なるように、な

 生まれた人間には国からひとつ座右の銘というものが与えられる。それは単純な言葉がほとんどだったが、言霊のようなもので、それに縛られて生きることになる人が多いため、ここ何年かで廃止しようという動きもあった。が、いわゆる老害の連中のせいでズルズルと続けられてきているのがこの制度だった。

 出生証明書や身分証明書とともに与えられる座右の銘。自分のものにはなんと書いてあるのかわからなかった。自国の言葉で書いてあるのだから読めないわけがないだろうって? そう思うだろうが、あまりにこの制度を禁忌する声があって、だけどやらないわけにはいかないので、苦肉の策として、読めるような読めないようなギリギリの崩し字で言葉をしたためる、ということをしている自治体が出てきたのだった。そのひとつが自分の住んでいるところだった。

「なるように、な……?」
「なるんじゃねえの」
「ならねえよ」

 自分の人生、思ったとおりになる人のほうが少ないと思っていたが、そうではないらしいと知ったのは大学を二浪して入った夏のことだった。受験三回目にしてようやく入ったこの大学は、初めて自分の思ったとおりになったと実感した進路だった。
 友だちが多く通うことになる中学は自分の住んでいるところが学区外だったからしかたないとしても、高校は成績だって良かったはずなのにそもそも受験すらさせてもらえなかった(あとからそういうふうにさせた担任ですら「なんであそこ受けなかったの」と言う始末だ)。
 せめて大学くらいはと思っていたらなにがどう足りなかったのか、二浪してしまった。面接でアピールしすぎたせいだと言われたが、むしろなにもしゃべらせてもらえなかったのだ。自己アピールのしようがない。

 それもこれも読めるような読めないようなよくわからない座右の銘のせいだと思っていた。なるようにならないって書いてあるに違いない。てかなんだよ、なるようにならないって。

「でも第一志望に来たんじゃん」
 それはそうなんだ。もしかしてここから潮目が変わっていくのかもしれない。そうだったらいいのにな。そうなったらいいのにな。

 大学構内のベンチで夜中にビールをかっくらう大学生、ってなんかバカっぽくていいな。集中講義も終わったし、レポートもなんか早く片づいちゃったし、バイトのひとつでもいれれば良かったかもしれない。

お父さんが倒れました。今病院にきています 

 そんなメッセージが送られてきたのは、酔いもだいぶまわって、オールしちゃう? カラオケでも行っちゃう? なんて相談していたときだった。どういうこと。
 慌てて電話をする。母は思ったより落ちついていた。
「あんたはこっちのことは気にしなくていいから、大学をがんばってちょうだい」
 そういうと電話を切ろうとするので、ともかく明日1回帰るから、とだけ伝えた。酔いが一気に醒めた。

 結局一睡もできなかったので、始発で実家に帰った。財布の中身があまりにもヤバい状態だったので、しかたなく在来線に乗った。車両が揺れるからか、水分が足りていないのか、もうおっさんになったということなのか頭ががんがんして、たぶんこれは生まれて初めての二日酔いだった。

 病院に着くと、母は家から父の着替えを持ってきたらしく、荷物を抱えていた。
「気にしなくていいって言ったじゃないの」
 母はそういったが、顔はどことなく安堵の表情だった。いや、父さんになんかあったら帰ってくるでしょ。
「だってあんたがいてもなるようにならないじゃない」
 冗談なのか本気なのかわからないが、ぽろりと呟く声。こんなことまで自分のせいにするなよ。

「じゃあ何、全部こっちのせいだって言うわけ」
「そんなこと言ってません。あなたの座右の銘が」
 あやうく口論になりそうになったが、看護師に止められた。冷静にならないといけない。

「じゃあ、二人のはどうなのさ。こっちに引っぱられるようなしょぼいものだって言うわけ」
 荷物を整理しながらそれが書かれているであろう、身分証明書を探す。機能てんこ盛りのカードのくせに、座右の銘だけは手書きのままだった。はよ止めてくれないかな。

 病院に運ばれて、着替えをしてからそのままになっていたズボンのポケットに財布と一緒に身分証明書が入っているのを見つけた。
 そういえば初めて見る。他人に見せてはいけないと言うお達しのせいか、たぶん母も父の身分証明書をみるのは初めてだった。

「家内安全」

 一言だった。なんだこれ。
「やだお父さん、あたしと逆だったら良かったのに」
 母は笑いをこらえるようにして、自分の身分証明書を見せてきた。初めて見せるかしらね。

「健康第一」

 こんなもんを恭しく授かって、後生大事にとっとくのか。馬鹿じゃねえの。
 父さんと私と二人で一緒にいるからいろいろ大丈夫だったのかしらね。母は笑う。

 で、自分が「なるようにな」……? 続きはなんて書いてあるんだ。
「母さん、これなんて書いてあるかわかる」
 身分証明書を見せる。
「やだこれ、『成せば成る』って書いてある。父さん読み違えてるわ」
「なるようになる、じゃなかったのか?」
 父さんからはずっとそうだと教わってきたわけで、なんか意味合いが全然違わないか。

「もしかしたらあんたが子供だったから、そういうふうに言ったんじゃないの。だいたい一緒じゃないの。いまは思ったとおりの進路でしょ」
 いまひとつ納得いかないまま、父のベッドの横で母と二人、ただ父の眠るのを見ていた。
 母さんの言うように、そんなに慌てなくても良かったんじゃないだろうか。父さん、大丈夫かな。

「家内安全、健康第一、なるようになる」
 母は呪文を唱えるように何度も呟いた。それはまるでRPGの復活の呪文のようだった。

 次の日には父は目を覚ました。なんでお前がいるんだ。学校は。
 倒れたっていうから戻ってきたんだけど。
「おー、そうかそうか。そりゃわるいことをしたな。どうだ学校は」
 動きも言葉もなんとなくおぼつかなかったけれど、比較的軽症でしょう、と医者に言われたとおりのようだった。

「家内安全、健康第一、なるようになる」
「なんだ、それは」
「うちの座右の銘一覧。三つ揃わないと効果を発揮しない」
「なんだそれは。おまえのは『成せば成る』じゃないのか」

 父さんがそういったんじゃないか。わざと不満そうにいうと、父も母も笑った。これがドラマだったら陳腐すぎて、没になるだろうというくらい、なんでもない光景だった。

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