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誰の心にも響かなくていい話

これは、誰の心にも響かなくていい話です。本当です。


 意味わからん奴や大人数で飯を食いに行ったり飲み会をしたりするのが嫌な理由として、「意味がないから」「めんどくせーから」なんてとても面と向かっては言えない。なぜなら、自分にできる範囲の中で全員に良い顔ができるよう最大限の努力をしたいなと僕は思ってしまうからだ。八方美人、それが僕には心底気持ちよく感じる。
 自分が時間・金銭・精神衛生面などで損をしても別に構わない。俺の人生は初めからそう決まっていたんだと思ってしまえば済む話だし。それに、もうそうして生きることしかできない。

 ”面と向かって言えない理由”は、胸の奥に隠しておく。いつかそれを使える日のために、大事に、大事に。読んだエッセイで、そう教えてもらった。
 逆に”面と向かって言える理由”ってどんなのだろうかと考えると、自分のことがちゃんと悪者に見えるような理由だった。
 それを考えていくと、割と論理もしっかりしていて、ネガティブで、陰湿で、自意識過剰以外の何物でもなくて、誰にも聞かせられないような理由が積み上がった。自分でも、異議がないくらいには。


 高校生の頃、当時入っていた生徒会の友人6人くらいと飯を食いに行った時があった。勉強や進路みたいな真面目なことも話せるし、下ネタで盛り上がれもする、良い人たちしかいない環境は居心地が良かった。その日は「好きな人はいるのか、彼女がいるのか、彼女とどこまでしたのか」みたいな話を自分で赤裸々に喋る見たいな流れになった。誰かがそういう話を始めて、それがどんどん連鎖していった。男子高校生が好きそうなラインの下ネタと真面目な恋愛相談がごちゃ混ぜになった話を、嘲笑する人は一人もいなかった。
 また一人、また一人と話が終わっていく。まだ話をしていないのは誰だろう、と動機が止まらなかった。
 いつの間にか客は僕らだけになっていた。注文した料理も食べ終えていたが、店主さんのご好意でそのまま居座った。
 また一人、また一人と話が終わっていく。この場の何が嫌だったかというと、自分に「話すことが一つもない」ことが嫌だった。他人の話を聞くだけ聞いておいて、自分が何にも話さないというのは申し訳なかった。ケツから2番目が、俺の番だった。正直に「話すことないんだよね」と言ってみた。どう話が転がっていったのかはあまり覚えていない。片思いもしたことない、と言い切ったような気がする。
 僕が通っていた学科は、男子しかいなかった。口癖のように「彼女ほしい」と言ってる奴もいた。口癖のように「モテない」と言ってる奴もいた。男子ばかりの環境で、高校生。もちろんパフォーマンスやノリとしての部分も大きかったと思う。そう言いながら彼女がいる奴、モテてる奴だっていただろうし。
 でも、あの頃はまだ「モテない」を振りかざすだけでよかった。それ以上は何も言わなくて良かった。男子ばっかりの環境だったし。


 大学生になってから片手で容易に数えられるくらいの回数しか飲み会をしていないが、恋愛の話がかわりばんこで回ってくる日があった。この日も「話すことないんだよね」と素直に言った。この日も片思いもないんだよね、と言い切ったような気がする。

 でも、高校生の時のあの日も、大学生になってからのこの日も、嘘をついてたなと反省している。4人くらいは、好きな人がいたような気がする。ただ、「あの子気になるかもな」が「告白しよう」に変わるよりも前に、「あの子気になるかもな」が消滅する方が圧倒的に早かった。存在していないも同然の話を他人にしてもしょうがないなと思って、嘘をつく方を選んだ。下手に話を盛る方向で嘘をついたとしても、その設定を貫き通す自信はなかった。そこまでして俺の話俺の話、というタイプでもない。
 大学生になり、高校生の時には誰でも使える武器だった「モテない」が使えなくなっていることに気がついた。男子のみの学科に通っていた高校時代とは違い、大学には女子もいる。バイト先にも同世代の女子がいる。そんな状況で「モテない」を振りかざしたところで、「お前が何もしてないからだろ」「うん、お前が悪いね」でねじ伏せられる。

 いつ、何をきっかけに、磁場が歪んだのか、誰も教えてくれなかった。
 どうせ、いつ、何をきっかけに、手のひらを返したのかも教えてくれないんだろうな。
 「真面目な人は30くらいでモテ始める」みたいに説かれても、何にも響かない。「心で繋がれて、信頼できる人と出会える」みたいに説かれても、何にも響かない。素敵だとは思いますけど、あんなのは小説の中だけでお腹いっぱいです。そんな小説をここ一週間でたくさん読んだけど、本当にもうお腹いっぱい。本のタイトルを見て、本の表紙を見て、文庫本の裏のあらすじを読んで、こういう話を期待して買ってはいるんだけど、やっぱお腹いっぱい。
 ”マカロニえんぴつ”というバンドの『なんでもないよ、』という曲の歌詞に「からだは関係ないほどの心の関係 言葉が邪魔になるほどの心の関係」なんて一節がある。そんな心の関係を欲して、”合う人と会う”ということを欲して、買ってきた小説を読んでいる。勇気を持たせてくれて、生きる希望になってくれるけどそれは同時に絶望でもある。裏表じゃなくて隣り合わせ。

 大学で同じグループになった女子や、バイト先の女子と話してみたいなとか仲良くなれんかなとか思った時もあったけど、現状から鑑みるに性根はおおよそ中学生くらいから変わっていない。

 朝井リョウ『正欲』の表現を借りると、自分は「選択肢を奪われる辛さ」でも「選択肢はあるのに選べない辛さ」でもどちらでもなかったんだろうなと思う。ならどこになら入れてもらえるのだろうか。
 【意気地なし】。初めっから、それ以外なかった。生まれた時から、それ以外なかった。
 ショウリョウバッタが触れなかった幼稚園生の頃から、ずっと意気地なし。それ以上でもそれ以下でもなく、ずっと意気地なし。たったそれだけの20年だった。


希望を裏切られることで絶望するなら、希望を捨てりゃあ良いわけで。
期待を裏切られることで絶望するなら、期待を捨てりゃあ良いわけで。




 でっかい本屋に行って、たくさん小説買って、読んで、自己満でnote書いて、それだけで人生満足できてます。

「僕はモテない奴でもセクシャルマイノリティでもなく、ただの意気地なしゴミ人間でした」という話でした。

それに、一つ大事なことをずっっと忘れてた。


#304  誰の心にも響かなくていい話


サムネイル
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