コンセイユ

22歳 INFJ 春から高校英語教員 このnoteは、私の考えを貯めておく場所であり、…

コンセイユ

22歳 INFJ 春から高校英語教員 このnoteは、私の考えを貯めておく場所であり、私が道を見失った時の案内人であってほしい。 私の言葉で救われる人がいると重畳

最近の記事

来年から高校英語教師になるうえで

 来年度から私は、高校の英語教師になる。その上で、考えておきたいことを考える時間がある今、考えを貯めておく。  もしこれを読んでいる君が、私と同じような状況に置かれている場合、君は置かれている状況に孤軍奮闘を強いられているわけではないということを知ってほしい。私と全く異なる考えであっても同じ問題について戦っている同志であると私は考えている。 英語を勉強する意味  私たちにとって英語は使う人は使うし、使わない人は全く使わないものであると考える。このことからやはり英語はただ

    • 語彙力は必要か

       私は語彙力は必要ないと考える。語彙力不足に悩む時間は言葉を使って何を伝えたいのかを考える時間に費やすのがいいだろう。 語彙力不足  私は語彙力不足というものはなく、多くの人が語彙力不足と呼ぶ状態は、自分が何を考えているのかについての解像度が低い状況を指しているのだろう。自分が持っている言葉で取り扱える領域にまで、自分の考えを落とし込めていないともいえる。自分の考えの解像度を上げることで、言語化ができるようになる。 言語化とは何か  ここで言語化のために語彙力が必要な

      • 自分らしく生きるとは

         私は自分の時間を自分のしたいことのために使っていることを「自分らしく生きている」と呼ぶ。「自分らしく生きる」ことの経験がない人は、親や教育者の立場になったとしても、生きる方法は示せても、生きる喜びを示すことができないだろう。  もし君が、今自分らしさを見失っているならば、「手に残るものを見つめる」という項が君にとっての助けになると私は思っている。そこから読み始めるか、そこだけ読むかは君自身に決めてほしい。 課せられる社会的な役割  私が思うに、年齢を重ねれば重ねるほど

        • 述懐 大学受験での挫折

           私は大学受験で第一志望校に合格することも、合格のために浪人するという選択肢を取る勇気もなかった。私の大学生活は、不本意入学という敗北感から始まった。  同じような記事をこの先書くことになると思うが、一つの述懐としてここに綴っていこうと思う。  もし今読んでいる君が、受験で不本意な結果を迎えていて、指針を見失っているのならば、「君へ」の項は君のためにある。 志望校決定  私は高校一年のときから、志望校を決定していた。東京外国語大学である。自分は漠然と国際系について勉強した

        来年から高校英語教師になるうえで

          終わりのつらさがあるから始めない

           社会的や物理的な制約から終わりが見えると知っていたら、いい感情を持っていたとしても始めることを私はしない。このことを私は否定したいがその言葉を私は持っていない。  好意を持っていたとしても、付き合った後、遠距離が確定している場合は付き合うことはしない。終わりが来る、または始まったとして辛さが確定しているなら、そのつらさを得るために大切な今を消費させるのは相手に申し訳ないという感情がある。  友人からバンドを組まないかと誘われたとき、本気で音楽を目指すという友人のモチベー

          終わりのつらさがあるから始めない

          述懐 小学生・中学生時代

          小学生のころ  私が所属していた小学生はまぁ少し荒れている方ではあった。小学生低学年の頃は、私自身あまり落ち着きがなく、注意を受ける方の人間であった。しかし、高学年になってから私の友人の方が注意を受ける方へと変わり、一緒にいたということで、注意を受けることが多くなった。まぁその時の私はクラス代表であったので、行ったことへの注意よりも、クラス代表が注意を受けるという事実に注意を受けていたように覚えている。  小学六年のときの私の担任は私に「お前はリーダーになれ」といった。この

          述懐 小学生・中学生時代

          運命論

           私たちは神がつくったストーリーをただ再現しているに過ぎない。  これを聞くとすごく消極的に思える。私は何をしても神のシナリオから逃れることはできない。私が私の理想を叶えることができるかどうかもすでに決定されている。  だからこそ、私が再現しているストーリーは、私が理想を叶えることができるストーリーであると確信できるまで努力し、それが結果につながると信じて進もうと思う。これは、ジャン・カルヴァンやマックス・ウェーバーに影響を受けている。高校倫理程度の知識だが、自分を感化させ

          人の心について

           人の心はバケツのようなものあると思う。    様々な人と関わることにより、様々な色の水をそこに落とす。あるいは誰かに夢中な時はその人の色の水でいっぱいになっている。その色の水をこぼさないように器を大きく、大きく成長させていく。その色の水が供給される限りはその器は満たされていて、その状態を満足している状態と名付けよう。その供給が止まった場合、喪失感を感じるのは器に空の部分が生じるからであろう。  空の部分を埋めるには、新しい水が必要である。この水はより透明な方がいい。他の人

          人の心について

          これは何のためのものか

           まず初めに、この手記を作る目的を綴る。  これは誰のための手記なのか、それは他でもなく自分である。100%自己理解のために用いようと思う。そのため、目次の見やすさなどはすべて自分のためにある。  なぜ、このような手記を作り始めるのが、自己理解につながるのか。文字に起こしていくことで、自分の思考の癖や思考が跳躍している部分を客観視することができる。思考の癖とは、ある事実を目の前にしたときに、それを評価する傾向のことであると定義したい。  自分の経験上、自分の考えの癖や跳躍

          これは何のためのものか