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ブックカバーチャレンジ7日目(最終日):天才、創造性と狂気
期間空きましたが(5/10より)、緊急事態宣言も解除になりましたし、最終日の投稿をいたします。
今日ご紹介させていただくのは、
岩波明"天才と発達障害"2019.4, 文春新書 です。
この本では、筆者は、芸術家や科学者、政治家、数学者、作家など歴史上の国内外の偉人の特異性について記述しています。
モーツァルト、アインシュタイン、ヴィトゲンシュタイン、源義経、ルーズベルト、ヘミングウェイ、ヴィヴィアン・リー、夏目漱石、芥川龍之介、ナッシュ、中原中也、エリック・クラプトン、フレディ・マーキュリー…。
著者は、精神医学の博士で、それぞれの偉人をADHD(注意欠如多動性障害)、うつ病、躁うつ病、強迫神経症、ASD(自閉症スペクトラム障害)、サヴァン症候群、統合失調症、アルコール依存症…などの発達障害、精神疾患と関連付けて研究されています。
このような分野の研究があることは、わたしは大学生の頃に知っていました。"病跡学"という学問です。
天才や創造的な能力を持つ人々の持つ狂気や、精神的な不安定さ、二面性などについて述べています。
わたしも大学院では研究を行なっていましたが(NGOについて)、研究活動を通して感じたことの一つは、
人は決して主観を排した研究を行うことはできず、完全なる客観性を獲得することは不可能だ、ということです(少なくとも人文系、社会学系の学問においては)
必ず、人は自分の立ち位置や記憶、指向性からものを言うと思います。
本来、他者を完全に自分とは異なる存在として、"分析"することは不可能です。
わたしたちは相互に関連しながら、存在しているからです。
他者を見る時、その中には自己とは異質のものと同時に同質のものを見ると思います。
それを、時と場合によって、擁護したり、非難したりするのではないか。
この世界に、絶対的なものは存在せず、すべては部分関数として"自我"を通して認識されるとすれば、
究極、"正常"とか"異常"、"正しい"、"間違い"、"善"、"悪"、"常識"、"非常識"、成功"、"失敗"などは存在しえないということになります。
それぞれがそれぞれの価値を支えており、相対的に存在するに過ぎないからです。
これ以上の議論をここで行うのは、止めます。
が、わたしは、"発達障害"などという言葉で子どもたち含め人にレッテルを貼り、自分は安全な位置にいて人を分析する在り方は、いかがなものかと思います。
権威によるレッテル貼りは、いかに人を傷付け、その人の自己評価を地に落とし込むでしょうか?
村上春樹の"ノルウェイの森"風に言わせていただけば、
"ここでは、一体誰が患者で専門家なのか、区別はつかない"
2020/5/27
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