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すでにして手にしているもの
人は、自分の価値を知らない。
人は、他人の価値について、低く見積りたがるという傾向をもつと思う。
人から低く評価されがちな自分の属性や、性質というのは、実は価値をもつものだと思う。
たとえば若い頃は、周りの大人たちから、まだ経験が少ないから足りない、といわれる。
でも、経験を積み、年齢を積み重ねると今度は、若さを失い、フットワークの軽さや柔軟性を失うかもしれない。
若さを失いつつある大人は、若い人が羨ましい。
自分にも若い頃があったはずだけれど、自分が成し遂げることのできなかった夢があったり、思い通りに行かなかった過去があったりする。
だから、まだ可能性に満ち満ちている若者が羨ましい。
若い人は、まだ何者でもないかもしれないけれど、特に大きな失敗もしておらず、若さを頼りに、これから何にでも挑戦することができる。
若い人は、大人たちから足りない足りないと言われ、自分を大人たちの求める基準に合わせようと努力する。
確かに、大人たちの言うことにも一理あるかもしれない。
でも、若い人はその時期にしかない可能性を手にしている。
誰かが自分についてなにか否定的なことを言う時にはむしろ、本当にそうだろうか?とそのようにいう人を疑ってみてよいのではないかと思う。
年齢だけではない。
今の、オーガニックブーム、自然回帰思考などもそうだと思う。
地方の自然豊かな環境で育ってきた人はずっと、都会に出れば、また地方在住のままでも、自分は田舎者との認識をもって生きているかもしれない。
でも、その田舎出身であるはずの彼ら/彼女らは、都会の人のもっていないものをもっている。
たとえば田舎の人の方が、広い家に住むことができるかもしれない。
畑も田んぼもあり、都会の人がわざわざお金を払って行う農業体験などは、子どもの頃すでに家で手伝わされていたりするかもしれない。
私も少なくとも中学の頃までは、田植えや稲刈りを手伝わされた。
畑には食べきれないほどの野菜があるので、母や祖母は野菜の量をケチる必要がない。
むしろ余るくらいなので、それは隣近所の人や親戚、友人知人にあげたりもらったりすることになる。
自分で野菜を作っていなければ、お金を出さないとそれを得ることができないので、おのずとその量を調整するという発想にもなるかもしれない。
私はこの前職場でおはぎを作ってみてと言われ、ご飯の量で笑われた😆
私も大爆笑した笑
よくもわるくも、田舎の人は気前が良いと思う。
それは、見方によっては与え過ぎで損をするということかもしれないけれど、
違った視点から見たなら、豊かさともいえるかもしれない。
都会で生まれ育った人は、自然に飢えているかもしれない。
田舎者、とバカにされるのも、得だなぁと思うことも多い。
人は、なにかしらの部分で、隙というか、自分より下と思われる属性や性質をもっていた方が、人からは優しくしてもらえるということもあると思う。
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