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脳みそのリハビリ

どうにも「表現」の力が消え失せてしまった感が否めないここ最近である。

兎にも角にも、アウトプットをすることが大切かと思い、久しぶりにnoteを開き、こうしてキーボードを叩いてみている。
noteは実に8年ぶりに開いた。驚愕の年数だった。そりゃ歳もとるわけである。
思考や気力も衰える一方だと、痛感して恐ろしくなった。
ちなみに、体力だけはやたら自信があって、一日あたり3万歩ほど歩いているので、毎年の健康診断でも医者には「問題ないですね」と笑顔で太鼓判を押される程度には健康である。
そんな健康優良児の私でも、上記の通り、思考・気力の衰えは顕著に感じていて、身体は健康でも、脳の健康には全くもって自信が無い。
どうしてこうなってしまったのだろう。
圧倒的寝不足生活や、2度のコロナ感染が脳にダメージを与えているのだろうか。
この間は小学生の算数で「あれ?」って事があったし、忘れるはずもないパソコンのログインIDをド忘れした。本当に自分が怖い。
(ちなみに、算数はやり方思い出してちゃんと解けたし、パソコンも無事開けた。)


結婚して10数年が経つが、独身時代はとにかく色々と描いたり書いたりしていた。
色々とアウトプットして、それを不特定多数の「誰か」達に見てもらっていたのである。反応の多さ少なさに一喜一憂しては、気軽に何かを常に発信していた。
若さゆえ他の人と比べては、己の才能の無さに凹みながらも、それでも何かを作り、何かを発信することは、息をするのと同等の如く、ごく自然に行えていたのである。

それがどうだろう。
特にこの数年の私は。
所謂Twitterなるものはやっている。
しかし、生活、特に夫への愚痴をちょいちょいこぼすことのあるそのアカウントは、厳重に施錠してあるため、全世界に私のあれこれをお届けすることは出来ないでいる。
ちなみに、アカウントを複数使い分けるという高度な技術は、私には無いのである。
そんな気力も無い。ほら、気力の無さがここにも現れている。
己の境遇の不満、謎めいた不条理さを紡ぎ続ける世間への怒りや苛立ちを閉じられた世界の中で綴っては仮りそめのストレス発散をして何とか日々のあれこれを乗り切っているような状態だ。これを夫が見たらどう思うであろうか。なのでX及び所謂Twitterとか言うやつのアカウントは鍵つきなのだ。ここで言う話でも無いだろう。でも、そういう事だって、こうして書いてみるのも、何かの突破口になるのでは、と僅かな光を信じて、試してみている、と言う感じである。ところでこの日本語は成立しているのだろうか。

思えば、私は、考えなくても良いような心配をしてしまって、あれこれ自分に制限を勝手にかけてしまってきているのかもしれない。
あとは中途半端な完璧主義。だから色々と中途半端なのだ。
このnoteのアカウントの、8年前の僅かな投稿を、敢えて残しておいたので、お時間のある方は是非覗いてみてほしい。どうだろう。
4コマ漫画は、きっかりとペン入れや文字入れ、トーンまで貼っている。
ここまでやらないと投稿してはいけないと勝手に自分に課していたのである。
結果として、用意したネタは日の目を見ることがなく、日々の喧騒に埋もれて消えていった。キャパ、技術、あれこれを兼ね備えた方はきっと完璧な作品を世に発信し続けられるのだろう。しかし私にはそれが出来るほどのあれこれは無かった。

ここ最近のSNSでよく拝見するエッセイ漫画は、ラフなものが非常に多いと感じる。下描きよりもラフなものも多々あるが、それでもたくさんのいいねがついている。
それでいいのだ。面白さが伝われば良いのだ。

何が言いたいかというと、「こうじゃなければいけない」「ああじゃなければいけない」と、勝手に制限を自分に設けて、結果として何も生まないまま時が過ぎてしまうのはあまりにも勿体無い、という事実にたどり着いたアラフォーがここにいますよって話なのだ。
このnoteのアイコン画像も、ちょっと前の私なら「ちゃんとしたのを描いてからじゃないと始動させられない……」とか思って結局動かなかったと思う。
見よ、とりあえずなんか可愛い犬のアイコンだ。犬派だ。

で、最近本当に脳みそが退化してきているな、と戦々恐々しているわけで。
これは、やばいな、と。
XというかTwitterで限られた旧知のフォロワーに愚痴聞いてもらってヨシ!だけじゃまずいなと感じた私は、何はともあれ脳みそ動かして何か発信して、で、それを継続しなければな、と思った次第で。

基本的に私は絵を描いて発信するのがメインだったのだが、色々(これもそのうち書きたいかなと)あったこともあって、本当に絵が描けない状態を引き摺り続けている。
今日も絵が描けなかった、気力が沸かなかった、そして今夜もXならぬ Twitterでガス抜きをしつつ専業主婦vsワーママ論争みたいな不毛なやつを眺めて終わったぜ、……そういうのはもう辞めてえなぁ、その時間を何かアウトプットに使わなきゃなぁと思ったのが今回慣れない文章をこうして叩いている理由である。
同じようなこと繰り返して書いているような気もするけど、まぁこんなもんか、と思って読んでくれる方がいるならば有難いことだなと思う。


そうしているうちに、時刻は日付を跨いで約1時間が経過しようとしている。
私の朝は結構早い。
本当に日々寝不足なのである。寝不足がまた悪循環の塊で、気力の無さを引き起こし、それが生活の質を下げ、時間の使い方が非効率的になり、そして睡眠時間を削る羽目になる。(それでも体力オバケの類の生き物なので、3時間睡眠でも身体は元気に活動できてしまうのである。)
もう「この時間には寝たい」ボーダーラインの時刻をとっくに過ぎている。
でも、何だろう、今は結構気持ちが満たされている。
ここまで自分の中の何かを表現したのは本当に久しぶりである。
ちょっと嬉しい。
ずっと燻り続けていた自分の中の何かを、どうにかして再び燃やしたい。光らせたい。

何かに縋って、期待して。
そして綴った8年ぶりのnote。しかも文章。

繰り返しになるが、誰かが読んで、なんか感じてくれたら嬉しいのである。

それでは寝ようと思う。
明日からまた一週間、頑張ろう。
ちなみに私はワーママ軍のフルタイム隊である。(この一文は要らないですって感想きっとある)
しかも子供が明日は台風の影響でお弁当持ちになりましたとさ。


  終わり。

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