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日本語で文章を書くとは

私の中に沢山の白がいる。

 広東語で思考する香港人の小白。 日本語で思考する日本大好きなしろ。 少なくともこの2人がいる。

 2人とも私だが、それぞれ考え方が微妙に違う。人は言葉で思考するもの。 言葉が無ければ、思考することすらなり立てない。

 自分が発する言葉に誰かが助けられる。そして、不意に発した言葉にも誰かが傷付ける。 言葉にはとんでもない力が宿ってる。だから私は日本語の「言霊」という言葉がたまらなく好きだ。 私も実際に人の言葉で一喜一憂する人間なのでなおさら自分の言う事に気をつけちゃう。人と話す時にいつも感じる重圧感もそれに由来するかもしれない。

 話すより書く。私の中では、書くことは自分と対話する事だ。人目を気にせず、ごちゃごちゃした思いを言語化して書き出したら自分をもっと把握できるような気がする。 私の頭の中では常に混乱状態なのでそんな整理がかなり大事。と言っても正直最近まで全然書いていない。ツイッターなどでは時々欠片を呟くが、欠片を繋いで、文章一つにまとめるのはそれと格段の相違がある。とても難しいの。

それをできるのに、まず精神が削られることが確定。自分を慈悲なく拷問し、血だらけの答えを骨髄から掘り出す。本当の自分と向き合っているかないかが全て文章で反映されるので嘘などは通用しない。綺麗事だけ書いて、醜い部分を隠しても絶対バレる。

敬愛するニーチェが言ってた。
「すべての書かれたもののうちでわたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを愛する。血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。」

魂から絞り出すものこそ価値がある、と私は思う。

今までずっと見せたくない何かを隠してきたから、書けない。でもこの状態をもう終わらせたい。何も恥ずかしがらずに正々堂々と生きたい。アイドルだから年齢の話をしちゃダメ、アイドルだから政治を触れるな、アイドルだから弱音を吐かない。アイドルだからってなんなんだろうね。

臆病な自分とさよならするために、あくまでも自分のためにでも、私は書きたい。

じゃあなんで日本語で?外国人のくせに。

 外国人の私が書くへたっぴ日本語の文章に日本人が感動したり共感したりするのは難しいだろうなと思うが、もしかしたら1人や2人はいるかもと心の隅っこからそう信じていたい。日本語で考えたものはやっぱり日本語で伝えた方が一番伝わると思うし、日本の皆さんに伝えたいものがあるのだ。香港人はなんでアイドルになって、日本語で歌ったり踊ったりするのか、なんでわざわざ海を渡して日本でCDデビューをするのか、なんで夢見る頃を過ぎても夢を見ているのか、一体どんな夢を見ているのかなど、伝えたい思いがいっぱいあるの。

私はいつかアイドルを卒業します。
でもまだ何一つ思いを伝えていないうちにそうしたくない。逆に言うと、表現したいものを全部出し切った日、私はアイドルを卒業する。

脳内のごちゃごちゃと自分のアイデンティティの間に起きた矛盾に弱り果てる私を行動に移させたのはミスiDだ。「夢見る頃を、過ぎても」自分のidentityをどう表現していくかを一生懸命考えた結果、私はやはり書くしかないのだ。一番私の事を代弁してくれるのはやはり文字しかない。ずっと前から語りたかった私だけの物語の書く理由の一つになってくれたミスiDに感謝。そして、私の文字に可能性を感じ、書くことを励ましてくださった方のほうにも感謝です。覚悟まで長過ぎてその方を失望させたな。

本当はミスiDのカメラテストまでに書くのを始めたかった。何故なら自分もカメラテストだけじゃ通過するなんて絶対無理な気がする。人の目の前ではなかなか自然体で居られないタイプなので。自然体最強ってツイッターのbioに書いているのに。

例え今回はミスiDで選ばれなくても、私は書くのを続けたい。読んでくれる人がいることを祈りながら、語り続けたい。一歩を踏み出さないと一生下手なまま。それでもいいのか。いいえ、よくないよ。少しでも理想的な自分に近付けるように、勇気を出してnoteを始めました。

ここまで読んでくれたあなたへ

本当にありがとうございます。
将来作家になりたい香港のアイドルです。
どうぞ宜しくお願い致します。





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