「不信感が積もり積もってプチンと切れたように信用が失われることが多い」という結論にその日は落ち着きました。
バイトでミスして迷惑をかけた社員さんに、その後普通に仕事を振られて「急だったのにやってくれてありがとね」なんて言われている状況に、時空が歪んでるとしか思えませんでした。
ただこれは積み上げた信頼なんかではなくただの執行猶予だなと思います。
学校の課題と同じで、積み重ねてしまったらあいつらと同じことなんです。
 別に僕はできた人間ではないので、人並みにやらかすし失敗します。
でもその状況を切り抜けるスキルはないから、とにかく真面目で生きることでそれをカバーするしか選択肢がありません。
それでも中身はポンコツだから、本当の“自分”なんてすぐにバレてしまいます。
一回ミスした後、次のミスが半年後とかならいいんですけど、そういう時は気が動転したりして同じ日に連発させちゃったりします。
OSからポンコツなんですよ。
 ミスしても、ちょっとヘラヘラしつつ「次はないからね〜笑」なんて言ってもらえる部類の人が羨ましいです。
俺もそうなりたいけど、無理なのは百も承知。
だから、真面目で生きるしかないんです。

3.適材適所

 「適材適所」なんて言葉がある。
人には得意・不得意があって、それぞれ得意なことを活かせばいい。みたいな。

 この前受けたインターンシップでグループワークがあった。
大まかに言うと「最新技術を活用した企画を考え、プレゼンを行う」というものだった。
インターンの事前課題として企画をあらかじめ考え、それを4・5人のグループで揉んでブラッシュアップするという流れだった。
グループワークは自然と役割が分かれる。
なんとなく仕切ってくれる人や意見をまとめる人、案を出す人。
僕に向いているのは確実に「案を出す人」だ。
高校の授業でやったグループワークの時からそう思っている。
大学に入ってからも、自分には指揮をとることが向いていないとはっきりとわかった。
その代わり、向いている役割を期待以上に全うする必要がある。

 それができたらこんなnote書いてないわけなので、できてないんです。

 グループワーク中は頭フル回転でなるべく事をうまく進めていきたい。
そのためには自分も役割を果たさなくてはいけない。
 「案を出さなきゃ。考えよう。」
 他の人が案を出していくのを聞きながら、頭の中が「今、俺、マジで頭まわってねーなー」でいっぱいになっている時が多くあります、
高校生の時から、よくあります。
真面目に生きることを選んだ人生なので、この類の状況でやる気がないわけがないはずなんです。
事前課題もちゃんと取り組んだし。
その上で「今、俺、マジで頭まわってねーなーーー」で頭がいっぱいになります。
気がついたら他人の意見に賛同するだけの置物になっていて、さらに「頭回ってない!」で頭がいっぱいになります。
5分は確実に声を発してないなと思い始めると、「今更声を出しやがって」とか思われるのが怖くなってしまう。
「いいとこ取りかよ」とか「これだけ考えてそれだけかよ」とか。
同じ職種を志望しているとはいえ、おそらく今後会うこともない人に対しても変に自意識が働いてしまいます。
この日はグループを回してくれていた方が話を振ってくださり、その時とっさにいい感じの意見を言えたのでよかったですが、もうよくわからない意識や感情に押しつぶされそうでした。

 これから本格的な就職活動も待っているというのに、どうしたらいいんでしょう。

4.責任背負えんのか

 夏休みに入ってから「それでも生きていこうと思えた」なんて帯に書かれた小説をたくさん読んだ。
たくさんの登場人物と出会ったが、特に「毒親」「DV」「いじめ」などの影響の大きさを感じて疲弊した。
急激に、人と関係を築くことが怖くなった。
これ以上誰とも仲良くなりたくないし、これ以上関係を深めるのが怖くなった。

 過去のそういった出来事に、その先の人生がどれだけ縛られるかを考えだしたら怖くてしょうがなかった。
これまでの自分が清廉潔白と言い切る自信はないけど、これ以上積み上げてしまうのは御免だなと思ってしまった。
友人、まだいたことない恋人、まだいない子供。
その全てに責任なんて、とてもじゃないけど背負えない。

 何がトラウマになって、人生を縛るかなんてわからないわけで。
もう、全部が怖い。

5.人間味

 レジのバイトはある程度定型文がある。
読み上げる金額とポイントカードの有無で内容がちょっと変わる、それくらいの簡単な定型分。
アレに関しては定型文がほぼ口からこぼれ落ちているようなものなので、とにかく無愛想にならないようにだけは気をつけている。

 その提携文を発している時に、たまに声が裏返ってしまう時があるのだが、その度に申し訳なく感じる。
レジ店員のくせに人間っぽさを出してしまったことに、非常に申し訳なくなるのだ。
僕ら店員は商品を黙って爆速かつ丁寧にスキャンする機械であればあるほど、お客さんにとって望ましい存在だろうなと思う。
ユニクロの星野源キャンバストートバッグを持っているお客さんを見かけても、バナナマンのバ帽をかぶっているお客さんを見かけた時も別に声はかけなかった。
そもそも、顔も覚えない方がいいんだろうと思う。
でも、毎日見かけると覚えてしまう。
ポイントカードを持っている人かどうかも覚えてしまう。
あの人は絶対紙袋を買う人だなとか、お店のカゴとマイカゴを重ねたまま出してくる人だなとか、いつも梅酒の紙パック買う人だなとか、いつもチョコあ〜んぱん買う人だなとか。

 ポイントカードを持っていないって分かっている仕事帰りのサラリーマンの人にも、一応「ポイントカードはお持ちでしょうか?」と聞いています。
覚えてるのキモいかな、と僕は思ってしまうので。(それに、「この前までポイントカード持ってなかったですよね?」という人にもたまに出会しますし。)
でも相手からしてみれば「いつも持ってないっていってんだろ」とお思いかもしれない。
その度に、「すべての人に的確な接客をするのは不可能だな」と思うのです。

 お客様に書いてもらう意見箱のようなものが、僕のバイト先にも設置されている。
半年ほど前、『「レジ袋はよろしかったですか」などと聞いてくれないと買い忘れてしまう。そういう心遣いもしていただきたい』と書かれていた。
レジ袋の枚数を確認するのはマニュアルに書いてあった。
いつも聞いてたらめんどくさいので「明らかに1枚で足りるけどな」という場合にのみ確認を取るようにしている。
これに関しても僕は「いるから2枚取ってんだろ」と思われるのが怖いです。
実際、食い気味で「はい」なんて言ってくるお客さんもいます。
ただ、「すみません、1枚です」と言うお客さんの方が圧倒的に多いので割り切って枚数の確認は取るようにしています。
 それに、持ってる鞄の中にエコバッグが入っているかなんて店員からはわからないわけで、そこに「レジ袋はよろしいですか」と確認を取るのはお互いにとって手間であることの方が多いように感じます。
でもそれを「不親切」に思う方もいるわけで、その人がどちらのスタンスの方なのか側から見ただけでは分かりっこありません。
時代と逆行させて、見た目の偏見で対応を変えればいいですかね。
それとも少数派は切り捨てる方向で割り切るべきですかね。

 ただ、「マニュアル通りしかできない最近の若者」なんて括り方をされるのは非常に癪ではあります。

 アーティストのライブTシャツを着てお店に行った時、「〇〇好きなんですか?」とか聞かれたら多分嫌な人が大半ですよね。
黙ってレジ打っとけやって話ですもんね。

 だから、接客中に声が裏返ると、すべてをひっくるめて「人間味出してごめんなさい」って思ってしまいます。

 僕のレジに来たお客様の人生を占める「レジ打ちを待つ時間」を極力短くできるように一生懸命頑張るので、イライラせずに黙って待っとけ下さいね。

6.お惣菜

 バイトがゴミクソだった日の翌日は休みだった。
どうも頭の中がモヤモヤして、地に埋まった自己肯定感をどうすることもできなかった。
最寄りのスーパーの閉店時間が迫る中、夕飯として食べられるものが何もなくて焦っていました。
ちょっと散歩がてら『友人A』でも聞きながら惣菜を買いに行こうと思い立ちました。
結果的にそれでよかったのですが、米を炊かずに惣菜を買いに行くという糞ムーブをかましました。

 スーパーに着くもやはり惣菜はほとんど残っていませんでした。
しかし「一口サイズイカ天」みたいなやつだけ異様に売れ残っていて半額になっていました。
隣に置いてあった茄子の天ぷらと共に購入し、帰路へ。
エコバッグを持っていなかったので、両手に天ぷら状態。
何往復したかわからない道をとぼとぼ帰る。

 途中で魔が差して一つイカ天を食べたところで、なんでかわからないけど涙が出てました。
「俺、今、幸せだなぁ」って心の底から思いました。
数ヶ月前から予約していたCreepy Nutsのアルバムも届いて、その中の一曲を爆音で鬼リピしながら、夜に散歩して、イカ天食べて、幸せだなぁって純粋に思いました。
家の暗い部屋で、塩と醤油を多めにかけて食べて、満足でした。
米を炊いてなくてよかったです。

7.最近聴きまくっている曲

♪Creepy Nuts/友人A
♪Creepy Nuts/15才
♪TOMOO/らしくもなくたっていいでしょう
♪Creepy Nuts × Ayase × 幾田りら/ばかまじめ

8.読んで泣いた文

気になった方はぜひ読んでみてください。一応、ページ数の記載は控えておきますので。

「自分が誰かにくさされる危険を感じたのとおなじように、そんな野暮な瞬間がこの人の人生になければいいなと思っただけ」
又吉直樹『人間』
「他人を責めることをやめることで自分自身を許すことになる」
島本理生『夜はおしまい』
「この人、こんなふうにずっと笑ってればいいのになーと思った」
窪美澄『夜のふくらみ』
私より幸福な場所で苦しいと泣いているひとに、石を投げようとせずにはいられない。でも投げ切るだけの強さもなくて、掴んだ石だけ足元に溜まっていく。それは私自身を身動き取れなくさせる。
町田そのこ『夜空を泳ぐチョコレートグラミー』

9.それでも生きていく

 どれだけ考えても結局、「人生の中の不確定要素を楽しめるようになる」のが一番だなという結論に落ち着いてしまう。
それが根っこからできる人は、他人から嫌われることも恐れないし、受験の結果で落ち込み過ぎずに割り切れたり、告白をして振られることに怖気付かない。
ハラハラドキドキ。
それを楽しめるやつが一番生きてて楽しそう。
そんなのは見てるだけでわかる。
それなりの苦労があるであろうことも推察する。
でも「生きてて楽しいでしょ?」って。
 「青春」「若気の至り」「今となってはいい思い出」なんて言葉になんでも押し込めることができたらどんな人生だったか。
それができなくても、人生はどんどん進んでいってしまう。
いつの間にか中学生で、いつの間にか高校生で、いつの間にか大学生で、いつの間にかインターンシップを受けている。
そのうち就活を終え、いつの間にか卒論を書き、いつの間にか就職をする。
そしていつの間にか30代になる。
過剰な自意識とプライドにがんじがらめ。
自己肯定感なんて備わらず、人間関係の構築から逃げる。
嫌われたくないけど、何かしらからは愛されたい。
そしてそれらを諦めたと言う方が簡単。
不慈悲に時間は過ぎていく。
いつかは拗らせたもの、ひねくれたものを治さなくてはならない。
でも治せる気概は見つからない。湧き上がらない。

 それでも生きていくしかない。





ここまで読んでいただいてありがとうございます。

馬鹿真面目なあなたに幸あれ
♪Creepy Nuts × Ayase × 幾田りら/ばかまじめ

#307  雑記⑬「責任背負えんのか」

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