ローストクリスマス

家の近くにある肉屋では、クリスマスの時期になると外にロースターを置いて、そこでたくさんのチキンを焼いていた。
僕はそれを見ているのが好きだった。赤く燃えるヒーターの中を、外国の映像で見た、小さな観覧車のようにぐるぐるとまわるのだ。いつまでも飽きずに見ていられる。
親に何度か、あれを食べてみたいとねだったことがある。当然買ってはもらえなかった。
「あれ高いからうちの予算では買えません」
両親とも遅くまで働いているうちにはとてもそんな余裕はない、ということは頭ではわかっていたことだ。ましてクリスマスはかき入れ時だから自分の家のことまで構うことなどできなかっただろう。僕は肉屋の店頭でぐるぐるまわって焼かれるチキンを見て、飽きると家でスヌーピーのクリスマスの話のビデオを見た。何度も何度も見た。何度も何度も見て、自分を納得させていた。

ひとり暮らしをするようになると、どうにか自分の給料で好きなものを買うことができるようになってきた。友だちを呼んでクリスマスに飲み会をやることもあった。
しばらくは子どものころのことなど忘れていたのだが、ひさしぶりにあの肉屋の前を通りかかると、やはり外に置いたロースターの中でぐるぐるとチキンが焼かれていた。あ、これ、ほしかったんだ。僕は食べきれるかどうかなんか考えずに買った。その場ではもらえなかったので、あとで取りに来ることにした。
友だちに連絡を取る。
「でかい肉買ったから食いに来いよ」
あれよあれよと人数は膨れ上がり、一つ買ったくらいでは足りなさそうだったので、もう一つ買うことにした。

夜になり、せまい部屋に詰めこまれるように人が集まる。言っていないのに差入れを持ってきてくれたおかげで、見るからにパーティーのようになった。
「なんかめっちゃクリスマスパーティですね」
誰かが言うと、別のヤツが、いやクリスマスだし、こんな肉あるし、と笑う。
行儀悪いかな、と思いつつほおばる。口いっぱいに肉汁があふれ、勝手に顔が笑う。周りをみるとみんな、同じような顔をして食べていた。なんだ。みんなこういうの好きなんじゃん。たくさんあったはずの料理も、あの肉も、飲み物もあっという間になくなってしまった。
「ローストチキンなんて初めて実物見ました」
後輩がケーキを手渡してくれる。なんか小さい頃に買ってもらえなくてさ、見たときにこれはチャンスと思って。そんなことを言ったと思う。何人かが「それわかる。自分もそうだった」とうなずいていた。
「なんかあのぐるぐるまわってるのがいいんだよなあ。あの機械ほしくない?」
「何に使うんだよ。いつ使うんだよ」
言いながらやっぱり笑っていて、あれは正しい食べ物だ、ということばが思い浮かんだ。

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