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こんにちは、L.I.T.A.のスピリットコンダクターたかちゃんです♪
どうしても書かずにはいられなくて書きます。

タイトルからして、嫌な気持ちになりそうな人は読まないでくださいね。

先日こちらのブログにも書いた通り、私は「死」に対して何の不安もない人です。
だけど、「命」に対して大きな「意味」があると信じている人です。

私には子供がいないけど、子供のような犬を育てています。
犬と人間を同類、さらには上位に感じているので、それも嫌な人は読まないでください。


今回は、「命の時間」について。
私は、「命の長い短い」に大きな違いを感じていません。

たとえ、一日でこの世を去ったとしても、
100歳でこの世を去ったとしても、
「意味」としては同じだと思います。

時間の長さが違うだけで、命に含まれる意味合いに大きな差はないと思います。

よく、長生きこそ素晴らしいという風潮を感じますが、
私にとってはまったくナンセンスな言葉に感じます。

自分のことが自分で出来て、なおかつ食べて排泄できる身体を維持できてこそ「生きている」と言っていいと思っています。
そして、家族を家族として認知できてこそ。

それができて100歳なら、そりゃ素晴らしいだろうけど、
100歳だから素晴らしいのではない。

そして逆に、たった一日の命だったとしても素晴らしいのです。

たった一日で、数時間で、「命の意味」を家族にすべて伝えているからです。濃縮された時間です。

人は、この世を去った悲しみだけにクローズアップしがちですが、
もっと重要なのは、この命がなぜ私たちのもとへやってきたのか、が大事。

命が宿る時って、どの両親のもとに生まれるかも自分で決めてるって思います。
その両親なら、たとえ一日の命であろう自分でも、大切に育てて愛してくれるって確信してのことだと思います。

例えば、生まれて一日で去ってしまうということは、生まれる前から何か病気があったりするわけで…
そうすると、普通の妊娠期間ではないと思う。
何度も何度も危ない目にあったりして、生まれる前からたくさんの治療を受けたり、辛い思いをしたり、大変な選択をしているんだと思います。

その大変さに、耐えなくてはいけないし、そういう状況を夫婦そろって乗り越えなければいけない、それに耐えられる両親であると確信したからこそ、その両親のもとへ生まれてこようとしたわけです。

10ヶ月の妊娠期間中に与えられた思い出、そして誕生した時間の感謝の気持ちだけで、この先大丈夫だろうなって思ったからこそ生まれてこれた。

そういう「命」もある。

たとえこの世に生まれてこれなくても、授かった時間に与えられた思い出も貴重。

どんな生死でも、必ず与えられた「意味」があります。

その現象や結果だけに悲しむのではなく、「意味」を感じることもたまには必要かなって思う。

そういう場面場面って、日常にたくさんある。

生死は、大きくて深い「意味」があるんだけど、
小さな小さな場面でも、「意味」がある。

そういう「私に与えられた意味」を探る目を、たまには訓練してみるのもいいかもね。
別の角度で見ることが出来ると、
別の意味を知ることが出来る。

犬たちも同じ。
言葉は話せなくても、通じてるよ。
私は、毎日犬たちと会話してる。
普通に家族を会話をするように、会話をしている。
だって、犬たちは私の家族だから。

犬を飼っている人たちも、
その犬を飼うことになった「意味」を探ると学びになるよ。

その犬を飼ってあげてるのではなく、
その犬を飼わせてもらってる。

それを実感してあげてね。


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