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シロツメクサと手紙

5月10日(金)、いつものように帰りが遅くなる日だった。
夕方、移動中に夫から電話があり、業務連絡ののちに7歳の息子が出る。


「ママ、今日早く帰ってきて」

「え、どうしたの?」

「ママに会いたいんだよ」

「そっか。今日は難しいんだよ、ごめんね」

「えー。なんでよー。おねがい」

「今日はどうしても早く帰れない日なの、ごめんね。帰ったら隣で寝るね」

「分かったよー、また明日ね」


珍しいなと思いつつ、次の目的地に向かう。
仕事中にまた夫から電話が来たけど、出られなかった。LINEが届く。


「(息子)、母の日のお花摘んできたんよ。それで会いたかったんだって」


終電で帰ると、ダイニングテーブルの上に、シロツメクサと手紙。
7歳の息子が、初めてくれた母の日のプレゼントだった。


翌日の土曜日は、家族で過ごせた。
朝、先に出た夫と娘を追いかけて、息子とふたり散歩に行く。

「お花、ありがとう。ママすごく嬉しかったよ」

「よかったよ」

「ちょっと泣いちゃいそうなくらい、嬉しかった。自分の子どもから母の日のプレゼントをもらうって、こんなに嬉しいんだなあって、初めて知ったよ。ありがとね。」

「ママお花すきだから、あ、もうすぐ母の日だし今日とって帰ろう!って思いついてさ。学校の帰りにとって、学童で先生にあずけて、お水に入れてもらったんだ。帰るとき、枯れてなくてよかったー、って思ったよ」

話しながら、彼の思いを聞きながら、少し視界が滲む。
母の日は、大人になってからは特に、実母と義母に毎年なんとなく花を贈る日くらいの感覚で。
自分の子から突然こんな愛おしい気持ちを教えてもらうだなんて、夢にも思わなかった。


散歩をしながら、最近あった学校のこと、お友達のこと、ゲームのこと、借りた本について、話を聞く。
彼のまわりで、彼の中で、いまなにが起こっているのか。普段あまり話せていない分、ここぞとばかりに必死でキャッチアップする。

「ママはさ、女の子と男の子、どっちになりたい?」

「んー、男の子として生きたことがないからわからないけど、ママは女の子として生きるのはすごく楽しいよ」

「おれはさ、男がいいんだ。なんでかというと、女の人は子どもを産むときにすっっごく痛いんでしょ?おれ、それが絶対イヤだから」

「あー、そうだね。でもさ、女の人でも、子どもを産まないことも、産めないこともあるよ。あと、ママは(息子)と(娘)ちゃんを産んだけど、痛いのなんてどうでもよくなっちゃうくらい、すごいことを体験したよ。
さっきのさ、母の日に(息子)からお花をもらうのってこんなにうれしいんだーってことも、ママは今日はじめて(息子)に教えてもらったように、体験してみて初めて知るとんでもない喜びや発見も、あるんだよね」

「なるほど。じゃあ、女の子も、いいね。でも、男の子もいいよ」

「うん、そうだね。あー、いつまでこうやって一緒にお散歩できるんだろうなあ」

「いつまででもだよ。大人になったら、いっしょにビール飲んであげるし」

初夏の眩しい日差しの中で、息子と手を繋いで歩く。

息子を妊娠していたとき、「夫のように、心やさしい子になってほしい」と、それだけを願っていたら、本当に、信じられないくらい優しい子が出てきた。
今も変わらず、そのまま成長していく奇跡みたいな姿に、日々いろんなことを学ばせてもらっている。

翌週、また遅い時間に家に帰ると、今度はたんぽぽが飾ってあった。

夜にはしぼんでいた花が、翌朝またきれいに開いたのを見て、その理屈を一生懸命語ってくれる。
美しいこの時間を切り取りたくて、また、写真を撮る。

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