『このきのこ』おおうちもとひろ(きのこ回文作家)特別インタビュー
回文であるからこそ、逆にしたからこそ、次のアイデアが出てくるんです。
-------おおうちさんがきのこ回文を始められたきっかけは何だったんですか?
Twitterで、きのこ回文が流行った時期があったんです。僕以外にも、いろいろな人が参加して。
-------きのこ回文が流行るなんてことがあるんですね!
一瞬ですよ。それが、きのこ回文を始めたきっかけですね。もともと『ニコリ』というパズル雑誌に載っている言葉遊びが好きだったこともあって、きのこ回文が流行ったとき「あ、これは僕の土俵だ」と。
-------『ニコリ』に載っているのは、回文だけではないんですか?
回文だけではないですね。昔からある17文字の俳句の文字を全部入れ替えて、新しい俳句を作ったり。「次のお題はこの俳句です」って公募すると、全国から何十件も来るんです。中には、俳句の体をなしてないものもありますけど、突拍子もないものが生まれて面白いんですよね。そういうのが好きだったんで、回文も好きになり、きのこ回文も好きになりっていう感じですね。
-------言葉遊びも回文も、制限がありますよね。その制限の中で何かを作るということが面白いんでしょうか?
そうですね。ルールに縛られているところが面白いところです。
-------きのこ回文が流行ったのは、きのこ仲間の間でですか?
そうです。きのこが好きな人たちの間で、なぜかそれを回文にすることが流行ったんですね。
-------今でもやっているのは?
もちろん僕だけ。
-------もちろんなんですね(笑)。
思うのは、やっぱりきのこは回文には向いてないなっていう。「〜〜タケ」が多すぎて、逆から読んで「ケタ」になる処理に追われている感じはしますね。
-------通常の回文であれば、「きのこの名前を入れなきゃいけない」という縛りもないですよね。そういう意味では、「きのこ回文」という時点で、回文からさらにもう1つ制限が加わっている…。
そこが面白いところですね。縛られたいんです。
-------さらに「タケ」で縛られる。きのこは回文に向いていないと言いつつ、喜んでいるわけですね。
普段の生活は制限がない方がいいんですけど、文字になると制限を求めてしまう。文字の組み合わせというのは、無限じゃないですか。だから、とっかかりがつかめないと、何でも書ける分、何を書けばいいのかわからない。自由すぎるんです。そこに何か1つ制限があると、「じゃあ、その制限を生かして、こう書いたらどうか」という風に提案できるんです。回文を考えるときも、何かキーワードがあって、そこから始まります。自分が引っかかった言葉があれば、必ずそれをひっくり返してみるんです。
-------引っかかるというのは、どういうことなんですか?
回文にできそうな言葉っていうのがあるんですよ。普段から、それを探し求めているところはあるかもしれないです。例えば「しゃ・しゅ・しょ」が入ってくると、回文がすごく作りづらいんですよ。逆にすると、「ゃし・ゅし・ょし」になってしまう。制限されすぎてしまうというか。
-------そういう言葉は除外していく?
除外していく。反対に、そういう音が入ってない言葉があると、いけるんじゃないかと思って逆さにしてみるんです。そうすると、もう1つ別のキーワードが出てきますよね。最近の僕の普通の回文で「夜は南へ。死神が西へ。皆見張るよ。」というのがあるんですが、これはまず、「死神」という言葉を思い浮かべたんです。逆にすると「みがにし」になって、そこから「にし」は西だよなーっていう風に、新しいキーワードが出てくるわけです。そこをいかにつなぐかというところに、だいぶんリソースを費やしますね。
-------この場合は、「死神」と「西」という2つのキーワードが出てきたわけですね。
「死神」と「西」には、きっと何の関係もないですよね? そこで、新しく出てきたワードと「死神」をつなぐ連想ゲームをするような感じですね。他に混ぜて楽しい言葉がないかなと思って。そこで、「西」が出たのなら、今度は「北」とか「南」とか、方角をもう1個入れたら、よりストーリーが出てくるんじゃないかと。それで、「南」も「北」も「東」も全部入れてみて。「南」はもうそれだけで回文ですから、使いやすい。そこで「…南へ。死神が西へ。」ぐらいまではできた。あとは、最後に仕上げとして「文」として成り立つように、というのが作り方ですね。それでできたのが、「夜は南へ。死神が西へ。皆見張るよ。」
-------そこまで来ると、ストーリー、流れが出てきますね。
これが普通の回文の作り方ですね。いろいろな業界でよく「引き出しが多いとよい」って言われると思うんですけど、僕、多分引き出しが1個しかないんですよね。1つしかないでっかい引き出しに、全部ごちゃごちゃに入ってるんです。なので、検索が遅かったり、がんばって探さないと出てこないんですけど、その分、まったく無関係のものを同時に取り出すことができる。そこが、思考の跳躍につながってるのかなと思って。
-------回文としての制限の中で、見つける作業を行うわけですね。
そうなんです。でも、回文であることは制限だけではなくて、とっかかりの1つにもなっているわけです。回文であるからこそ、逆にしたからこそ、次のアイデアが出てくるんです。
-------なるほど!
それから、回文は頭の体操になりますよね。ぱっと思いつくことで、脳が活性化される。昔、多湖輝さんっていうパズル作家が『頭の体操』っていう本のシリーズを出してたんです。多湖輝さんの表現で、「脳の水路付け」っていう言葉があって。脳は水路のように流れているけれど、特定のことばかり考えていると、だんだんその水路が深くなっていってしまうんですよ。深くなってしまうと、もうそこから抜け出せなくなってしまう。それを避けるものとして、発想力というか、無関係なものをつなげることの面白さというのがありますね。
-------惰性とか習慣とかになってしまうと、水路が深くなって、新しい水路ができなくなる。
そうすると、どんどん負のループに陥ってしまう。
-------それを防ぐ方法はいろいろあるんでしょうけど、おおうちさんの場合はそれが…。
回文だったんですね。
きのこを探すときも、やっぱり幸運を探しているんだと思うんですよ。
-------きのこ回文では、最初のきっかけになるのはきのこの名前ということになりますか?
そうですね。僕の中で、一番気になる言葉がきのこの名前なんですよ。だから、これだけできてしまったという。
-------きのこの名前が気になるというのは、きのこが好きだからですか?
そうです。きのこが好きだと、それを分類したくなるんですね。きのこを見つけると、それが何のきのこかを同定して、名前を知りたくなる。名前を知ると、きのこに一歩近づけた気がするのと同時に、今度は僕の言葉好きの性格が出てきて、この名前をひっくり返したらどうなるかな? となっちゃうんですよ。
-------もとはきのこが発端なんだけど、その名前を知ったことで、言葉が独り立ちして歩いていく…。
あと、きのこ回文は、やっぱり僕しかいないんじゃないかっていう自負がありますね。俺がやらなきゃ誰がやるというか。なにしろ、回文は意味がないので。あとは、やりがいぐらいしかないですから。
-------意味がないところに惹かれる部分もあるんでしょうか?
ありますね。意味がないことが好きですね。意味があることは、皆さんやろうと思わなくても、やらざるを得ないじゃないですか。
-------義務とか習慣になりやすいですね。さっきの水路のようになりやすいというか。
僕自身、そこから抜け出したいんじゃないかなと思っています。
-------社会って、そもそもが巨大な水路でできているようなところがありますよね。
そうですね。僕はそこを外れて、ちょっと狭い水路に入って行って、幸運を得られたら面白いなと思っているんです。きのこを探すときも、やっぱり幸運を探しているんだと思うんですよ。回文にしろ、きのこ探しにしろ、見つけたときの、道を外れたところにある喜びがある。きのこって、森の中で異物感があるんですよね。その異物感が、違う世界へ手招きしているというか。そういう感じはありますね。
-------森に生えてるんですけど、今ひとつ馴染んでいないですからね。
馴染んでないんですよ。だって、紫だったり赤かったりしますよね。しかも、きのこは普段は地下にいるんですよ。だから、本当の森は地下に広がってるんですね。上の森は、それが顕現したものというか、我々の目に見えやすくなったものにすぎなくて。本当はみんな地下で生きているんですね。
-------きのこは、地下の存在とすごくつながっている感じがします。
つながってますね。より地下な感じがしますよね。
人から縛られるんじゃなくて、自分で自分を縛るのはいいんじゃないですかね?
-------おおうちさんがきのこ回文を作るのは、どんなときが多いんですか?
夜眠れないときに意味のないことを考えると、よく眠れるんですよ。それこそ三題噺でもいいんですけど、まったく関係のない語を並べて文にしていったりすると、よく眠れるんですね。寝て見る夢って、意味がなかったり、脈絡がなかったりするじゃないですか。その状態を人工的に作り出すんです。そうすると、夢なのか現実なのかの区別がつかなくなってくる。
-------頭の中が騙されるんでしょうか?
そうなんです。これをやると、眠れるようになりますね。眠れない方は、ぜひやってみてほしい。
-------寝れないときって、日常の不安とか、やらなきゃいけないこととか、そういうものがずっと頭の中に残ってるときですよね。
そういうときには眠れないですよね。なので意味の世界をちょっと抜け出して、夢の世界へ入っていく。車を運転してたらブレーキが効かなくなるという夢をよく見るんです。それを何とかかわしながら、結局ダメになったり、大丈夫だったりみたいな。
-------ブレーキが効かないって、コントロールが効かなくなるっていうことですよね。コントロールしなきゃいけないという足枷から自由になりたい、ということがあるんでしょうか?
と言いつつ、自ら足枷を課す。新たな足枷を課しているという。
-------回文にするとか、きのこの名前を入れるとか。
その矛盾は何なのか。人から縛られるんじゃなくて、自分で自分を縛るのはいいんじゃないですかね? これが仕事というか、回文奴隷みたいなことになってしまうと、嫌なんだろうな。そうなったら、作れないんでしょうね、きっと。
-------意味がないというのも、よいところなのかもしれないですね。回文でお金が儲からなきゃいけないということもない。
まさに、お金が儲からなきゃいけないのかっていうところですよ。与えられる条件としたら、そこが一番苦しいかな。お金がゴールであるというのは、メインストリームではあるかもしれない。でも、そこにはやっぱり居たくないと思う。
-------昔からそうだったんですか?
いつからだろう…大学生の頃ですかね。大学生の頃、あんまり学校に行かなくなっちゃったんですよ。仕事しながら行ってて、その仕事が忙しくて、学校に行く気力がなくなっちゃったんですよね。
-------仕事が楽しかったんですか?
楽しくはないです。ただ、お金は儲かりました。結局、どっちも辞めちゃってみたいな感じです。それ以来、メインストリームにいられなくなった…そこは居場所じゃないなっていう気がしてて。そのときの心の支えは、音楽でしたね。音楽をやっていると、音楽を真剣にやるということがそもそも意味のないことだなと思うことがあるんですね。だからといって音楽が嫌いなわけじゃなくて好きだから、結局のところ、自分は意味のないことが好きなんだなっていう風に思いますね。
「ダイダイガサは偉大だ。」は、よくできたと思います。
-------回文を考えている間は、やっぱり楽しいんですか?
そうですね。回文を考えている間も楽しいんですけど、できあがった時も、きのこを見つけた時のような喜びがあるんですよ。
-------きのこが出てくるプロセスにも、似ているかもしれないですね。
地下の菌糸を延ばしつつ、どこかで跳躍が生まれて、1つの作品として結実する。
-------回文を作っている人は、皆さんそういうことを考えてるんでしょうか?
コジヤジコさんっていう方も、詩的跳躍、意味のなさ、そういうのが面白いと言ってますね。そこはみんな、共通なのかもしれないですね。
-------自分の意思とは別のところに飛んでいける?
そうです。
-------そうすると、どう跳躍するかというのは、人によって微妙に違うんでしょうか?
そうなんですよ。アートっぽい回文を書く方もいますし、僕の回文は「ことわざっぽい」と言われたことがあります。
-------教訓のないことわざですね。教訓めいたものが、ありそうでない。
そうなんですよ。
-------そういう意味では、今回の本に絵があるのはよかったのかもしれないですね。
うつろさんの絵が、本当に命を吹き込んでくれたというか。うつろさんの絵を見て、こんな解釈があったのか! と思うことがよくありましたから。回文があって、作者がいて、それで1つの作品として収斂すると思われていたものが、実はそうでもなく。その回文の解釈もまた無限にあったという。だからうつろさんと話してて、これはどういう意味なの? という風にもう1回立ち止まって考えるきっかけになりましたね。想像力がいろいろ膨らんで、結局、無限だったという。
-------おおうちさんの回文がことわざっぽいのは、なぜなんでしょう?
言葉の選び方が、無機的なのかもしれないですね。あまり情を挟まない。
-------確かに、情のある言葉を使ってないですね。
私情を入れずに、情を表現したいというか。愛って言わないで、愛してると言いたいみたいな。詩的な表現というのは、なぜか僕はできないですよね。
-------「こういう表現にしたい」というイメージがあるわけですか?
イメージというよりも、言葉遣いですね。言葉遣いは、今回書いたような作品が、自分の言葉遣いなのかなと思いますね。
-------おおうちさんの中で、これはよくできたな、という作品はありますか?
「ダイダイガサは偉大だ。」は、よくできたと思います。「トガリアミガサタケ摘みにいつの間、神奈川へ。我が仲間の「ついに見つけた!」相模ありがと。」も、この長さでちゃんと「神奈川」と「相模」っていう関連付けられたワードを入れられたのがよかったですね。僕が行ってるトガリアミガサタケ探しの情景が、まさにここに現れてるんです。町田のあたりからずっと廻って、本当に相模原に行ったりしていたので。その情景がよく表せたなっていう喜びがありますね。あと、「明るい鬼火ね。ツキヨタケ、また負けたよ。狐火にオイルかあ。」。これはうまくいきました。
-------「ツキヨタケ」「鬼火」「狐火」「オイル」…なんとなく連鎖していく感じで。
そうです。光るものとして。
-------情景も思い浮かびます。ボツにしちゃったものとかもあるんですか?
意味のわからないのは、ボツにしてますね。第三者に見せたら「これはこういう意味ね」って思ってくれるのかもしれないですけど、僕の想像力では「どういう意味?」ってなってしまうもの。例えば「テングノメシガイがシメの軍手。」って回文があるんですけど、「「シメの軍手」って何?」って。
-------「シメの軍手」はわからないですね。
わからないですよね。もしかしたら鍋のシメに軍手を入れたのかもしれないですけど。
-------「テングノメシガイ」とも結びつきにくいですしね。
だから、こういうのがボツですね。
-------おおうちさんの中で、完成度というのは明確にありそうですね。
やっぱり、関連するワードを入れていきたいんですよ。ツキヨタケだったら、それこそ明るくしたい、光らせたいっていうのがあって。それで鬼火とか狐火とかが出てきたんですね。そういうのがいっぱい入ってると、できがよいっていう風に思います。それがあるので、逆に文としては統一性を持たせたい。文として素直というか、自然な感じに仕上げたいっていうのはありますね。語尾も、自然な文章として終わらせようとすると、それだけでかなりの縛りが文頭に出てきてしまうんですけど、そこにもこだわりたい。
-------制限が厳しくても、それをクリアして、ということですね。
そうです。回文でも、濁点を無視しないとか、小さい「っ」と大きい「つ」のちがいを無視しないとか。縛りをつけようと思えば、いくらでもつけられるんですよ。回文では、そもそも文体に無理が出てきてしまうわけなので、せめてルールはガッチリ守りたいっていうのもありますね。不自然な文の上に、ルールもちょっと破ってるようなのだと、ちょっとなーって。
-------回文は、長い方が難しいんでしょうか?
必ずしもそうとも言えなくて。短いのは「ダイダイガサが偉大だ。」とか、これはもう奇跡ですよね。何にも考えてないですから。ただ逆にしただけで、できてしまったという。
-------奇跡が起きるというのは、幸運が見つかったということですね。
そういうことですね。
(了)
LITTLE MAN BOOKSは、ふつうの人のために本を作って販売する、小さな出版プロジェクトです。 http://www.littlemanbooks.net