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「春」とお近づきになれたら

皆さん、こんにちは!りたです。
最近は、気まぐれな天候が多いので体調など崩されていませんか?
皆様どうか、ご自愛ください。
 
 
ここで、突然ではありますが、私は春が嫌いです。
(お読みになっている方の中に、春がお好きな方がいて気分を害してしまったら、ごめんなさい。)
 唐突な謎の告白をしましたが、、
そう、まさに今!この時期、この季節が嫌いなのです。
何故急に、嫌いな季節を書こうと思ったのか?
それは、この季節を好きまでにはなれなくても、「普通」くらいになりたいと思ったからです。
何故、春を嫌いになってしまったのか?
何故、その嫌いを普通くらいになりたいと思ったのか?
少し長くはなってしまいますが、書いていこうと思います。 


まず、春を嫌いになった要因からお話します。
元々、私は子供の頃から、そして大人になった今でも、
「新しいこと」や「変化」にうまく対応できるタイプではありません。
そんな私にとって春は、その苦手がふたつ同時にやって来る季節。
四季の中で春だけが、どうしても嫌いでした。
 
小学1年生になる年のこと、ランドセルやら何やらの「新しい」が増えていくたび、子供ながらに大きく何かが変わることだけは分かっていました。
「学校ってなに?」「なんで行かなきゃいけないの?」「なんでお勉強しなくちゃだめなの?」分からないがたくさんあるのに、
強制的に何かに"変身"させられてしまう。
そんな気持ちになった記憶があります。
そんな変身も、1年かけてようやく慣れたらまた「新しい」が始まる。
また、違う変身をしなくちゃいけない。
あの頃の私は、それが憂鬱で仕方ありませんでした。
 
その繰り返しは、年を重ね、学年が上がり、学生じゃなくなった今でも、
春が来るたび、嫌だったあの感情も一緒に来てしまう。 
大人になれば慣れてはくるとは言え、ほんの少し薄まっただけ。
逆に、子供の頃には気づかないような春特有の小さな変化にさえ、
気がつくようになり、心が重くなることもありました。
浮足立たせるように桜色を主張してくる街。
真新しいを前面に押し出すお店。
ニュースで取り上げられる入社式の映像、お花見の映像。
私には、どうしても"強制感のような空気"に感じてしまい、
毎年、少しだけ気持ちは押しつぶされていました。
 
そんな春嫌いな私がなぜ、普通くらいにまでなりたいと思えたのか?
それは、嫌いな春の"暖かさ"のおかげです。
とても矛盾していて、おかしなことを書いていますが、
春の暖かさは色々なことに「気づき」をくれました。
私は、嫌な気持ちに目を向けすぎていただけなのかもしれない。
春の柔らさにも、目を向けてみるのも悪くないかもしれない。
当たり前ですが、春が来なければ、夏も秋も冬も来てはくれません。
好きな季節を迎えるまでの短い春を、嫌いなままで過ごしていくのは、
なんだか勿体ない。そう思えたのです。


ただ、普通くらいになりたいと思っているとはいえ、
何から始めればよいのか、未だに手探り状態でして…
まずは、春限定のスイーツを食べることから始めてみようと思います(笑)

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