映画日記『マイ・ブロークン・マリコ』
劇場で観たかったなあ、これは(公開当時見逃したので、Amazon primeにて視聴)…と、まず思った。
シィちゃんがマリコに見せた景色、スクリーンで観たらどんなにか綺麗だったろう。
めんどくさい女マリコと、それを支えて守っていたかのようなシィちゃんは寄り掛かられていただけのように見えて、そうじゃない。
きっとどちらが欠けても成り立たないパズルのピースみたいに、一緒にいることで完全形だった。それはそれは小さな世界の輪がそこで閉じていて、その中はきっとそれなりに満ち足りていたのだと思う。
けど、マリコは勝手にその繋ぎ目を突破してあっちの世界に行ってしまった。シィちゃんの、悲しみより怒りと焦燥に突き動かされる感じが痛いほどわかる。
生々しい記憶や、うとうとしている時夢に出てくるけどそれもやがて薄れていく。
きれいなあの子しか思い出せなくなる、という叫びに胸を突かれた。
誰かを失うって、その人がいなくなった事実よりも、どんどん忘れて、都合の良い輪郭しか残らなくなっていくことのほうが悲しいのだ。
でも、シィちゃんは繋ぎ止められた。
最後にたどり着いた場所でマリコの魂は報われたし、出会った人(釣りのマキオくん)の言葉に救われた。
ラストの、子どもみたいなシィちゃんが愛おしかった。
そこに流れるThe ピーズ(なつかしい…)の「生きのばし」、控えめに言って最高でした。
あらゆる傷や悲しみが凝固して結晶化した故の、透明な美しさのマリコは奈緒ちゃんしかいないし、やさぐれていても底なしの優しさが伝わる、儚く愛らしいシィちゃんは永野芽郁ちゃんしかいない。
でも、そのイメージを一旦捨てて原作も読みたくなった。
少女時代(子役)のふたりの佇まいもよかった。
屋上で煙草吸うとことか、キュンとしたな。
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