ヤンキー論が気になる

amazonで本を買った。斎藤環さんの『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』という本と保坂和志さんの『季節の記憶』という本を買った。斎藤環さんは、対談本や引きこもりに関する本しか読んだことないのだが、斎藤環さんの本は面白いと思った。引きこもりやサブカルチャーに強く、精神分析の観点から分析しているので面白い。僕は引きこもった経験があるのだが、引きこもりの最中に引きこもりに関する本を読んだことがなかった。引きこもりといっても、人と関わると吐き気がでるので本当に文字通り引きこもりだった時期もあれば、本屋や図書館、ブックオフ、レンタルビデオ店に毎日通っていた時期もあった。文字通り引きこもりの時は、本を読めなかった。僕は本が読めなかったので、文字通り引きこもっている時は、ゲームをやるかインターネットをみていた。引きこもっていることを認めつつも、認めなくないような感覚があり、引きこもりに関することは避けていた。その後、ゲームとインターネットばかりやっていてはいけないと思い、本や音楽、映画を観るようになった。僕はこれらをする習慣がなかったので、本を読むにしても、音楽を聴くにしても、映画を観るにしても、それなりの訓練が必要だった。ただ、引きこもりに関する本は読まなかった。どこか胡散臭く感じたし、あまり触れたくなかったのだ。また、引きこもりに関する本を見つけられなかったというのもあるのかもしれない。今思えば、引きこもっている時に斎藤環さんの引きこもりに関する本を読んでおけばよかったと思う。彼ほど真摯に引きこもりと向き合っている人は中々いないと思うので、読むことによって何か現状を変えられるのではないかと思っていたかもしれない。まあ済んだことなのでしかたない。

保坂和志さんの本はとりあえず、有名どころは読んでみようと思う。小説論の本を読みたいが、amazonで検索すると新品の本がなく、中古でもそれなりの値段がついていた。保坂和志さんは僕が最近読む本でちらほら名前が出てくるので気になっている。

ともかく、amazonというのはなんて本が買いやすいのだろう。欲しい本がピンポイントで見つかるので、ポチポチと買ってしまう。僕は今うつ状態にあり、働けないのでお金がないのだ。それなのに、たまにスイッチが入ってポチポチと本を買っている。例えば、斎藤環さんが気になったとして、僕は気になった作家の本を全て読みたくなる。そうすると、amazonならほとんど全て買うことができるのだ。ああ恐ろしい。僕は就職するまではamazonを利用していなかったので、本やCDを探す時は、本屋やブックオフ、図書館に行くしかなかった。だから、端から端まで、背表紙を眺めて気になった本を買っていた。欲しい本があったとしてもそれを探すのに苦労した。また、売っていないことも多かった。それがamazonではどうだろう。検索するだけですぐ手に入るのだ。本屋などで端から端まで背表紙を眺めることで、気になっていなかった本に出合うというメリットがあるが、今では疲れてそれをすることができない。うつ状態だから疲れるのか、amazonで探した方が早いと思ってしまうからなのかは分からない。とにかく、amazonは便利すぎるのだ。クレジットカードを登録しているので、そりゃもうポチポチと買ってしまうのだ。

斎藤環さんの『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』という本を買ったが、まだどういう内容なのか分からない。ヤンキーを肯定的に捉えているのか、否定的に捉えているのか分からない。僕は中学生くらいの頃はヤンキーに憧れていたところがある。当時はヤンキーが結構いたのだ。今はあまりヤンキーを見ない気がする。そりゃもちろん、中学生や高校生と関わる機会がないので実際のところどうなのかは分からない。まあともかく、ヤンキーに憧れていたところがあったのだ。ヤンキーの友達もいれば、大人しい友達もいた。なぜか両方のタイプと交流することができた。ヤンキーの友達もなぜか僕のことを好いてくれた。僕はどちらかというとどっちつかずだった。ヤンキーマインドはあったと思うが、やはり気質的にヤンキーにはなれなかったのだ。だから、斎藤環さんのヤンキー論が気になっている。斎藤環さんは現行のサブカルチャーに強い。また、それを精神分析している。今生じている問題に対して、対応していくというか分析していくという人もやはり必要だと思う。なぜなら、学者というのは往々にして過去を分析しているからだ。まあともかく、斎藤環さんのヤンキー論が楽しみです。

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