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言葉を介さずとも伝わるもの

昨日の文章で、私は、

友達になれそうな人とは、直接情報を交換することができて嬉しく思っている

と書きました。

今日気づきました。

交換する(伝わる)のは、情報ではなくて、"氣"です。

情報を交換するレベルの人間関係を、「友達」と呼ぶこともできるかもしれない。

ずっと人を観察し続けていて、

何が違うのだろう、とかんがえていましたが、

わかりました(わたしなりの理解ですが)

意識の覚醒のレベルです。

詳述はしませんが、ここには、たくさんのネパールの人たちがいます。

私にとっては、本当に興味深い国です。

関心の度合いは私のなかではインド以上かもしれません。

みんな、違います。

ネパールの人とは、こういう人達、と一括りにすることができないということは(本来あたりまえのことですが)、よくわかりました。

(私の知るかぎりの)多くの日本人とあまり変わらないような人もいます。

(人の目ばかり気にする、自分の意見がない、表面的な関係に終始する、なぜか競争心をこちらに向けてくる…ごめんなさい💦)

ヨガの本場の国なので、こちらがヨガを教えていた、などと言っても、逆に通じるだろうかという思いもありました。

人は、個々人の育った環境や歩んできた道もさることながら、自然環境や風土によってもその在り方は大きく変わるでしょう。

また、個々人が生まれもってきたもの。

才能もしかりでしょうし、今生で成し遂げるべくしてもってきた"課題"も、人によってまったく異なると思います。

その"意識"の状態の美しさは、姿形を超えて伝わります。

いや、それは姿形や発する言葉のやわらかさ、瞳の美しさ、子どもみたいな人見知りや自由な心としても表れるかもしれない。

彼らは、とにかく優しい。

透徹した眼差しで、こちらを見抜きます。

眼でみているのではない。

彼らとは、それほど言葉を交わすわけではないのですが、

だからこそ分かるのかもしれません。

人って、交換しているのは言葉以前のものであるみたいです。

それが証拠に、言葉をつくしたところで、氣の合わない人とは、並行線のまま…。

ということで、今日は意識のひらかれた状態の人についてのお話でした。

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