愚鈍な牛丼

グラム98円なんて奇跡だと思う。
六時過ぎまで講義があって、もうなんかなにも作る気にもならなかったのにスーパーの肉売り場にあったそれを見ただけでカゴにつっこんでレジを通っていた。
牛コマグラム98円。
見よう見まねで牛丼の具だけ作って、マシマシの汁ダクダクにして昨日の残りのご飯にぶっかけて食べる。玉葱が半生なのがちょっと失敗だ。
たぶん店に行ったほうが美味いし、結局は安く食べられることなんかわかっているのだけど、また外に出るのもめんどくさいし、店員に注文するのもめんどくさい、なんならこのまま世界で一人だけになってしまってもいいくらいに人と関わるのがめんどくさい。なにがあったわけでもないのにこのヤケクソみたいな生活。
親が見たらたぶん泣くんじゃないだろうか。大丈夫、講義はちゃんと出てる。単位だってちゃんととってるし、来年にはセンモンに上がってそうこうしていたら教育実習にも行くだろう。聞いている話と、世間の思うところと違いすぎるのはたぶん世の中が変なイメージで固められてるからだと思う。誰だよ、大学生は遊んでるとか言ったやつは。週に三本のレポートと英語とドイツ語の訳をやってみろってんだ。

今住んでるアパートのとなりの部屋の名前も知らないやつは今日も誰かを部屋に入れて騒いでいるらしい。反対側は音を立てているところを聞いたことがない。夜中までバイトが忙しくて日中は部屋で死んだように眠っているという噂を聞いたことがある。僕はここ二週間誰とも会話をすることもなく、朝イチから夕方すぎまで講義を受けまくる。せっかく入ったサークルだってあまりのつまらなさに結局すぐに行くのをやめてしまった。上下関係がどうこういうどころの話じゃなかった。

「っあー」
一気にかきこんで、インスタントの味噌汁を飲み、浅漬けをひとパック口の中に押し込む。母さんみたいないろいろ考えたような献立なんて一生作れないと思う。明日をこえるだけで精いっぱいの自分だ。確かまだ炊飯ジャーにはご飯が残っていたと思う。いちいち茶わんに移し替えるのが面倒になって、内釜にそのまま鍋から残りの具をぶっこむ。次は吉牛に行こうと思う。できたら自転車をどこかから確保したい。あいつらみたいにパパローンで車とかそんな夢みたいな話なんかあるわけがない。
いっそどっかで身体でも売ればいいのかもしれない。需要なんかないんだけど。

この前ひどい目に遭ったから、器だけは食べ終わったあとに洗う。財布からレシートを出してスマホの家計簿にいくら使ったか入力する。今月はまだ余裕がある。アルバイトを探そう。誰かと話そう。寂しいとかどこか遠い国の言葉だと思おう。
腹ごなしに外に出る。まだちょっと寒くてもうすこし暖かくならないかなと思う。
本屋にたどりつくと真っ先にアルバイト情報誌を見る。先週と同じことしか書いてなくて、なんかやだなと思う。本屋のアルバイト募集の張り紙もずっと貼られたままだ。一瞬、店員に声をかけようかと思ったけれど、本棚のとっ散らかりかたを見てやめた。

はじめての一人暮し 自炊の本

タイトルだけで手に取る。なにを見るわけでもなく、さっき食べた牛丼の作りかたがそれでよかったのかどうか、なんとなく探す。
まあ載ってるわけないわな。
ページをめくってもめくっても出てくる、白っぽく飛ばしたようなしゃれたできあがり写真みたいな生活なんか僕にはできるわけがない。うっかり放り投げてしまいそうになった本をそっと山に戻す。なんだかついでにがたがたしてるところを直した。店員でもないのに。
「なに仕事してんだよ。ここでバイトっすか?」
びっくりして飛び下がる。下がる、って本当に後ろに跳んで下がった。マンガみたいな反応だった。声の主はいくつか同じ講義をとっているやつで、たしか同じコースだったはずだ。
「いや、なんとなく」
「バイトやんね? ここ万年人不足なんだってさ。おれも知ってるやつがいたほうがうれしいし」
まだうんともいいやとも返事していないのに、店長のところまで連れてかれる。履歴書は? と聞かれてもごもごしていると彼は「今ここで誘ったんすよ」としれっとしていた。なしくずし。こういうことをそういうんだろう。なんだかよくわからないうちに履歴書を書かされ、なんだかよくわからないうちに面接を受けていた。
これ、いつかどこかにたどりつくのかな。これって僕、どうしたいとかひとことも言ってないし、本当にしたいことなんだろうか。
「ちょっと考えさせてもらえないですか」
書きかけの履歴書をつかむとどうにか頭を下げて出てきた。
自分を先に作らないと。
さっき買い物をしたスーパーはもうとっくに閉店していた。ただでさえ少ない人通りは夜の九時をすぎてもっと少なくなっている。帰りたい。甘えたような気持ちを捨てたくて僕は出来もしないダッシュをしてアパートまで戻る。

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