情報社会は情報が寡占化するのか

私は社会学者でも評論家でもない一般人なので何かしらの影響を与えるようなことは言えない。ここに書いていることは独り言に近い。

テレビを見なくなってもう5年以上になる。情報源はほとんどTwitter、YouTube、Podcastになっている。去年はタピオカブームがすごかったが、今年は鬼滅の刃が席巻している。ジャンルは違うがターゲット層は類似していると思っている。ここ数ヶ月はとにかく鬼滅コラボばっかり。まさか缶コーヒーがコラボをして売上が増すとは驚いた。
私は、漫画もアニメもほぼ見ないしストーリーはわからないがそれでもキャラは自然と覚えてしまった。
さてこの流行り物について思うことがある。同じように思う人はけっこういる気がする。なんでこんなに情報が溢れている時代なのに未だに流行り物が生まれるのだろうか。鬼滅の刃がブームと言ったら猫も杓子も状態でみんな前ならえになる。普段マスクマスクと神経質になってるような人間が鬼滅の刃となればくら寿司入店待ちに並び、映画に並びと密なんてお構いなしになる。
結局のところ、自分の考えなんてなくて、長いものに巻かれる、みんなと一緒にいるのが安心する人種なのだ。これは教育の賜物なのだろうか。ただし教育を能動的に受けたつまり高学歴層はここまで流行りに乗ることはないだろう。先生の言うことをそれなりに聞いていたが勉強は大して出来なかった要するに中間層が当てはまるのだろうと思っている。高学歴層は知的好奇心が旺盛で情報のクライテリアがしっかりしているから何でも言うことを聞くわけではない。管理する側なのでそれでいい。
リテラシーという言葉が近年よく使われる。情報がこれだけ溢れ、裏側も知ることができるようになった。にもかかわらず、国民の大半は流行り物に乗っかる。扇動する側からすればそれが都合が良い。国が税金や投資の勉強を義務教育に導入しないことと同じように国民が賢くなっては面倒だからこれから先も流行り物はなくならないし、ボリュームゾーンである中間層以下は馬鹿であり続けるのだろう。
情報社会は情報が寡占化するのか、答えはその通りである。

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