因果応報の法則
圧倒的な理不尽を受けた人が、その苦しみを人前で堂々と表現できるようになるまでには、
たいへんな時間と、本人がその出来事を本人のなかで咀嚼して、冷静さをもって語ることができるようになるまでの、
様々な過程、段階、感情の起伏、苦しみ、悲観、嗚咽、悲しみ、あきらめ、怒り、感情の抑圧、諦念、
といった一通りを通り過ぎる必要があるように思う。
自分を守るため、さしあたりの表面的な自分のキャラというものも、作っておく必要があるかもしれない。
事情をまったく知らない人から、自分の心の神聖なところを守るため、
自分を卑下してみせたり、道化を演じたり、何者でもないフリをする。
その方が、自分の心に不用意に入り込まれるよりは、ずっとマシだ。
だから、今回国家やそれを超えた権力機構からまったくの騙し討ちに遭い、
実際の身体的苦しみとともに精神的な苦しみ、人としての尊厳を踏み躙られた多くの人たちが、
声を上げる、というのは、
とても難しいことだと思うし、
それでも現実の生活を営んでいかなければならない、
その苦しみ、悔しさ、屈辱。
不安、痛み、絶望。
そのことは、おそらく、
似たような絶望をその人生において自ら潜り抜けてきた人にしか、
わからないと思う。
問題の構造の巨大さに、足がすくむ。
声を上げるほどの、
絞り出すほどの、
力も残されてはいない。
ただ、今日を生きるだけで、
自分と家族を守るだけで、
精一杯だ。
そんな人たちに、
自分たちが自ら推進者、加担者として危害を加えてきた人たちが、
「自己責任だ」と
さらに畳みかける。
自分たちの責任は棚上げにして。
その残忍さ、非道ぶりがわかるだろうか?
人の命は、理屈ではない。
今、まさに、鼓動している、生命そのものである。
身体ごと、切り裂かれる痛みのなかで、
ただ今を生きているだけでも、
推進者、加担者たちは、手を合わせて自らの罪の深さに畏れをなした方がいい。
権力側にいるから、
権威側にいるから、
自分たちは選ばれた人間である、
なんて傲慢な考え方、
一回死んで、
出直してきた方がいいと思う。
(実際、そのような魂として生まれてきているので、冗談ではなく、戯言でも脅しでもなく、本当にそうして罪を償うよりほか、方法がない)
肌の色なんか、意味がない。
金のあるなしも、
関係がない。
むしろ、今回露わになったのは、
これまで「偉い」、「尊敬されるべき」とされていた人たちの
ていたらくではなかったか?
死んでお詫びをした方がいいと思う。
その上、彼らの屍、悲しみの上に乗っかり、
さらに金儲けをしたいとは、
どういうことか?
綺麗事ではない。
今、現実に、目の前であなたたちの政策、弱さ、想像力の欠如のせいで
苦しんでいる人たちが、
五万といる。
その罪深さについて、自覚した方がよいと思う。
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