はははたいへん

 共働きで帰りの遅い母親が、冬になるとよく鍋を作った。
 白菜と鶏肉と、ネギ、春菊。
 とり野菜みそ、というのが地元にはあって、それを使うとほぼ自動的になにかしら食べるものができた。そのうち祖母や自分が代わりに作るようになったけれど、小さい頃はそんなこともなく、出てくるのを待っているのが(あの頃は)普通だった。
「きょうのごはん、なーにー」
 小さかった僕はそうやって毎日聞いた。好きなもの、好きでないもの、誰かの好きなもの、母の食べたいもの、誰かの食べたいもの。毎日なにかしら違うおかずが出てきて、それがあたりまえだった。
「なべー」
「とり野菜?」
「そう。時間がないから」
 母はいつもそうしているように鍋を出し、湯を沸かし、みそを入れて切った材料を入れていった。
「また?」
 二日に一回くらいのその鍋が何度か続いたときに、とうとう僕は飽きた、ということを主張した。たまには違うものが食べたい。

 母は、菜箸を置いた。
 お母さんだって忙しいの。仕事して買い物いってご飯作ってあれもしてこれもして全部やらないといけないの。毎日の献立考えるのだって大変なんだから同じものになったからって文句言うのはやめてちょうだい。
 声を荒げる寸前のところで我慢しているようだった。僕は父が同じこと言ったらなにも言わないくせに、と思ったけれど、前にそういうことを言ってさらに機嫌を悪くされたことを思い出した。もうなにも言わない。
 なに、と母は僕を見た。僕は反応しなかった。もうなにも言わない。

 不穏な空気が居間を埋め、僕は読みかかった本も宿題も途中で投げ、テレビをつけるでもなくぼんやりとした。いつもなら、ほどなくして聞こえる母の「宿題は」の声もなかった。帰ってきた父はその空気を察知したのだろうか。いつもより母に優しかった。
 出てきたごはんはいつもよりも丁寧で、それが母の怒りを表していた。たぶん。僕は一言も発さずにごはんを食べた。なべのなかの白菜がいやにしょっぱかった。煮詰めすぎたのかもしれないけれど、そんなもんだと思うことにした。

 次の朝、母は学校に行こうとする僕に「なにか食べたいものはある」と聞いてきた。
「昨日と同じものでいいよ。考えるのめんどくさいんでしょ」
 僕は母の反応も確かめずに玄関を出た。

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