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好きなことだけ、やってみよう。

丸一カ月間の日本一時帰国を経て、やっとホームに戻ってきた。

この期間は、予想外のデジタルデトックスになった。特に、最初の二週間は若干禁断症状が出そうなほど、リアルにWifiが乏しくて。

それもそのはず、滞在したのは70代の義理のお母さんが住む家。インターネットなんて「さいきん美術館では何をやってるのかしら」みたいな時に、たまーーに戸棚からiPadを出してきて調べるくらい。

そこにネットヘビーユーザーの夫婦が押し掛けたもんだから、一瞬で回線はパンク。使用制限をヒットしてしまい、日本のSIMカードのない私は、リアルデジタルデトックスだった。

そんな中でも、トラベラーズファクトリー京都の記事だけは書いた記録が残っている。それだけ絞り出してまで書きたかったということ。

で、そのまま私の実家へ移動。Wifiは安定して飛んでいる環境ではあったけど、ちょうどそのころ体調を崩し、パソコンを触りたい気持ちもなくなり。

そこから、ちょっと日常(移住暮らし)と非日常(日本)の狭間で、メンタルがぐるぐる。

ちょっと離れて日常を見ると「なんであんなに頑張ってせっせとあれこれやってたんだろうか…」みたいな気持ちになるのね。

と思ったら、楽しくやってたはずの発信関係がすべてボヤケテ見えてしまった。デジタルデトックスとともに心が離れてしまった。

インスタも更新しないし、ラジオなんてやめたくなるし、大好きなnoteでさえ開くこともなくなった。なによりも「何者」でもないのに、その道でうまくいっているわけでもないのに、勝手にやってるだけなのに、こうやってあーだこーだ悩んでいる自分がアホらしくて。

そういう時は、無理をしない。
旅行中だもの。とことんデトックス。

何がしたいのかなぁー。自分はどこに向かいたいのかなぁー。なんて思いながら、またルワンダに帰ってきたら、これまた体調不良で寝込んでしまった。ますます思考のグルグルが深みにハマっていく…。

「好きを暮らしの真ん中に」という言葉が好きで、あちこちで発信をしてきたのだけど。「好き」をやっているはずなのに、少しずつ自分の首を絞めていたかもしれない。

好きなことだけ、やってみよう。

「好き」で始めたはずなのに、どんどん新しいことに手を出し過ぎて、どれも中途半端になって、すべての狭間で走り回ってたかもしれない。

まずは、基本に帰ろう。

全部STOPしているからこそ、やりたいなぁという気持ちなった時に、再開したらいい。それが一週間後でも、一カ月後でも、半年後でも。1年経ってもやる気にならなったら、その媒体は卒業したら良い。

その結果、今朝、初めてラジオで喋りたい気持ちになった。いつも通り通勤して、駐車場に車をとめたら、「さて」という気持ちなった。習慣とはすごいものだ。

で、調子に乗って、お昼にはこうやってnoteを開いている。うん、やっぱりこのラジオとnoteは私の居場所。あちこち出歩くことはあるけれど、帰ってくる場所なんだなぁ。

「好き」をやっていたはずなのに、「やらなくちゃ」と思い始めちゃったり。他の人と比べてしまったり。気づいたら自分にルールを課してしまって苦しくなったり。

そういう時は、一度離れる。で、「好き」なものに心が向いたときに、ゆるく帰ってみる。それくらいが、ちょうどいいのかもしれないなぁ。

ただいま。

サポートありがとうございます。私のところで止めるのではなく、別の方へのサポートという形で「幸せの輪」をつなげていきたいと思います。