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アスペルガーだって繊細である

いい歳して思春期のメンタリティ

何を言われても自分は正しいんだと思い込む重度のアスペルガーはともかくとして、グレーゾーンの受動型ASDの僕はとにかく傷付きやすい。「繊細さんアピールでキャラ作りですか?」と言われそうだが、もはや異常かつ生活に支障を来すレベルの気にしいである。
男なのに女々しくて情けないなぁと毎回思う。

友人から冗談で言われる「お前ホントにバカだな」を真に受けて数時間凹み続けたり、ちょっとした注意を受けても酷く塞ぎこんでしまう。
行動の原動力が「周囲の評価を下げたくない」「怒られたくない」「傷つきたくない」であり、ガラスのハートが壊れてしまうことを何よりも恐れている。

その証拠に異性同性問わず、幼少期から投げかけられた悪口、素っ気なくされた態度、怒鳴られた経験などは瞬時に思い出せるレベルで鮮明に覚えている。また逆に、自分が相手に投げかけた心無い一言や酷い言動も瞬時に思い出して悶絶することがある。

中2の時部活の顧問から「お前この部活辞めるか?」と怒鳴られたり、就活の時面接官に自己PRをバカにされたり、学生時代に周囲から言われた数多の悪口も忘れることは無い。
逆に被害者面するだけでなく、特にバカだった中学の頃にクラスメイトにかけた心無い一言や、相手から指摘されてしまった会話中の素っ気ない態度、尖っていた大学入学直後の自分の痛い言動も全部覚えているし、今でも思い出して恥ずかしくなる。

傷付いた経験も、傷付けた経験も忘れないのである。

「自分は薄情である」という勘違い

反面、最近まで自分のことを他人に対しては薄情な奴なんだろうと思っていた。「他者に対して何かしらでマウントを取りたい」「自分より下の人を見て安心したい」という人間の醜い性が自分にもあると否定できないというのがまず1つの理由。

こんな自意識丸出しのnoteを飽きずに書いていることからも、「周囲や世間を何かの機会に見返したい・認められたい」というハングリー精神やコンプレックスをモチベーションに動いていることが分かるだろう。

2点目が「胸糞映画を見てもそんなに引き摺らないこと」である。
バッドエンド物として名高い「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ファニーゲーム」「ジョーカー」「セブン」、最近で言えば「福田村事件」を見ても、どこか一歩引いた視点から見ている自分に気付いてそんなに感情を持っていかれなかった。見終わるたびに、そんな自分がどこか薄情なのかと思っていた。

だが最近、そんな訳でもないと気付く出来事があった。

感受性応答しすぎ

最近入ったバー(どことは言わない)で、その日のスタッフの女性がやたらヒステリーを起こして声を荒げていた。彼女自身酔っていたということもあるのだろうが、僕個人も知っている店長に対する不満を吐き出していた。
その場には常連が多く、部外者は僕くらいだったということもあるのだろう。

何があったか知らないが、一見するとそこまで怒るようなイメージのある女性では無かったので純粋に怖かった。そして店長とスタッフの見てはいけない裏側のドロドロとした関係性を目にし、内心相当食らってしまった。「やめてくれよもう」という本心を抑えるのに必死だった。

自分まで食らった要因として考えられるのは主にこの2つだろう。

  • 自分も裏側で言われているんじゃないかという錯覚に襲われる

  • 陰口を言われた側が顔見知りなので気の毒だと思ってしまう

1つ目はともかくとして2つ目の、「陰口を言われた側を気の毒に思う」という気持ちは過剰共感から来る。
他者にバカにされたくないという感覚があることは否定しないし、自分の浪人が決まった時に周囲が同じように浪人するのが嬉しくて仕方なかったほど醜い一面が自分にあるのは否定しない。

だが自分が安全圏にいるなら、周囲の人も辛い思いをするのは耐えられないのだと思う。

HSPとASD

アスペルガー(ASD)と似た概念に「HSP(Highly Sensitive Person)」があり、ASDは薄情なサイコパス、HSPは人を思いやれる人だという認識が一般的だろう。だからこそ繊細で優しいHSPに対し、人の気持ちが分からないASDが毛嫌いされることが多い。

(僕は自閉症スペクトラムの診断が下りているが、自分がHSPかどうかは知らない。)

だがメディアにも取り上げられる、信州大学医学部附属病院の本田秀夫先生も仰るように、繊細で過剰共感するのはHSPの人だけではない。アスペルガーにも似たような特色がある。
「いつも俺が正しい」をポリシーに生きているような重度の人はともかく、「ASDの人も過剰共感するしガラスのハートを持つ」という事実はもっと知られてもいい。

まとめ

今回の記事は解決策らしい解決策が無い。感覚過敏系はともかくとして、明確な「これをすれば良くなる」という策が存在しないのがASDだ。
自分の生まれ持った面倒な性格は今のところ直しようが無いし、一生付き合っていかなければいけない。

だが幸運なことに「そういう性質がある」という自覚はできている。今の自分に必要なのは、「いかに自分のメンタルが削られないように工夫して生活していくか」だと思うし、何か良いアイデアがあったら今後も発信していくつもりだ。

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