競争ではなく尊敬
いつも、見にきてくれて、ありがとうございます😊
今日は、こんなタイトルが思いつきましたので、徒然なるままに少し書かせていただきたいと思います。
よろしければ、どうぞお付き合いください。
こちらのnoteに私が少しずつ記事を投稿させていただくようになったのは、昨年の5月くらいのことだったかなと思います。
昨日の記事でも書かせていただいた通り、この時代の空気感の中、ずいぶんと萎縮してしまっておりました。
ですので、初めの頃は、その時々の自分にとって大切と思われた気づきを短文で、ほとんど独白のような形で投稿させていただいておりました。
こちらのnoteにおける"標準的な"?使い方とかもわからなかったですし(今でもわかっていないと思います)、
でも少しずつ、自分の投稿に反応してくださる方達の記事を読ませていただくようになり、
ここはなんと面白い場なのだろう、
と驚いたことを覚えています。
(お世辞ではありません)
当時、むしろ無料で、ここまで皆さん価値のあるものをこのnoteのフィールドに表現し、ご自分の世界をそれこそ自由に作り上げられている様子を垣間見、
いいのだろうか?とさえ思ったことを覚えています。
もちろん、人によって、この場をどのように捉え位置付けておられるかは違うと思うのですが、
惜しみなく表現された、それぞれの方の世界観や専門の知識、知見、経験、才能。
それを目の当たりにするにつけ、
あぁ世の中とはこんなにも広いのだなぁ、と思いました。
自分には絶対に真似できない、それぞれの方のそれぞれの輝きがキラキラと輝いていると思います。
私が人にはあまり関心がない、と言ったのは本当ですが、おそらく半分はそうではなくて、
才能溢れる人の才能溢れる作品を、毎日真剣に見続けていたなら、
おそらく私は自分への信頼が揺らいでしまうのではないか、
そんな恐れもある、というのが正直なところだと思います。
私には、絶対にできない表現。
本当に凄いなぁ、と思います。
私たちは、時になんらかの共通の"基準"のもとに、皆生きているかに見えるかもしれない。
でも、おそらく"基準"って、本当はどこにもないのではないかな、と思います。
それぞれが、それぞれの個性と関心と適性や才能に従って、それぞれの人生を生きているだけ。
だから、それにいいも悪いもないのではないか?
"自信がある"っていう言葉で表現されるものって、私の感覚ですが、なにか"他者との比較において"という視点があるような気がします。
が一方で、"自分を信じる"と言った場合には、
そこにはあまり"他者"は出てこないような氣がします。
その場合むしろ、繋がっているのは、人間の世界を超えた領域という感じがします。
皆様の素晴らしい感性、才能にいつも刺激を受け、また私の心の中を見抜いていただいてそれを表現してくださる方、
私に関心を示してくださる方。
勇気づけようと励ましの言葉を投げかけてくださる方(私だけが対象ではないと思いますが)
本当に有り難いなと思っています。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
私ももっともっと成長していけるように、頑張りたいと思います😊
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