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『リチウム』 第2章「対話」

 津良の演説の余韻が残る大講堂に、司会の声が響き始めた。

「続きまして、全体熟義第一部の時間に参りたいと思います。第一の議題は『肉人類』討伐作戦の是非についてです。それでは、事前資料の通りの5人組にて議論をお願いします。時間は10分間です。それではどうぞ。」

 青田は周りの人々を見まわし、軽く挨拶を交わした。手前にいたのは退役した自衛隊員の江田、その奥に座っていたのは若い生物工学者の森田、次に工場技術者の馬場、新聞記者の和嶋だった。生物学的な性別を付言しておくと、青田・江田・和嶋が男、森田と馬場が女である。しかし、この時代におおそ「人間」と呼ばれる者は提供精子と提供卵子が人工子宮の中で合わさった結果として生まれるもので、sexとしてもgenderとしても「性別」というものは大した問題ではない。

 一通り挨拶が終わると、自衛隊員の江田が音頭を取り始めた。

「まずはここで言われている『肉人類』の定義から確認しましょう。」

江田は今どき珍しい立派な口ひげを蓄え、髪の毛は整髪剤できっちりと固められていた。防護スーツの胸の部分にはいくつもの勲章が縫い付けられていた。ただ全身を感染症や酷暑から守るために開発されたスキニーな全身スーツを通して、江田が老いてなお相当な筋肉を携えていることが分かった。
「肉人類とは、『東京湾ダム』内に不法に居住する性交によって生まれた人間のことである。」

 「東京湾ダム」とは、二三世紀の海面上昇において首都機能の停止に危機感を持った政府が建設した横須賀観音崎から内房磯根崎を結ぶ巨大なダムである。ダム内は急激に水位が上昇する太平洋から首都を守り、かつての東京湾は多摩川や荒川、江戸川などの河川から成る「武蔵湖」を残して干上がり、干拓地として開発が進められていた。かつては海面上昇により家を失った人々が移住していたが、現在は廃墟となっている。

 江田は続ける。

「かつてはただ廃墟に住まう『動物』の一種として見過ごされていたのだが、近年は電子パスポートを偽装の上リベル・ネットワーク内に侵入し、不法行為を働く事案が多発している。」

リベル・ネットワークとは、「人間空間」を「非人間空間」を隔てる超巨大な半透明のドームのことである。これにより、ユーラシア帝国の策略によりもはや熱帯と化した東京を強烈な日射とスコールから守り、またドーム外の「非人間」の侵入を許さないようになっている。リベル・ネットワークを出入りするには税関にて電子パスポートの認証を受けなければならず、それ以外の手段でドーム内部に侵入すること、例えばドームの壁に穴を空けて侵入することは並大抵の手段ではできないように頑丈に作られている。

 「中でも最も多いのが盗電被害で、彼らは私たちの感知していないところで巨大なトンネルを作っており、彼らは陸軍のみが使う地下道路を通じて私たち市民の使う地下電線から電気を盗んでいる。また、少数ではあるが地上にて合同被害も起こっていて、大抵がドラッグ・ストアで興奮剤や鎮静剤を盗むケースである。」

「肉人類」の犯罪が盗電やドラッグストアへの強盗に限られていたのには理由があった。それは、盗みに入る対象の市民たちが極めて禁欲的で自律していたからであったからだ。食品といっても人々が口にするのはペースト状の完全食かサプリメントの錠剤だけであり、酒やタバコは既に非合法化され、銀行も借金をする人間や贅沢の為にローンを組む人間がいなくなったために無くなった。これもひとえに「アディオデュラ」手術の恩恵であり、これを受けていない「肉人類」たちの欲しがるものを市民はほとんど持ち合わせていなかったのだ。知者は判断の誤りから生じる破壊的な衝動に苛まれることはない。

 「二五〇二年三月十日、町田政権は拘留されている十二名の盗電・強盗犯の処刑と、旧東京湾地区への爆撃を検討していることを発表し、その是非を問う議論が今回の議題です。そういう認識でよろしいかな?」

江田がそう訊くと他の四人は首を縦に振った。

「結局のところ、『肉人類』は人間か否か、という古典的な問題に帰着できそうですね。」

そう切り出したのは生物技術者の森田だった。

「動物というヒエラルキーの中の頂点に私たち市民を位置づけるならば肉人類は憐れむべき同胞の一人であるし、私たち世界市民としての人間は『動物』であることを超越した存在者として位置付けるならば、肉人類は我らに仇を為す敵である、と。」

「それで言うと、私は肉人類を同胞だとは思わないし、我々に害を為す肉人類をある程度駆除するべきだと思っている。私とて動物に対する憐れみの気持ちは持っているが、彼らは必要以上の知識と欲望を持ち、明らかな悪意を以てこれらの行為に出ている。彼らは害獣として私たちに害を為すのみではなく、悪意を狡さをという動機を備えているのです。これを私たち陸上自衛隊が駆除する他に無いだろう。」

 そう江田が言った瞬間、食い気味に青田が意見を述べ始めた。

「そういうことが言えるのは、江田さん、あなたが軍人といえどAI兵器に対する命令ではなくて実際の武器で人間を殺したことが無いからではないですか?」

青田の声は乾いていて、ほとんど反射的に出たような声であった。新人類は嘘や隠し事がほとんどできないように「作られて」いる。

「歴史的に見て、軍人が自ら能動的に人間を大量に殺すことは稀でした。軍人出身の宰相はなるべく戦争や必要以上の虐殺を行わないように外交や内政に気を配ったものです。あらゆる手段を尽くさない上での戦争や虐殺を命令するのは、ほとんどの場合何か狂気的な考えや誤った判断に取りつかれた現場を知らない文人が行うものです。つまり、人間を犯罪的な動機ではなく人を殺したことや、自身の生命が危機に瀕するような戦場にいた人間は虐殺には極めて消極的であり、そのような経験の無い私たちが虐殺の判断を下すことはとても危険なことであるように思えるのです。」

「そして、現代の軍事技術はほとんどがAI兵器とテレジスタンス・ロボットによる遠隔操作によるものになっています。江田さんを愚弄するつもりはないのですが、江田さんが行ってきたような軍事訓練の数々は自身の生命に危険が及ばない都市や基地の一角で行われる一種のビデオ・ゲームのようなものではありませんでしたか?」

 江田は怒ったような様子は微塵も見せず、落ち着いていた。

「つまり、君が言いたいのは市民・肉人類問わず人間を殺すことには逆説的ではあるが、人間を実際に殺した時や自身が殺されるような感情的な負い目や恐怖を感じなければならないということかね?」

「そういうことになります。」

青田はこう答えた。

 「理性的な議論にそのような曖昧な概念を持ち込む必要はありません。」

そう言ったのは生物技術者の森田だった。

「人を実際に殺すことの負い目や殺される危険に対する恐怖というのは、実のところ自身の生存本能から来ています。殺される危険に対する恐怖はもちろん生存本能から来ていますが、殺すことに対する負い目も実は生存本能から来ているのです。例えば先ほど挙げてもらったかつての軍人たちの場合ですが、彼らは戦争や虐殺を仕向けた上官の命令によってやむを得ずその行為に至っています。ここでは、「立場が違えば自分も殺されていたのかもしれない」「お上に逆らえば自分も殺されてしまう」という二次的な生存本能に従ってそのような心理状態に至っているに過ぎません。」

「第一、そのような生存本能に従うことと権力に対する畏怖を持つということは、明らかに旧人類もとい肉人類の論理です。彼らは生存本能から性交を以てして生まれ、生存本能から利己的な欲求を満たすために行動します。しかしそうなると周りの人間との衝突や利害の不一致が起こるので、大きな権力を持った者による法の統制が必要なのです。それに対して我々新人類としての市民は初めからそのような法を内面化した状態で生まれるので生存本能を必要以上に満足させることはありませんし、お互いが平等な関係で理性的な議論を交わすことができます。『新人類』同士の殺人は未だかつて起こっていません。かつて『虐殺』と呼ばれたものは力を持った人間が力を持たない人間を殺す意味において倫理的な問題がありましたが、『旧人類』と『新人類』の間には明らかな生物学的な断絶が存在するのです。その意味において私は肉人類爆撃を支持します。」

 ここで新聞記者の和嶋が声を上げた。

「生物学的に違う存在だからといって、肉人類を殺していい理由にはならないだろう。かつて旧人類は牛や豚などの哺乳類を家畜として飼育した上で殺し、その肉を食べてきたが、現代では倫理的な観点から考えて培養肉を我々はたんぱく源として食している。これは生物学的な断絶があっても生き物を憐れむ証左となるのではないか?」

「培養肉が食されるようになったのは倫理的な面というよりもコスト面の問題だ。家畜を育てるまでの飼料や時間を考えると培養肉の方がずっと効率が良い。」

そう言ったのは江田だった。

「『生き物に対する憐れみ』などと言うのは野生動物を見たことの無い都会に慣れ切った人間の言うことだ。リベル・ネットワークの外の山地に行ってみればサルや猪や外来の熱帯生物などがごまんといる。そのようなや野生動物から身を守るためには生き物を憐れんでいる暇などは無い。そして今はユーラシア帝国の手がすぐそこまで来ている。もしも帝国の侵攻を受けた東京に肉人類たちが更に侵入したとしたら、今より比べものにならないほどの暴力を振るうことは十分に考えられる。私たちは安全な都会などでは無く、本当は暗い森の中に住んでいるということを認識しなければならないのだよ。」

 「みなさん落ち着いて下さい。これでは水掛け論の応酬ですよ。」

工場技術者の馬場がそう言った。

「森田さんの『人間か非人間か』という論理は『誤った二分法』ですし、江田さんの和嶋さんへの反論は『藁人形論法』に近いです。非人間と人間の間にはもっと質的なグラデーションがあるはずですし、さらに言えば『である』ことから『すべき』ことは導き出せません。現実はもっと矛盾を孕んだものであるし、だからこそAIではなくこうして人間が議論しているわけです。」

「ああ、そうだ、そういうことを私は言いたかったのです。」

今まで難しい顔をしていた青田はぱっと表情を明るくしてそう言った。

「つまり、私たちには生存本能もあるし、国家の安泰を想う気持ちもあるし、同時に旧人類的な他の生き物を憐れむ気持ちも実は備えている。そしてここからは私の意見ですが、私たち意見の違う者同士が殴り合わずに議論ができるのは、世界市民としての理性や国民としての理性などの人工的な概念ではなく、旧人類的な同胞意識によるものだといした方が確からしくはないでしょうか?」

青田がこう言うと、森田や江田は渋い顔をしながら聞いていた。

 そして青田は苦しそうな顔を浮かべ、こう絞り出した。

「実を言うと、私は『全ての市民が世界のためにある』という考え方が気に食わないのです。毎日毎日生まれて間もない赤子にアディオデュラ手術を施していて思うのです。自分は子供が無邪気に遊んだり、泣きわめいたりする能力をひどく人工的で精神的なものに書き換えているのだと。本当はもっと人間は人それぞれ多様な目的や善なるものを持っていいし、その方がきっと人生は豊かになると思っているのです。さらに言うと、私は精神病を患ったり発達障害が発覚した人に対して2度目のアディオデュラ手術をするのも正直気が引けます。そういう人たちの多くは社会が求める能力との不均衡から苦しんでいるはずなのに、あたかも異常人格や病気として治療されてしまうからです。みんな同じように表情が薄くなって、機械のように働きに出たり政治の話をし始めるのが奇妙でならないからです。私は理想を言えば、『1=1』という当たり前の論理を持った人を均一に作るのではなく、『1=2』でも『1=10』でも『1=∞』でも、多様な論理を持った人々が等しく受け入れられる社会を作りたいのです。」

「それでもあなたは精神科医ですか!?」

そう森田は吐き捨てて熟義の時間が終わった。投票の結果、今回の議題は賛成10万2千503票、反対19万5千55票、棄権3千223票で否決となった。これは、猿から進化した旧人類が猿を食べたり積極的に殺すことが無いように、旧人類から進化した新人類が自らの祖先を殺すことをためらっているようであった。


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