ぬいぐるみ語り

筆者所有のクマのぬいぐるみ

唐突にぬいぐるみ語りをしようと思う。
自宅にはぬいぐるみがけっこうな数ある。大半はもう半分おじいさんに片足突っ込んだような壮年男性(=自分)のものだ。減ったこともあるが、気がつくとずいぶん増えた。
冒頭に掲げた画像は自分の持っている中で一番古いものになると思われるクマのぬいぐるみ(以下クマ氏)だ。

クマ氏は25年かそれくらい前に神戸で買ったものだ。旅行で神戸に行った時に適当に路地を歩いていたときに見つけた。ショウウインドウ越しにぬいぐるみと目が合った。気がした。通常そんなことはありえないのは十分承知しているのだけど、目が合っていきなり意思疎通がはかられたのだった。

クマ氏はその時も陳列台の上にちょこんと座り、こちらをじっと見ていた。すこし困ったような、さみしそうな、そんな顔をしていたクマ氏に自分は一目惚れをしたのだと思う。
出先だしなあ、と、一旦はその場を離れたのだけど、結局元の店に引き返し買って帰ったのだった。今で言う「おむかえする」というやつだ。何かを買う行為を「おむかえする」という表現をするようになったのはわりと最近のことだと思う。

買ったからといって、特になにをするわけでもなかった。家の本棚の一角に置かれ、話しかけるでもなく、抱っこすることもなく、いきなりそこにいて当たり前の生活になった。時々目が合って「まあ、毎日しんどいよね」などとクマ氏にぼやいたりすることはあった。でもそれだけのことだった。

引っ越しも何回も付き合ってもらった。無造作に箱に入れられ、新居でまた同じように棚に置かれた。その頃から人にもらったり、UFOキャッチャーで取ったりしてぬいぐるみの数は増えてはいたが、そのほとんどは別の人のところに貰われていった(たぶん処分したものもあると思う)。クマ氏はどこに行くこともなく、うちにいた。

表面はニット地だ。お尻の辺りにはおもりがわりのビーズが入っていると思われる。座っている体勢がいちばん楽なようだった。無造作に持ち上げて、無造作に置かれるからか、ニコリとすることもなく、いつも難しい顔をしているように見えた。いま画像を見返したら「納得いってない顔をしているな」と思う。たしかに扱いは雑だし、愛されてる感はないかもしれない。でもそこにいてくれるだけでいいのだよ。

何年か前に、知人からぬいぐるみ用のTシャツをいただいた。試しにクマ氏に着せたら思いのほかしっくり来たのでそのまま着ていてもらうことにした。服を着せると納得いってない顔は「これ着ててもいいの?」という顔に変わった。いや、そのためにもらったんだし、似合うから着てなよ。そんなやりとりがあった(のかもしれない。主に脳内で)。

二、三日前に突然そんなことを思い出して、クマ氏を持ってみた。うっすらホコリをかぶっているような気がして、それは良くないなと思ったので粘着テープで掃除をした。いつもほったらかしでごめんよ。いちおうそういってみたが、返事は(当然のように)なかった。25年以上も一緒にいるから諦めてるのかもしれない。

クマ氏に付随していくつかの出来事を思い出したり思い出さなかったりするが、それは今の自分には殆ど関係ない。その大半は今はもう縁のなくなってしまった人たちとの話だからだ。忘れてしまったほうがいいことのほうが多い。突然思い出しても、クマ氏は「まあ過ぎたことだし」と言うだろう。確かに過ぎたことだしね。

写真を撮って、しばらく傍にいてもらったあと、また普段いる棚に戻ってもらった。じゃあまた今度ね、と、まるで友達との別れ際みたいなことを言って。

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