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この感じ、偶然が重なると恋に落ちる感覚に似ている。

中道:ちゅうどう


1日に2回。しかも別のメディアで、いいなと思う同じ言葉に出会いました。
3回目は自分でnoteに書いておこうと思います。

この秋読みたい本のうちの一冊だったこの本。


ビジネス書なのに、ずっと物語を読んでいるようでした。
ピクサーという会社がどういう経緯で今に至るのかを、著者のローレンス・レビーというひとりの人物の視点から追いかけていくことができ、あっという間に読了。ますますピクサー が好きになったし、なんなら著者のローレンス・レビー(と、その妻)も大好きに。

とは言え、ここまで感動した本でも時が経てば忘れてしまうのがわたし。

これは自分の記憶に留めておきたいと思った部分は、抜粋して記録しておきます。

これは、ローレンスがピクサー の最高財務責任者を辞した後、仏教哲学を深め始めたときに出会った中道に対する解釈です。この例え、わかりやすい!

 中道のイメージをつかむには、自分の中に人がふたりいると考えてみればいい。ひとりは官僚、もうひとりは自由な精神のアーティストだ。官僚は、時間通りに起きる、払うべきものを払う、いい成績を取るなど、物事をきちんとやるのが仕事で、安定や規則を好み、効率や成果に価値を置く。対して自由な精神のアーティストは、深いところで繋がり、生きている喜びや愛、冒険、のびのびとした活力、創造性、気持ちを大切にする。我々が気づかぬうちにどっぷり浸かっている慣習や期待という海を突き抜け、その先に行こうとするのだ。
 これはいずれも極端なあり方であり、どちらを選んでもうまくいかないというのが中道の考え方だ。機能や蓄積、成果ばかりを追い求めると、そのうち、自分は本当に生きているのだろうかと疑問を覚えたりする。逆に情熱のまま自由に生きると、そのうち失速したり、支えるものがなくてつらい思いをしたりする。だから、どちらにも偏らず、両者の折り合いをうまくつける中道が一番いいというわけだ。そうすれば、現実を無視することなく、前向きな本質や精神、人間性を活用できる。ただし、そのためには、いま我々が当然のこととして従っている慣習や因習を乗り越える勇気が必要になる。

ちなみに、同じ日に聴いたコテンラジオ(仏陀の回)で、深井さんも中道についてさらっと「この考えがいいなと思って、仕事で同じ感覚を持ってる。」と言っていました。

今、何かにすごく執着している人にぜひ聴いてほしい内容です。

一生懸命になることを否定しているのではなくて、執着は苦しみを生み出してしまうから自然な精神状態を保つことが一番、ということ。

この感覚を自分の中に取り入れることができれば、いろんな場面に応用できて、相当生きやすくなること間違いなし。

1日のうちに2回もこの言葉に出会ったのは、きっと今のわたしにはこの考え方が必要なんだろうと、勝手に解釈。

この感じ、偶然が重なると恋に落ちる感覚に似ている。



今週の「ひろしまほんと」


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