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自分の人生を生きる

"不幸"なできごとに出会うことのよいところは、

覚悟が決まることだと思う。

追いつめられる。

徹底的に

追いつめられる。

窮地に立たされ、

それまで自分を信頼してもらう基盤となっていたものを

失う。

途方に暮れる。

絶望する。

空を仰いで

神を求める。

そう、私たちは追いつめられてはじめて、

神の存在について、

真剣に思いをめぐらせる。

社会を一歩引いた目で見るようになり、

自分の内面の扉がひらかれる。

"自分"とはなにか。

"他者"とはなにか。

"幸せ"とはなにか。

"自分"にとっての"幸せ"は、他者のそれと

なにが違うのか。

そして次第に、

自分のなかに軸が定まっていく。

"社会"におけるそれではない。

"自分"でいいんだ、

とわかる。

人に合わせられない自分が"ダメ"なんじゃなくて、

その、ほかの誰でもない自分こそが、

唯一無二の個性であり、

価値である

と知る。

同じ個性は、ない。

社会化がほどこされる過程で、

少しずつ

ほんとうは素敵なところが否定されて

失われてきたのかもしれない。

それが、「正しい」ことととされるから。

そして、それに合わせられない「自分」の方に問題がある、

という嘘を、教えられつづけてきたから。

すると、

その「基準」にあわせることなく、

自由に、

楽しそうにやっている「他者」が

うらやましく見える。

輝いて見える。

邪魔をしたくなる。

それは、

「自分」のなかの「本音」だろう。

だから、苦しいのだと思う。

ほんとうは、知っている。

問題は他者にあるのではないことは、

知っている。

ただ、悔しいのだ。

「自分」の人生を生きる。

「自分」の人生を、生きていい。

「完璧」な人生なんて、

ない。

その「完璧さ」はただ、

自分の基準に照らしてのみ、

求められればよいと思う。

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